昨日、虐待した看護士は、最終的に、謝ったり、「吐き捨てる罵声と丁寧な声かけでどれだけの時間が変わるんだよ」との問いかけに、「ほんの一秒も違いません」と答えたときに何か気づいたようだった。
最後に、「他に虐待している看護士を見たら、止める側の人間になってくれよ、頼むよ」というと約束してくれたので終わりにした。
いったい私は、何をするために病院にいるのか、わからなくなってきてしまった。
それでも、昼間になると、まるで動物を調教しているかのような入浴介助の声が聴こえてくる……
もう気力が湧いてこない……
外部から連絡を取り合っているある人からのアドバイス……
ちゃりこ父は、電車の中でお腹が痛くなってかけこんだ公衆トイレが汚いからと、掃除しようとしているのと同じ。汚いトイレに我慢して用を足して、さっさと立ち去るのを待つだけでいい。
他の人のために公衆トイレを掃除して、自分が汚れる必要なんか、ない、と……
一理あるかもしれないけれど、泥舟にたくさんの人が押し込められていて、野蛮人が虐げているときに、どうすべきか、降りたくても降りられない人が溢れているときにどうすべきか……
“べき”に囚われすぎてきた人生なのかもしれないけれど……
寝不足ながら、痛みがほとんどなく、体も軽め……
しかし、なぜか日曜日が面会日とされていない不思議な病院……