6月19日、母は102歳で他界しました。
1922年大正11年生まれ。
正に、天授を全うしました。
改めて年表を見ると、その時代の移り変わりを生き抜いたことに敬服します。
葬儀は、姉たちの思いがあり、自宅で執り行いました。施設で長らく過ごしていましたので、自宅に連れて帰る事ができて良かった。
昔は、自宅から送り出す事が普通でしたが、
今は、どんな田舎にも葬儀場があるので、自宅で行うことは稀になりましたね。
大雨のお通夜、雨が降ったり止んだりの告別式。
そんな中、沢山の方が来てくださいました。
出棺の折には、見事に晴れました。
沿道にも、沢山のお見送りの方が、手を合わせてくださいました。とても有難いことです。
個性的な母の思い出は沢山あります。
若い頃には京都に住んでいたこともあり、私が小学生低学年の頃、社会勉強だと言って、学校を休ませて、大阪、京都へ連れてったことも。
そして高校の時、明日ローラースケート🛼を買ってきて!と言われ、どうするの?と聞いたら、買い物に行くのに楽ちんそうだし、歩くより早いから!という。
案の定、靴を履きながら転倒!まともに履くこともできませんでした!(笑)
それっきり、ローラースケートはどこに?😛
無免許で原付バイクで孫の保育園にお迎えに行くと、おばあちゃん無免許でしょ?と言われて、教育上良くないと気づき、60歳で免許取得(笑)
などこれは一部。
亡くなる前の1週間、母の側にいられたので、ありがとうも、言えました。
最後の言葉は、今から東京に帰るよ!
と耳元でいうと、
戻る?と言った。おそらく、次はいつ戻る?という意味だと思って、来週また帰ってくるね!
という会話にならない、心の言葉のやりとりが最後の母との別れでした。
私は、子供がいないので、母が長生きしてくれて本当に心強かったです。
私はこの年まで、母の子供のままで過ごすことができて、本当に感謝しています!
皆様には、ラジオをお休みさせて頂いたり、ご迷惑をおかけしました!