最後に日記をつけたのがキャンプのMTGに寝坊した日だったようで(結局キャンプにはいった)、久しぶりの記事となる。
書き方を忘れた。
継続は力なりというが、その分断絶は非力なりやと思い知らされる。
これまでずっと継続してきたことが呼吸以外にあるだろうか。
社会生活ですら断絶の時期がある。
しかし、断絶からの復活は、惰性による継続よりもずっと力になるのではないかという希望もある。
人生の各段階で自分にとって必要なものを取捨選択し、ところどころ不連続点がありながらも全体としては区分的連続であって、ただの連続よりかえって広く豊かな人生が送れているような、そういうイメージ。
結局人はいきられるようにしかいきられない。
ところで北朝鮮は名曲を生み続けている。
金正恩時代に入ってからもとからクオリティの高かった曲たちがさらに洗練されたように思う。
いっそのこと水素爆弾の研究を中止し、音楽産業だけでやっていってはくれないだろうか。
俺はNK-POPで食っていく。
『我らの金正恩同志』
『懐かしの白い雪片』
『お目にかかりたかったです』
『元帥様の傍には人民がいます』
『人民の歓喜』
昭和歌謡曲風だったり、学校合唱曲風だったり、実に僕好みのラインナップである。
あまり大きな声では言えないが、最近本気で北朝鮮へ行って彼らの音楽を生でききたいと思っている。
一緒に行きませんか。