明るい日記

明るい日記

明るい!!

Amebaでブログを始めよう!
こっちで日記書くのもありなんですが、はてなのほうがブログっぽいので。

あっ、「はてな」ってなってるところがリンクです。

それどころか本記事においてはてなの文字列はひとつを除いてすべてリンクになってますので。

リンクにしてないのを見つけたらキスしてあげますよ、ほんとに。
はてな。


といっても、すでに公開した内容をすべて向こうへエクスポートするというわけではなくて、今後は正式に向こうで書きますよということにしておく。

分けていたのにはもともと意味があったんだけれども、それもどうでもよくなったし。



ところでいまこっちの日記を見返してみると、向こうで書くよりずっとのびのび書けていて、これはこれで捨てたものではないですねといった感想を抱いた。

ただの感想。



はてなはねえ、マジな文体でブログ書いてる人が多いから、はてなのフォーマットで書くと、ぼくではなくはてなっぽい文章ができあがっていくんだな。

でもそれははてなっぽいだけで、決して実のあるような記事にできているわけではないから、宙ぶらりんなものを生産してるということになるわけなんですけれども。

もっとこんなノリで楽しくやることを心がけよいね。

むんむん!
最近は漢方に興味がある。

テスト期間に入ったところで風邪という不運に見舞われたため、親にもらった葛根湯・麻黄湯を飲んでいた。

本来はひきはじめに服用するものらしいが、念のためということで治りかけたときにもう一度服用して勉強すると、どうも"ハイ"になって気づけば連続7時間勉強していた。

普段は3時間もやっていると肩こりやら頭痛やらがしてしんどくなってしまうところだったので、ここで漢方の可能性を見せつけられたのである。



そこで調べてみると、対症療法的な西洋医学に対して漢方医学というのは症状から心身の全体的な状態をいわば"帰納的"に見極めてそのバランスを整えるという考え方らしい。

その心身の全体的な状態というのを「証」といって、証にあわせて処方されるべき漢方薬が決まるという。



ネット診断してみる。

「血虚 陽虚 陰虚 湿熱 湿痰 気滞」



なんやこれ、ぼろぼろやんけ!!

とりあえずこれを参考にまた漢方薬試してみよう。

しかし漢方は高いな。



あまり時間がないので今日考えたことを要点だけ備忘録として。



自分の気遣い・遠慮・謙遜からくる予防線としての言動は、実は悪い意味で控えめであって、ただ自分をおもしろくない人間にしているだけなのではないか。

それよりも普段はもっと図々しく、思うがままに振る舞って、同僚や友人、先生や上司から何かしらの指摘を受けたときにきちんとコミュニケーションをとって対処するほうがよさそうである。

前者の癖を後者の習慣に変えていく意識をもとう。



理由は書くと長くなるので今日はこれだけ。

とはいえそんな目を見張るような斬新な視点は理由にもない。

ただ自分にとって快適な生き方を主体的に探しているだけ。

そういうこっちゃな。


最後に日記をつけたのがキャンプのMTGに寝坊した日だったようで(結局キャンプにはいった)、久しぶりの記事となる。

書き方を忘れた。

継続は力なりというが、その分断絶は非力なりやと思い知らされる。

これまでずっと継続してきたことが呼吸以外にあるだろうか。

社会生活ですら断絶の時期がある。



しかし、断絶からの復活は、惰性による継続よりもずっと力になるのではないかという希望もある。

人生の各段階で自分にとって必要なものを取捨選択し、ところどころ不連続点がありながらも全体としては区分的連続であって、ただの連続よりかえって広く豊かな人生が送れているような、そういうイメージ。

結局人はいきられるようにしかいきられない。



ところで北朝鮮は名曲を生み続けている。

金正恩時代に入ってからもとからクオリティの高かった曲たちがさらに洗練されたように思う。

いっそのこと水素爆弾の研究を中止し、音楽産業だけでやっていってはくれないだろうか。

俺はNK-POPで食っていく。



『我らの金正恩同志』




『懐かしの白い雪片』




『お目にかかりたかったです』




『元帥様の傍には人民がいます』




『人民の歓喜』





昭和歌謡曲風だったり、学校合唱曲風だったり、実に僕好みのラインナップである。

あまり大きな声では言えないが、最近本気で北朝鮮へ行って彼らの音楽を生でききたいと思っている。

一緒に行きませんか。


終わった、何もかも。

昼にキャンプのミーティングがあったのに、参加できなかった。

前回のミーティングは参加意志の確認だけで、今回のミーティングこそが大切だった。

何もかも、終わった。


『代数入門』(裳華房)の第1章の素元分解整域から最後まで友達が発表するのをきいていた。

もともとぼくは先に自習していたのですんなりきけたのは当たり前だが、自称代数が苦手で当日の朝予習したばかりの友達がほぼ完璧に(何も見ずに)発表していたのには感銘を受けた。

ここで大事なのはおそらく「発表のために一生懸命覚えた」ということで、本人も話していたが、「これ続けてたらむちゃくちゃ力がつきそう」である。

友達同士なら多少失敗しても平気だし、いまのうちにこういう訓練をかさねておきたい。



ところで、ゼロ秒思考のメモ書きはなんとか続けている。

毎日10枚とはいかないが、少なくとも4, 5枚は書くようにしている。

はじめは時間ばかり気にして内容に集中できず1行で終わるということも多々あったが、だんだんと時間を気にしつつも同時に内容にも意識を向けられるようになりだいたい3行、うまくいけば4行や5行かけるようになってきた。

思いついたままかくのでおそらく何度もやっているテーマもあるだろうが、それは「無意識が選択した目下の重要テーマ」と解釈してやるたびに「洗練している」という意識をもってやることにする。


すいほさんがつぶやいていた「ゼロ秒思考」なるものにチャレンジしている。

今日で5日目くらい。

1枚1分で思いつくテーマにそって毎日10枚書こうというので紙の消費量がものすごい。

普段の勉強でも1日でそんなにはいかないが、これは勉強不足やいなや。



やはり高速で書く、アウトプットするという動作はかなりの集中力を要する。

だからこそこれが強力な成長促進剤としてはたらくのであろう。

そして終わってみると妙にすっきりする。

自分がいつの間にかまとっていたどんよりとした気分があっさりと振り払えていて、堂々巡りで生産的でない考えから一時的にでも解放されていることに気づく。

いいこと3つもなかなか効果があったが、日記を書く時間が減ってしまったいま、ゼロ秒思考の方にシフトしていくのがよいと思う。
新しいバイト先で「向いてない」という趣旨の話をされた。

「がんばってやってくれてるのはわかるけど、こっちもどう教えたらええかわからん」

「工場の勤務の方が向いてるかもしれない」

「探せばいろいろあるから、自分に合うものをしっかり見つめるのも大事」



確かにレジではぎこちないみたいだし、閉店作業を結構ミスをした。

コンセント抜き、ボール拾い、色鉛筆回収、料金表確認、怠っていた。



すぐにやめさせられるというわけではなく、

「1年でも2年でも、はたらきたいだけはたらいてもらって構わない」

「1年はやらんと次はたらくときに履歴書みて『すぐやめる子や』と思われてもあかんしな」

ともう痛いほど気遣ってもらっているので、なるべく早く仕事を覚えて完璧に近づけていく。



メモをとってなかったからな、これからはメモしよメモ。

明らかにそれが悪いやんか~い。

うぇ~~い。


日曜にバイトのシフトが入っていたが、時間を間違えて2時間半ほど遅刻してしまった。

13時に何の気なしに携帯を見ているとラインの通知が15件ほど入っていた。

「あ~これはまたグループラインで盛り上がってるんやろな」と思って既読処理しようとラインを開くと複数人から個人チャットで

「Neさん今日は11時からのシフトですよ」

「Neさんどうかしたんですか、何の連絡もなしに欠勤すると他の人に迷惑がかかります。なるべく早く連絡ください」

などと書き込まれていた。

一瞬いやな衝撃が走ったが「あっ、これやってしもたな」と妙に冷静だった。

冷や汗はほんのりじわっとだけかいた。

ぼーっとしていても仕方がないのであわてず急いで準備してバイト先に向かった。



申し訳ない気持ちで若干身構えながら到着すると

「あれやんな、時間間違えてたんやろ?」

「そうなんです、本当すみません」

「ええよええよ全然、シフトの入り方不規則やもんな。また安定してきたら慣れるって」

と明るくフォローしてもらえて助かった。



自分の気持ちの揺れかたが以前よりもずっと小さくなったと思う。

以前神戸にいたときも1度バイトをすっぽかしたことがあったが、そのときはもう冷や汗だらだらで人生の終わりにも近い落ち込みっぷりだったし動悸息切れで視界がぼやけていた。

「何を言われても何をされても自分はすべて受けいれねば」という(いま思えばむやみに)悲壮な覚悟をも決めていたように思う。

実際おそるおそる連絡を入れてみると「まあ、今度から気をつけてくださいね」という具合だったのだが。





こういった意識的にコントロールできない部分(気持ちや身体の状態)から人を信じられるようになる、気持ちが安定しつつあるということが感じられる。