このシリーズでは

私がなぜ今の活動を始めたか?

というストーリーを

数回に分けてお届けしています。

今日は第2回。

 



第1回はこちら。



さて、

京大生になった私。


大学生になると、

新しい街で人間関係を一から築いて

楽しく過ごせるようになっていきました。

 

何より、京都大学は「自由の学風」。

周囲は変わった人ばかり。

自分が「目立たないように」「変なことをしないように」

と気を遣う必要はなく、めちゃくちゃ楽でした。

 

私以上に目立つ人がたくさんいるので

「優等生でいないといけない」

という呪縛から解放され

 

周囲の基準に合わせる必要もなく、

やっと

安心して「変な自分」のままでいられたのです。

 

しかし、楽しい学生生活も束の間。

最大の難関が訪れました。

 

就活です。

 

髪型やメイクはこうすべき、

面接のマナーはこう、

自己PRはこう作る…

たくさんの「これが正解」という情報に溢れ

その枠に収まらないといけないことに息苦しさを感じて

 

再び、

 

○周りから見てどうか?

○みんなにとっての正解かどうか?

 

という

外側の基準、「優等生でいないといけない」が

現れてしまいました。

 

そうしても、

一次面接で落とされ続ける日々。

 

なんとか、地元の小さな企業に拾ってもらいましたが

入社後も「京大出身の○○さん」と周囲から期待され

「会社のために私が頑張らねばならないのだ!」と

妙な使命感を感じ、

仕事を背負いこむようになりました。

 

そして、入社5年目のとき、限界が訪れました。

自分が一から企画した商品が出来上がり、

それを自ら売りにいくという、

とてもやりがいのある状況なのに

 

達成感が全く感じられないことに気づいたのです。

 

それどころか

私の頭の中は、

「しんどい」「いつまで頑張らなきゃいけないんだろう?」

という気持ちで溢れてきて

なぜだか、涙が止まらなくなりました。

会社へ向かう電車の中でも、

会社のトイレでも、家に帰ってからも。


涙が流れ始めると抑えることはできず、

人目も気にせず泣き続けました。

 

その状態で

2、3週間泣きながらも会社へ行きましたが

心配した家族に勧められ

心療内科へ。

 

鬱の一歩手前である「適応障害」と診断され、

休職することになりました。

 

幼い頃から私を縛ってきた

「優等生でいないといけない」

によって


先輩も同僚も上司も、誰も信頼せず、相談もせず

たった一人ですべてを抱え込んで、

解決しようとしていました。


そして、自分だけは失敗してはいけない!と思い

 

いつの間にか

自分を極限まで追い込んでしまい

心を病んでしまいました。

 

でも、この生き方はこれ以上続けられない。

私の身体がそう訴えている。

じゃあ、どうしたらいいのか?

ここから、私の内省の旅が始まりました。



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