だらだらしてみる。 -28ページ目

表し現す、ですか。

汚い物、綺麗な物など無い。意識的にしろ無意識的にしろ、理性的にしろ本能的にしろ、受けるモノってのはそれらの作用にしか過ぎない。その作用は、総じて後天的であり、先天的なものでは無い。本能でさえ、だ。「また意味のわからぬ事を言い出したぞ」と言われるのだろうが。そう言うものの、"本当の"アプリオリというものが何処かにあってもよいのでは無いだろうかとも思う。そしてそれは、"本当の"アポステリオリであるのではないだろうか、と思う。


アカンわ、矢張り言葉には限界があるのだろうか。均等に比重をかける事の出来る表現方法ってのは何か無いのだろうか。感覚と思考とに。受け手の取り様に頼るのは、あまりにも勝手で無責任なように思うし。かと言って黙っていても、僕は孔子や基督では無いから、弟子が広めてくれるわけでもないし。そもそも弟子なんかいないし。世紀に残る大道化師ならばよいのだけれど、今の所そんな気配は無いし。何のオファーも来やしない。「社会的な力」が一切無いから、気に留める人もいやしない。肩書きが無いと何を言っても無駄になるような世界なのかなぁ。かと言って、「じゃあ社会を潰せばよいのだ」となる訳でも無いし。世話になってるしね、一応。


小うるさい話は閉まっておいた方がいいのだろうか。出来ることならそうしたいよ。でも止まらないんだな、これが。君達の所為にしてもよいのだけれど、それは同時に僕の所為でもあるわけだ。
なんだろうね、僕は。ヒッピーの生き残り?クスリとセックスに開放を求めている訳では無いから、違うかな。



全ては己の内に、全ては己の外に。
一つは己の内に、一つは己の外に。
そして己に帰する。
己は全てに。己は一つに。
外は内に、内は外に。


と言ってみたものの、うすぼんやりとしているし、濃度がどんどん下がってしまっているような気がする。
二元的であり、一元的であり、多元的でもある。あ、多元を取り入れて無いみたいな書き方だった。あーでも、捉え方としては出来なくも無いような。


一つであって一つでなく、
二つであって二つでなく、
複数であって複数でない。


これって言葉で説明できるモノなのか?どうしたらいいんだ?
ここは僕のメモ帳以下でも以上でもないから、僕が分かればそれでよいのかもしれないけれど。


有形∧無形


この、多くを前提とする世界の中で、「あってはならぬモノ」を説明しろと言われたら、何と言えばよいのだろうか。どーせいっちゅーんじゃ。
「言葉」は強くないけれど、そんなに弱くもないだろう。にしても、出来るのか?
こういう時に、「超感覚」とか「超自然」といった便利な言葉を選ぶことも出来るけれど、何となく、それは逃げのように思う。かと言って、他にどんな言葉があるのかと言われても、ただ困るのみだ。語彙が少ないせいでもあるだろうけれどさ。



言葉ってのは矢張り、「読まなくてはならぬモノ」だな。視覚と頭にだけ頼らずに、「全身全霊」で受けなくてはいけないモノだな。とね、この「全身全霊」という言葉も嫌いなのだけれど、使わないことにはどうしようもないんだよ。畜生。


言葉ってのは単なる言葉でしかないのだけれど、単なる言葉では無いのだ。困る。もう少し"分かり易く"作られていればよいのに。メンドクサスギ。


微妙な感じを伝えるのが難しい。絶妙な物言いが出来るようになりたい。それこそ一度、詐欺師になってみるべきなのかもしれない。


終わり。

喧しく、厚かましく

明確な言葉なんてのは単に明確なだけで、"分かり易い"が本来意味するモノとは全くの別物だ。「明確」の延長線上に「分かり易い」があるとは限らないし、「分かり易い」から下った所に「明確」があるわけでも無いだろう。


五感を通じても分からないから脳髄へ打ち込む、又、頭で整理が付かないから感覚へ渡す、では無くて、双方同時にやらなくてはいけない。双方同時。五分五分で分けるのではなく、双方に十割の力を出して取り掛からなくてはいけない。100%より大きな力。それを出さなくてはいけない。それを"常に"出さなくてはいけない。


確かに、多くの人間は、自分の範囲外の物事を無視し黙殺して生きている。だから言ったってどうせわからないんだろう?目を向けようともしない。ソコに、目の前にあるものが見えていない。それとも見ようとしていないのかな。どちらにしろ、どうしてそうやって生きることが出来るのか、それが僕には分からない。



偉そうな物言いで悪いとは思う。でも、コレでも足りないんじゃないかな。


4月の終わりから5月の初めくらいだったと思う。確かに、何かを掴みかけた。けれど手を開いてみても、何も無かった。あんなチャンス、後何度来るのだろうか。二度と来ないのかもしれない。もっと大きなチャンスが来る可能性もあるかもしれない。


小さな波が、大きな津波を起こす。ならば、小さな変化も大きな何かになるのだろう。それは大切にしたから大きくなるモノでもなく、知らないうちにソウなっていくものであるのだろう。人の力で可能な事と言えば、出来る限り注意深くそれを追いかけるくらいだ。



思う程、君達は馬鹿じゃない。けれど頭のよい生き物でもない。詰まらなくもあれば、尊くもある。毎度毎度で申し訳無いが、これらは字面の如く"同時に"起こっている。僕の中で起こるこれらの思いは、並列で起こっている。反対の事柄が、全く同時に起こるのだ。全く、だ。どちらかが先に、というのでもなく。これらは賛美であり、落胆である。


ここは通過点、もしくは準備期間にしか過ぎない。



新興宗教の人みたいで気持ち悪く映るんだろうなぁとは思いますが、哀しくて仕方が無いので書いてみた。同じ事を何度も言うのは気が引けるし、頭から出すことによって全てが嘘になるような気もする。けれど。
僕達の生に理由があるのだとすれば、その中の一つには「感覚∧脳髄の進化」が含まれているのではなかろうか。それをしないのは大罪なのではないのか。


バカな若造にこんな事を言われない為でもよいから、あなた方の力を見せて欲しい。気の狂ったオジサンにこんな説教をされない為にでもよいから、あなた方の力を出して欲しい。


それとも、何度言っても分からない能無し連中は放っておくのが一番なのかな?
騙されたと思って、この程度の低い挑発に乗ってみろ。


自分の何処が"キチガイ"なのか、そんなものは自分で分析しなくてよい。マトモを装っている人間達が勝手にやってくれる。少しずつでいいから、兎に角出してみろ。ソレが何なのかわからなくていいから、兎に角やってみろ。悪くても、"マトモ"と"キチガイ"を同時に出せるようにはなる。出来がよければ病院送りかな。"マトモ"な人間は、折半の人間よりも"ソレ"がわからないから、閉じ込めて蓋をするんだろう。


そろそろ割り切ったフリをするのを止めろ。社会に適応したフリを止めろ。それとも君達は、そうする事しか出来ない機械人形か?違うだろ、"人間"だろう?



こうも頻繁にクオーテーションを付けると「特攻の拓」みたいだ。


本質的には「ネタ」と「マジ」の間に何の線も存在しない事くらい、わかってるよな?


終わり。と思ったけれどもう一つ。


「同じ事を何度も~」と書きましたが、訪問者の方々の多くは、「偶々」、「迷い込んだ」ものであると思います。次回、同じようなことを書く事がもしもあれば、その時はもう少しやんわりと書こうと思う。何コレ、戒め?


終わり。

苦言かな

吹かす。好きなように取ればよい。



全てを疑った後に、「こうして疑っている私自身は確かに存在しているのだ」と言った大昔の哲学者がいた。悪いけれども、そんな場所は既に通り過ぎてきている。
それも一つだから、それで好いのであればそれで好い。けれど、「御約束」達で成り立っている世界を止めて、それらを全部無くせと言っているのだ、僕は。そこに生まれるのは何か。混沌と呼ばれるモノか。無と名付けられたモノか。そもそもそれはモノなのか。ソレなぞと言う指示語を与えることが出来るのか。存在を超えた存在、"本当の存在"なのか。一体何なのか。
で、それはまた巡ってしまうことになる。けれど、重ねていけば、"本当の"ソレに近づくことくらいは出来るのではなかろうか。
で、またループなんだけども。


こうして苦しんでいる人間に向かって、「何が楽しいの、死ねば」と言える人間がいる事が面白いと思う。悪いけれども、楽しんでいるのでね。他人が考える以上に苦しんでいるし、苦しんでいないのだろうが。他人ってのは個のコトだけど、それを言い出すと「個=集」も出てくるので、巡ってしまうので止める。


言い切る。何にも分かって無いね。「何も分かっていない=全て分かっている」を持ち出す時の「分かっていない」では無くて、世間一般の、下劣で低俗な「分かっていない」なのだ。けれどもそれも前記の「分かっていない」と同値であるので憤慨した所でどうにもならないのだけれど。言うなれば「中途半端」なんだよ。自己満足を超えたところにある自己満足、そこまで到達出来ていないし、する気も無いみたいですね、多くの人間は。じゃあここで聞こう。「何が楽しいの、死ねば」


君達、「断定」好きだろ?



君達、完全とか完璧とかを探すフリくらいしろよ。そんなんで何が楽しいのよ、本当に。

¬拒食

タマゴやら牛乳やらを先週末に買いまして、まだ使っておりません。そろそろ危ないね。ということで、タマゴ、牛乳、ベーコン、玉葱、チーズを使ってオムレツでも作ろうかと思い立ったその矢先、気付いてしまったのです。フライパンはある、油もある、ちゃちではあるが塩コショウもある。無論、コンロもある。が、ボウルが無い。一般的にはコレくらいの事は大した問題じゃないのでしょうが、僕にとっては一大事なのです。フライパンでかき回した上で熱を加えて固めてしまう等という恐ろしい拷問は出来ない。フライ返しを買っておいてボウル買い損ねた。


あ、気付いた。小さいボウルのような器を使えば出来るではないか。なんだなんだ、なんとかなるんじゃないか。と気付いたのだけれど睡魔が襲ってきた。朝ですか。


ボウルやザルを買わないとな。買い物メモは作らないけれど。引っ越してから、まだ何も作っておりません。一昨日くらいからロクに食べていないような気もする。今日量ってみたらば、現在体重60キロ。この調子で55くらいまで落としてみたいけれど、命に関わるのだろうかね。体重が減る変わりに背が伸びたらいいのに。あと4cmで6ftと言えるのに。口惜しい。牛乳飲みますか。いいえ怖くて飲めません。お腹壊します。ノーマルな牛乳でも壊すのです。デストローイ。


寝とこう。

夏学まとめ

もうコレ、生きていることがホラーですよ。


と、トラックバックステーションの企画に乗っかったフリをして実はpingを打っていないこの記事の始まり。


だからさ、スッキリ・キッパリ・ハッキリとしたモノなんぞ無いのだから、詰まりは「カチカチ」になっている定規を放り出して、あやふやはあやふやの儘で過ごしたらいいじゃないかね。とスッキリ・キッパリ・ハッキリと言い切ってみる。言っている事は矛盾しているのだけれど、ニュアンスが伝わるのなら僕はそれで好い。無矛盾性が証明不可なのを逆手に取っているわけでは無く、これは矢張り言葉の不完全性に因るところなのであろう、という逃れ方をしておく。「逃れ方」と書くと卑怯なようであるけれども、事実言葉は不安定で不完全なのだから致し方あるまい。ループね、ループ。誰かに聞いたから・教えられたからで分かるものでも無いだろうから、何を言ってみても僕の暇つぶし以外の何物でもないのだろうけれど。



あぁ、今成績を見たのだけれど、歴史の"お陰で"GPAが下がりました。わーい。あのさ、そろそろ""を使うのも止めたいのだけれど、初見の方ってのはクオーテーションが無いと「あ、日本語が出来ていないヤツだ」と思うのだろうかね。僕が書く幼稚な文章の裏を読めないほど日本人は馬鹿では無いと思うけれど。あぁ、幼稚過ぎるからかな。とりあえず、日本語が"出来る"人間を連れてきてください。


どこまで行っても矢張り定規が残っているようなので、こんな感じの書き方が多いですが。いや、何も考えずに書いているかな。出てくるものをそのままに。でも、それにも色が含まれているんだろうね。どれ位の濃度の色眼鏡をしているのかは知らないが。今までソレを知らずにやって来たと思いますか?マテマテ、確かに僕は馬鹿野郎だが、それほど頭は弱く無いぞ。とは言うモノの、同じ意味で頭が弱いけれどね。


という事で、夏学期分の成績を晒します。
--------------------
HIST 2610 - U S TO 1865 ------- C 3.00
MATH 1780 - PROBABILITY ------- A 3.00
MATH 2700 - LIN ALG&VECTR GEO - A 3.00
PSCI 1040 - AMERICAN GOV ------ B 3.00


Current GPA ---- 3.250
Cumulative GPA - 3.666


累積単位数 - 57.000
--------------------
一行反省。C取っちゃったよここで。終わり。
夏学期だけでは3.25と。3.5への収束が大分早まったような気がしますが、気のせいで終わるといいですね。一行で終わって無いじゃない。



数学を後2クラス履修すれば副専攻扱いになるので、来年の夏までにはそうなっていると思います。「副専攻」と言うよく分からないモノ、そして「数学」と、社会に出る人間にとって何の役に立つのかは分かりませんが、僕が楽しければそれでいいのでやる気はそれなりにあったりする。そして誰が社会に出るかコラ。引き続きパトロン募集。
順当に行けば、秋学期が終わった後に累積単位数が72になる筈。卒業に134か131単位(どちらなのか分かっていないのでアドバイザーに聞くべきである)必要。入学して2年終わりで、半分は終わるだろう、といった感じ。
「日本語」のテストを受けて、「外国語」の単位を浮かそうとなさる日本人の方々が少なからずいらっしゃるけれど、「それもつまらないなぁ」と思うのでその手は使わないでおこうと思う。が、学科が要求する外国語の授業2つが2つとも、基礎ではなく応用(?)の授業であるため、基礎の2クラスを取り、その後に応用の2クラスを取るお金がどうも無いらしい僕は、それの代用になる「英語」のクラスを取ることになりそうだ。ちゃんと書けてるのか?面倒そうではあるけれど、中々に興味深い授業なので楽しみ。とは言っても、授業の名前しかしらないけれど。ドイツ語、やってみたいけどな。ファイエルー。アッソ、と言うべきだったな。



つまらない事を言うのに何の抵抗も無いですね。つまる事なんて無いのだから構うまいとも思うのだけれど。でもやはり、とループして「またかよ」と突っ込まれるのを今回は避けてみようと思う。


ドイツ語と日本語で「アッソ」は同じ意味。らしいですけれども本当なのかな。瀧さんを疑うわけじゃないのよ。ただ、なんとなく。


終わり。