苦言かな
吹かす。好きなように取ればよい。
全てを疑った後に、「こうして疑っている私自身は確かに存在しているのだ」と言った大昔の哲学者がいた。悪いけれども、そんな場所は既に通り過ぎてきている。
それも一つだから、それで好いのであればそれで好い。けれど、「御約束」達で成り立っている世界を止めて、それらを全部無くせと言っているのだ、僕は。そこに生まれるのは何か。混沌と呼ばれるモノか。無と名付けられたモノか。そもそもそれはモノなのか。ソレなぞと言う指示語を与えることが出来るのか。存在を超えた存在、"本当の存在"なのか。一体何なのか。
で、それはまた巡ってしまうことになる。けれど、重ねていけば、"本当の"ソレに近づくことくらいは出来るのではなかろうか。
で、またループなんだけども。
こうして苦しんでいる人間に向かって、「何が楽しいの、死ねば」と言える人間がいる事が面白いと思う。悪いけれども、楽しんでいるのでね。他人が考える以上に苦しんでいるし、苦しんでいないのだろうが。他人ってのは個のコトだけど、それを言い出すと「個=集」も出てくるので、巡ってしまうので止める。
言い切る。何にも分かって無いね。「何も分かっていない=全て分かっている」を持ち出す時の「分かっていない」では無くて、世間一般の、下劣で低俗な「分かっていない」なのだ。けれどもそれも前記の「分かっていない」と同値であるので憤慨した所でどうにもならないのだけれど。言うなれば「中途半端」なんだよ。自己満足を超えたところにある自己満足、そこまで到達出来ていないし、する気も無いみたいですね、多くの人間は。じゃあここで聞こう。「何が楽しいの、死ねば」
君達、「断定」好きだろ?
君達、完全とか完璧とかを探すフリくらいしろよ。そんなんで何が楽しいのよ、本当に。