3週連続3つのスクーリングを終えました。
90分×4コマの3日連続を3週間続けました。
去年は、1日でもきつかったんだけど、人間なれるものです。
ただ、毎回、最終日の午後は、先生も生徒もただ「必死」な感じになります。
3つのうち2つの授業はとってもすばらしくて、
1時間のうち何回も、何かが剥がれる感じだったんだけど、
最後の1つは、残念な感じでした。
社会人になって一番変わるのは時間に対する意識かなぁ、と。
学生の時は、時間は自分の味方で、ゆるゆると流れていて、
その中を泳いで、気がつくと試験の時期だったり、
それを乗り越えると長期の休みだったり。
あまり変化のない日々の中、気ままに贅沢な無駄使いをしていたのかも。
社会人になって、仕事以外の時間で何かをしようとすると、
時間は作り出さないとならないものになる。
たっぷりあるわけではない時間を、休息にあてるのか、遊びにあてるのか、
または勉強にあてるのか。
何をやるにも、それなりの対価を求めたくなる。
美味しいものは、やっぱり美味しいものを食べたいし、
休息目的の旅行は、のんびりくつろげるものにしたい。
ムチうって決意した勉強という選択肢の場合、
その対価への期待も高くなる。
時間とお金を使っただけのものを期待してしまうし、
それは意識も期待値も学生の時とは雲泥の差になるのは、
当然だとおもうけど。
それを全く理解できてない、自分の学生気分をそのまま引きづった先生だったので、
非常に不愉快でした。
この不愉快さを共有できる人が隣の席にいたのが救いで、
ランチにうっぷん晴らしをしていました。
その先生は、ある程度世間にも名がでているらしくて、
もうきっと自分の大人になりきれてない部分に気づくことなく、
「先生」といわれて歳をとっていくんだろうなぁ、と。
そう思うと「先生」って怖い言葉だなぁと。
そこで自分の成長を上乗せして勘違いしてしまった人は、
「先生」と呼ばれることで、先生になったと思ってしまう。
先を生きるから、先生なんじゃないかなぁ、と。
大変だろうけど。
少なくとも、先を生きようとする心意気と、
現状の自分を客観視することは必要なんじゃないかなぁ、
などと、久しぶりに見た大人になれない大人を前に
ちょっと辛口な気分になりました。
*今日お花に行ったら、豆柿とリンドウでした。
コスモスなんかもあって、すっかり秋です。

