車に着く頃には小夜ちゃんは現実世界に戻ったみたいで、自分でさっさと助手席に乗り込んだ。でも乗ったらすぐに地図を広げて待つのはちょっと失礼じゃない?確かに道を間違えたのは俺だけどさぁ。まぁ間違えなければいいか。取り敢えず走り出そう。帰りはちゃんと高速の入り口まで看板が出てるしね。
「どうしよっか。ちょうどいい時間だから、向こうに戻ってからご飯にして、そのあと市役所に行こうか」
 うなずく小夜ちゃん。運転中にうなずかれても確認するのにわき見運転になるんですが…。雰囲気で察しろという事なのかな?
「何が食べたい?嫌いなものはある?」
 今度は首を振る。本当かどうかわからないけど、嫌いな食べ物はないって事でいいんだよね。どうしようかなぁ、ほんとこう言う時って困るよね。無難なファミレスでいいか。
 後ろから来る全ての車に追い抜かされながらも無事に道に迷うことなく市役所の近くのファミレスへ到着。知ってる道なら迷いません。だから助手席で一生懸命地図を追わなくても大丈夫なんですよ、小夜ちゃん。
 ファミレスではちょうどお昼過ぎだったため、案内待ちの先客が4組程。店員さんに確認すると15~20分程で案内が出来るそうなので、小夜ちゃんに決めてもらいましょう。
「待てる」
 はい、なら名前を書いて待つとする。別に急ぐ旅でもないしね。しばらくぼけーっと立ってると待合のソファーに座って待っていたサラリーマンの1人が席を譲ってくれた。お礼を言って小夜ちゃんに座ってもらう。そしてその前に立つ。さて、今日のこの後の予定はどうしようかな。お昼を食べて市役所に行って、小夜ちゃんの買い物に行こうかな。
「小夜ちゃん。そう言えば今朝にお願いした買い物リストは作ってくれた?」
 うつむき加減のままこちらを見ずに首を振る。あれ?作ってくれてないの?
「市役所の後に買い物に行こうと思うんだけど、欲しい物は何?取り敢えずベッドと机を買わないとね。後は細かいものとか何がほしい?」
 またしても首を振る。こちらを見上げて、目が合って、そして、
「欲しい物は無いです。机はテーブルがあるし、寝るとこは布団だけでいい。それにまだ片付いてないから」
 あっ、しまった。我が家にはリビングダイニングとベッドが置いてある8畳間、そして簡単な書斎にしていた6畳間があって、本当は8畳間を小夜ちゃんの部屋にしたかったんだけど、その部屋はリビングのすぐ隣で襖で仕切るようになってる。そして6畳間は玄関入ってすぐの扉を入ったところだから、女の子だしプライバシーとかの事を考えて6畳間にした。そして昨日の夜に本とかの簡単な荷物は移したんだけど、まだ机とかの大きいものは残したままだった。
「ごめん、忘れてた。だけど机とベッドは買おうよ。今晩片付ければベッドぐらい入るし、机を今日選んでまた明日に配送してもらえばいい事だしね」
 それでも首振る。
「本当は部屋も要らない。寝るところだけもらったら十分です」
 ったく、この子は。ちなみに昨晩に続きこのやり取りは2度目。部屋はどうする?って聞いたらいらないって言われた。
「あのねぇ、いいかい?君は俺の…」
「2名でお待ちの草野様!」
 小夜ちゃんは何事も無かったかの様に立ち上がってそそくさと店員の後ろを着いて行く。やっぱり相当な頑固者だ。後で卑怯作戦を決行して一気に畳み掛けよう。つか、家を出るまではそんなに機嫌は悪そうじゃなかったのに、家を出た時から徐々に不機嫌へ。何か癪に触るような事があったかな……思い当たる節はいっぱいだ。
「ご注文がお決まりになりましたらそちらのボタンでお呼び下さい」
 一礼して店員さんは去っていく。説得を始める前に注文を決めよう。
「小夜ちゃんは何にする?俺はとんかつ定食にするけど」
 一通りメニューを眺めて指をさす。昨日の回転寿司でも思ったけど、この子は決断が早い。迷ってる素振りも無しに決める。昨日の回転寿司ではまずは一巡を眺めて、その後は淡々と取り始めた。って言っても4皿でお腹一杯になって、後は流れてくる寿司を見て満足してたみたいだけど。やっぱり不思議な子だなぁなんて思いながら俺は呼び出しボタンを押す。遠くでピンポーンって音が鳴った。店員さんが来るのを待つ間はなぜか無言。いや、今まで一緒にいても無言の時間の方が長いから普通の事か。
「お待たせいたしました、ご注文をどうぞ」
 いえいえ、そんなに待っていませんよ。
「えーっと、ざるそばとカルボナーラのパスタセットで」
「えっ?」
 驚く小夜ちゃん。確かに小夜ちゃんが指をさしたのはカルボナーラでした。だけどどうせ聞いても遠慮するだけだから勝手にセットにしてやった。心の中でちょっとだけほくそ笑んだのはやっぱり内緒。
「野菜もちゃんと食べなきゃね。大丈夫、食べきれない分は俺が食べるから。飲み物はどうする?」
「……オレンジジュースで」
「後は、ホットコーヒーを。あっ、食後にお願いします」
「はい。ではご注文を繰り返します―――」
 わかった事がある。まだ俺に慣れてないだけかもしれないが、この子に自由選択権を与えると必要最小限の判断を下す。逆に選択権を与えず強制をすると、その強制された選択肢において最善を尽くそうとする。初めから頭に無いのか、強制された選択肢を覆そうとしない。ただし、初めに自由選択権を与えた場合、別の選択肢を強制しても初めに下した選択肢は覆そうにも簡単にはいかない。まぁ時と場合によるけど、昨日今日と半日一緒にいて感じた事。そして簡単にはいかない下した選択肢を別の選択肢に覆す時、その選択肢にする妥協点がみられて尚且つ、
「さっきの部屋の話なんだけど、やっぱり小夜ちゃんはあの部屋で、ベッドと机はちゃんと見に行って気に入ったものを買おう。そうじゃないと君が満足な生活を送れてないんじゃないかって俺が不安になるからさ。だからお願い」
「……うん」
 この様に第三者を(この場合は第二者になるけど)引き合いに出せばしぶしぶながらも折れてくれる。自分の利害の中にはもちろん相手の気持ちも含まれてて、しかも相手の気持ちの占める割合が相当高い子なので自分より相手を優先する可能性が高い。つまり、意思の異常に強い頑固者の癖に相手を気遣う気持ちが人一倍あるって事なんだけど。やっぱりいい子なんだよな。
 そんな事を考えていると早速注文の品が到着。まずはサラダから手をつける小夜ちゃん。満更でもない顔してるくせに。俺が一通り食べ終わった頃、小夜ちゃんもお腹一杯になったのか、パスタが半分ぐらい残ってる。もういいの?って聞いたら申し訳そうな顔をしながら「ごちそうさまでした」。そしてお皿が少し前に出てくる。もちろんこれを見越して少なめの注文をしたから早速頂きます。おっ、ちょっと親子っぽい?
 食事が済むと俺のコーヒーと小夜ちゃんのオレンジジュースが届けられる。それと小夜ちゃんの前にはミニイチゴパフェ。やっぱり小夜ちゃんは女の子なんだよね、お腹一杯になってたと思ったのに簡単に空にしてしまった。満足そうに頬が少しだけ緩んでるよ。こんな表情が見られるなんてやっぱり注文してよかったよ。うんうん。
 お互いお腹が満足したので、小夜ちゃんのジュースが空になったのを待ってお店を出る。
 市営駐車場に止めている車に一度戻って忘れずに家から持ってきた養子縁組届出と午前中に堺さんから貰った書類を持って、市役所へ向かう。なんか緊張し始めてきたな。

 しばらく歩くと市役所が見えてきた。役所なんて何年ぶりだろう。今の家に引っ越す時に住所変更をした時以来だから5年前か。そう考えれば俺も歳をとったもんだ。
 自動ドアをくぐり2階の受付窓口へ向かうとたくさんの人がいる。こりゃ大繁盛だね。えーっと戸籍の窓口は4番か。番号札を取って待ち人数を確認。「12番目」って表示がしているって事は整理券を取った後だから11番目か。だいぶ待たないといけないな。
「かなり時間がかかりそうだね。どうする?どこかで遊んでくる?」
 俺を見上げて首を振る。それじゃちょうど2人分のソファーが空いてるとこがあったので、そこに座って待とうか。
 10分経過。俺はもともと待つ事が嫌いじゃなくて、ボケーっとしていられるから問題無いけど、小夜ちゃんは暇じゃないだろうか。隣でソファーに奥深くまで座って、浮いた足をぶらぶらさせてるし。
「暇じゃない?何か飲み物でも買ってこようか?」
 一応首を振ってから、「大丈夫」だって。そりゃさっきまでファミレスにいたしね。
 結局その後15分してようやく自分の番号が呼び出された。小夜ちゃんに待っててもらって、窓口へ向かいおねがいしますと全ての書類を渡す。窓口のお姉さんが書類を一つ一つチェックしてる間、近年稀に見る緊張が。身分証明となるものはお持ちですか?と聞かれたので免許証を渡す。ではお掛けになってお待ちください、だって。小夜ちゃんの元に戻ると小夜ちゃんの顔も強張ってる。
 その後も20分程待って突然、「草野さーん、草野寝勒さーん!」あっ、はいはい。最後の窓口へ向かう。
「お待たせしました。まずは免許証をお返しいたします。養子縁組届けを受理いたしましたので本日より小夜さんは草野寝勒さんの養女となります。こちらが証明書となりますので保管をお願いいたします」
「あっ、はい。ありがとうございます」
 若干声が上擦ったのはご愛嬌。振り返って不安そうな顔をしている小夜ちゃんに微笑む。ほっとした顔をして肩の力が抜けるのが見て取れた。やっぱり小夜ちゃんも緊張してたんだね。立ち上がってこちらに小走りに駆けてくる。お互い近くまできて市役所を黙って出る。そして市役所の自動ドアをくぐったところで、

「小夜ちゃん。本日よりあなたは草野小夜です。草野寝勒の娘となりました。至らない親ですが今後ともよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」

 って、二人してお辞儀をする。しばらく頭を下げてどちらからともなく顔を上げる。
「それじゃ行こうか」
 そう促して歩き始めた時、真っ先にしないといけない事を思い出した。電話だ。
「ごめん、小夜ちゃん。忘れてた事を思い出した。今晩ちょっと小夜ちゃんを紹介しないといけない人がいるんだけどいいかな?」
 小夜ちゃんはちょっとだけきょとんとした表情を浮かべて、うなずく。
「ごめんね、真っ先にしないとうるさい人だから」
 そう言いながら携帯を取り出して電話を掛けはじめる。

プップップッ―――トゥル、ガチャ!
『おう、どうした』
「はやっ!仕事中にすいません課長、今いいですか?」
『いいぞ』
「今晩なんですけど、伺っていいですか?紹介したい女の子がいるんですが」
『なにぃっ!!!ほんとかぁっ!!!!』
 いっってぇ!脳みそ揺らされたじゃん。声がでかいよ。耳がキーンってする。
「はい」
『なんだ、今日の野暮用って役所の事じゃねぇだろうな!!えぇ!?』
「はい、今さっき戸籍・・・」
『バカヤロォ!!!!何でもっと早く言わねぇんだ!!!!何時だ!!?』
 だから声がでかいって。受話器をかなり離しておいてよかった。
「飯食ってから行くので8時ぐらいですかね」
『よし。飯食わずに5時な』
「いえ、買い物とかあるの…」
『5時だぞ!わかったな!!それじゃ家でな!!!』
ガチャ―――ツーツーツー

 …強引すぎでしょ。
「ごめん、今日の買い物中止になっちゃった」
「朝の人?」
「うん、上司。えーっと、今3時だから…中途半端だな。家に帰って片づけをしようか」
 小夜ちゃんが頷いたのを確認して歩き出す。まだ耳鳴りがするよ、声がでかいんだって。ってかね、

 うちの会社の定時は5時半なんですが、あの人は5時に家にいるつもりなんだろうか……。

 初日の朝食の後、ちょっとしたバタバタはあったものの、適当に身支度をして出かける準備をする。小夜ちゃんは前の家から色々なものを持って来てて、洋服なんかはもちろんの事、割烹着を筆頭に歯ブラシや自分の箸、スリッパや座布団まで持って来てたのはびっくりした。なんかやっぱり不思議な子?
 昨日の夜に代理人とやらの弁護士へ連絡を入れたら早速午前中に来て欲しいってさ。きっとせっかちな人なんだね。隣の県とは言えど高速で片道1時間弱だから、まぁ遠くはない。さっさと行ってさっさと済ませて来よう。
 さぁ頑張れ!おんぼろマイカーよ!!ってな訳で、何年現役で走っているのかわからない軽自動車でトロトロと走っていく。そろそろ買い換えないとなぁ…。まぁ愛車を見た時の小夜ちゃんの顔は面白かったけどね。驚愕とか唖然って感じでさ。
 高速を降りて市街地を走っていく。目的地はどうも大きな駅の駅前らしいので駅に向かって走ってると……


 ここどこ?
 ねえ?
 田んぼがいっぱいだよ?
 なんか山道に入っていくよ?
 なんで横で冷たい目をしてるの?


 うーん、どうしたものか。取り敢えず持ってきた地図と睨めっこしてみる。うーん、ぷぷっ!笑ってしまったとたん、すごい勢いで横から無言で奪われた。んで少しして、
「こっち」
 って後ろを指差すの。えっとすごく怖いです小夜さん。そのまま小夜ちゃんが右やら右やら左やらの指差す方向へ向かっていくと、目の前には目的の駅の看板が。ちょっと!すごいよこの子、すごいよ!
「すごいねぇ、小夜ちゃんって地図が読めるんだ。よくわかるねぇ、左行ったり上に行ったり。俺なんてどっちに向いてるかわかんないもん。いつも地図が3回転ぐらいしちゃうよ、あはははは…。ごめん」
 乾いた笑いを向ける男に呆れ顔の子供の図。えっと父親ポイント減点2ぐらい?
 それでは気を取り直して、弁護士の事務所へ。住所を頼りに小夜ちゃん様の先導で歩く。いやね、昔から方向感覚が無いとは言われてたから、極力一人で知らない場所へ行かないようにしてたんだよ。だから小夜ちゃんに任せて歩いていると、突然小夜ちゃん停止。おっと、到着ですか。目の前にはすごい高くて綺麗なビル。壁がガラスで出来てます。すごくキラキラしてます。
「これ?」
 俺が指を差して確認をすると、首を横に振る。なんだ違うのか。じゃあ今度は右側にあるビルを指差して、
「これ?」
 今度は縦に首を振る。って事はもしかして塗装の剥げかけてるこの4階建てのビルですか。まぁなんと言いますか…廃墟ですね。崩れないかな、すごい心配なんだけど。まぁしょうがない。入るとするか。名刺の住所を小夜ちゃんに見せてもらったら3階ってなってる。取り敢えず上がりましょうか。玄関口のテナント案内には一つも札がかかってなかったけど。
「あっ、気をつけてね。色々落ちてるから。踏んじゃうと捻挫して転げ落ちちゃうよ」
 一度だけ大きく首を縦に振る。小夜ちゃんも意を決したみたい。小夜ちゃんの手を引きながらゆっくりと階段を上っていく。ちょっと照明さん、明かりが暗いよ!こっちにもっと当てて!!なんて冗談はさておき。ようやく3階の扉の前へ。…どうみても防火扉でしょこれ。本当に人がいるのか?心配になってきた。まぁここで引き返してもしょうがないから、脇にある小さな扉からくぐると今度は木で出来た扉にすりガラスがはめられた入り口がありました。中に明かりが灯ってるから人はいるみたいだね。一度小夜ちゃんに目配せをしてから扉をノック。ゆっくりと扉を引いて隙間から中を覗き込みながら、
「失礼しまーす。昨晩連絡しました草野ですが…」
 恐る恐るになったのはしょうがない。ぼろぼろのカーペットにぼろぼろの本やら色々な物が床に落ちてて埃で真っ白くなってるし。顔を上げてみると一番奥の窓際に人が立ってる。この人が弁護士?
「あぁ、はい。お待ちしておりました。どうぞ中へ」
 どうぞ中へと言われても、わかりましたと入れる雰囲気じゃないんですが。また小夜ちゃんと目配せ。さぁ入りましょうか。その前に出来ればまずはマスクをください。
「草野さんと小夜さんですね。どうぞお座りください」
 と案内されたのは室内の真ん中にある応接セット。一応このソファーには埃が溜まってないみたいだから掃除はしてあるみたい。取り敢えず案内されるがままにソファーへと座る。そして弁護士は向かいのソファーへ。高そうなスーツを着て、銀色の細長いメガネをしてる。いかにもインテリって感じだね。
「小夜さんの法定代理人となります、堺と申します。誤解のなきよう先に申し上げておきますが、ここは私の事務所ではございませんので悪しからず。では早速ご説明をいたします。草野さんは小夜さんを養子にされるという事でよろしいですね。養子縁組届出を提出されれば戸籍上は草野さんと小夜さんは親子となります。本来は特別養子縁組を行いたいのですが、草野さんが独身者の為、まずは通常の養子縁組を行います。また先々において養子縁組を解消する事も可能です。その際は私にお申し出ください。改めて手続きとご説明をいたします。それでは養子縁組届出の養親の欄にご記入頂いていると思いますので全ての記入が終わった事とします。こちらは草野さんと小夜さんの戸籍謄本です。そしてこちらは家庭裁判所の許可証ですのでお持ちください。ともに届出を出される際に一緒に提出をしてください。尚、提出出来るのは養親、養子のいずれかの本籍地または所在地の市町村役場となりますのでご注意ください。ご説明は以上です。なにかご質問はございますか?」
 えーっと、早すぎて頭に入りません。息継ぎはどうしてたのですか?法定代理人の依頼はやっぱり小夜ちゃんの叔母さん?特別養子縁組って何?家庭裁判所の許可証って本人が申請するのでは?公文書偽造?あなたの左胸にあるバッチは本物ですか?まずはどれから質問しよう等と考えていると、
「質問はございませんね。お困りな事がございましたら何なりとお申し出下さい。連絡先はご存知ですね?それではよい生活を送ってください。あと、お帰りの際は足元にご注意ください、なにかと老朽化の進んだ建物ですので。ではまたのご連絡をお待ちしております」
 ささっどうぞっていつの間にか書類の入った封筒を小夜ちゃんに持たせて矢継早に追い出されたんですが。後ろでは扉を閉めて鍵をかけた音もしてるし。なにこれ。小夜ちゃんもポカーンってしてるし。まぁいつまでもここに居てもしょうがないから戻りましょうか。小夜ちゃんの手を引いてまた防火扉の脇の扉から出て薄暗い階段を降りて外に出る。異次元からただいま。なんだか日差しが眩しいんですが。
「うーんと、帰ろっか。お腹すいたねぇ」
 小夜ちゃんからのリアクションなし。そりゃあんな巻くしたてられて追い出されれば放心するよね。

 なんか周りがやかましくて目が覚めた。しかもソファーで。ちょうどいいからテーブルに手を伸ばしてタバコに火を着けて一気に煙を吸い込む。ぷはぁ~。まだ目が半分しか開いてないけど頭がちょっとづつ動いてきたかな。さっきから台所がやかましい。しかもそこから声がする。誰か昨日泊めたか?ソファーで寝てたし。もう一度煙を深々と吸い込んで、ぷはぁ~。今度は横から「おはようございます」の声。あれ、この声ってたしか…。
「おっおはようっ!」
 本気で焦った、いるのは小夜ちゃんだし。おかげでばっちり目が覚めたけど、ついでに背筋も伸びた。
「おはようございます。起こしてごめんなさい。あと勝手に台所使ってます。えっと、もうすぐ出来ますけど…」
「あっうん、わかった。だけど後5分待って。これ吸ってから」
「はい。出来るだけ急いでください」
「はい」
 朝起きて誰か居るなんて事が滅多にない家だから、本当に焦ったわけで。しかも相手が小夜ちゃんで、初日から失態気味って恥ずかしい。まぁなんだ、格好つけちゃいけない相手だからいいんだけどね。んで、台所を見ると小夜ちゃんが目玉焼きを焼いてる。身長が少し足りてない気がしないでもないけど、あのエプロンは自分で持ってきたやつだな。赤い可愛いエプロンをしてる。でもかなり大きめで袖まであるから、あれは割烹着?
 でもよかった、一人暮らしが長くてある程度の料理はして来たから一応道具も最低限は揃ってるし今のところは不自由しなくて済むかな。あと何が必要だろう、家に女性が居た記憶なんて母親以来だし、小夜ちゃんと相談しないといけないな。ってか、俺は早速朝ごはんを作ってもらってるのか…。父親ポイント減点1。
 タバコを灰皿へもみ消して、顔を洗って、テーブルに座る。もともとテーブルも二人がけを買ってたから丁度よかった。
 目の前にはトーストと目玉焼き、ベーコンにちょっとしたサラダとコーヒーも淹れてくれてるみたい。って言ってもコーヒーはめんどくさい時用のインスタントもあるから、インスタントなんだろうけど。ちゃんと自分の分は紅茶を淹れてる。紅茶はティーパックしかないから、今日はちゃんと買ってこないとな、ティーポットも。つか、トーストにマーガリンまで塗ってくれてるとは、なんという教育。
「朝ごはんありがと、そこまでして貰わなくてもよかったのに。だけど色々な物の場所とかよくわかったね」
「思ったより片付いてたから。でもコーヒーのミルクが見つからなくて…」
 そう言いながら向かいに座る。しまった、台所よりのそっちに座るべきだったな。コーヒーがこちら側に置いてあったから無意識に座っちゃったけど、これからの定位置になりかねない。イス取りゲーム1回戦は小夜ちゃんの勝ちか。
「それなら探しても無いよ。俺、何も入れないから。それじゃいただきます」
「えっ!?」
 早速コーヒーに口をつけた瞬間、甘い…。そうか、昨日はこの子の前でコーヒーは飲んでなかったから。紅茶には砂糖は入れるけど、コーヒーには入れないなんて普通はわからないよね。
「ごめんなさい。すぐに…」
「いいよ、いいよ。たまにはね。でも今まで全部やってたの?」
 さすがに用意しすぎでしょ。今までどんな生活をしてたの?この小学生。トーストをかじりながら聞いてみるんだけど、
「まぁ…」
 昨日の夜もそうなんだけど、今までの事を話そうとしない。それに妙に大人びた物腰と口調だし、敬語はいらないって言ってるのにこれが慣れてるとかで。ところどころなりきれてない所は小学生らしいっちゃらしいけど、そのうちなんとかなるかなぁ。
「食事の最中であれなんだけど、今日は色々と行くとこがいっぱいあるんだ」
「…はい」
 なんでそんな恐縮。昨日の今日で自分らしく、小学生らしく居て欲しいってのは無理だと思うけど、さすがに気を使いすぎのような気がする、コーヒーの件も含めてね。昨日の夜も俺がソファーで寝るからベッドで寝てくれって言ったら、自分がソファーで寝るってしばらく続いたっけ。もうしばらく様子を見るとするか。
「それで、色々な手続きをするんだけど、ついでに買い物も行きたい。小夜ちゃんが必要なものを教えて欲しいから忘れないように後でメモしておいて欲しいんだ。それと家事の分担もね。このままだと小夜ちゃんが全部やっちゃいそうだから」
 途中途中頷いてた小夜ちゃんだけど、
「やる。全部やります!」
 いやだからね。多分、簡単な料理とかは出来るんだろうけど、他の家事もできるかな?それにやっぱり『家においてもらってる』って思ってるんだろうか。だとしたら余計に、
「ダーメ、分担。小夜ちゃんが例え全部出来るんだとしても、小夜ちゃんの本業は勉強する事。もし近い将来にこの家を出て行くんだとしたら、後に相当響くよ。だから今は勉強する事を一生懸命やるの。ただ、俺だって帰りが遅い日もあるし、週末にまとめて洗濯したりしてるから万全に出来るわけじゃない、親としては失格なのかもしれないけど。だから小夜ちゃんにも手伝ってもらう。これから一緒に生活していくんだから一緒にやっていこう、ね?わかったらよく噛んで食べよう」
 なんて、しぶしぶ頷いてはくれたんだけど、トーストを頬張り目玉焼きを口に含みながら言っても説得力が無いか。まぁもともと威厳のあるタイプの人間でもないからいいんだけど。
 そんなこんなでお互い食事も終わり、食器を洗わないといけないんだけど、時計を見れば8時30分を廻ったとこ。まずは会社に電話を入れないと。でも何て言えばいいんだろう。いきなり結婚もしてないのに「娘が出来ました」じゃ変な疑いをもたれるから、無難に「妹が来てて」ってでもいいけど、「妹なんていたか?」って事になりかねないからなぁ。取り敢えず体調不良にして、また後で詳しく話をするか。って事で、会社に電話してもまだ課長はいないだろうから、課長の携帯へ。
「おはようございます」
『おはよう。なんだ?寝坊か?体調不良か?一日休むか?』
 なんと物分りのいい上司。やっぱりここは正直に話そう。
「すみません、実は色々と野暮用が出来て、明日まで休みを頂きたいです。詳しくは後で話をするので…」
『おう、わかった。体調不良って事にしとくからさっさと済ませろよ。やり残しの仕事はあるか?』
「いえ、多分大丈夫です。もし何か入ったら対応をお願いします。明後日にはすべてやりますので」
『わかった。んじゃ気を付けてな』
「はい。ありがとうございます。それでは」
 相変わらずすばらしい上司。これで仕事も出来るんだから言う事なし。しかも奥さんは美人だし、息子さんもかっこいいし、特に娘さんは可愛いから文句の付けようが無い。でも娘自慢は今日から参戦するけどね。そんな事より、
「だから小夜ちゃん!洗い物はしなくていいってば!」
 ったく、今度は聞く耳持ちませんって顔してるし。相当な頑固者だ。こりゃ本格的に分担を決めないと。
 そんな感じで初日の朝は終わった訳で、大分先手を取られたな。これから少しは気を引き締めていかないと…。

 今日も仕事が休みだから昼に起きたんだ。
 寝たのも遅かったし、外も雨降ってるから暗くて寝易いし、それに夢の世界はすばらしいからね。
 んで、いつまでの現実逃避はいかん!とだらだら起きて、だらだらコーヒー淹れて、ぼけーっとしてたんだ。
 そうしたらチャイムが鳴るわけ、玄関の。
 居留守を決め込もうか悩んだけど、宅配便かな?とか思いつつインターフォンを見たんだ。
 うちのインターフォンはカメラ付だから取り敢えず画面を見たのね。
 んでも、誰も映ってないわけ。外のいつもの風景しか映ってなくて、間違えたのかな?って思って家の中に戻ったんだ。
 でもまたしばらくすると、ピンポーン!!って鳴るの。
 でも画面には映ってなくて、いたずらかと思ったんだ。
 無視してるとまた鳴るの、ピンポーン!!って。
 いい加減鬱陶しいから玄関のチェーンって言うの?あの棒みたいなやつをつけたまま少しだけ扉を開けたの。
 んで、隙間から可愛い小学生ぐらいの女の子。泣きそうな顔でこっちを見るの。しかもびしょ濡れ。
 こっちは「??」ってなってキョドっちゃたんだけど、でもさすがに可哀想だからドアを開けなおしたんだ。今思えば危険だよね、ドアの影に人がいたかもしれない訳だし、でもその時は焦ってたからね。
 んで、えーっと・・・って声をかけたらその子、俯いたかと思ったらいきなり泣き出すの。
 え?えっ?ってこっちはパニック。
 一応周りを見たんだけど誰もいないってか、その子の荷物みたいなのが玄関先にあるし。キャスター付の大きいのと、スポーツバック。その子も赤いランドセルを背負ってるし。
 取り敢えず泣いてちゃわからん。とその子をなだめてたの。
 お嬢ちゃんの名前は?とかいくつ?とか聞いたんだけど返事なし。
 しかも段々ひどくなって時々嗚咽とか聞こえるの。
 外は雨降ってるし若干寒いし、しばらく悩んだけどご近所さんに見られたら大変だから家に上げたの。荷物と一緒に一旦ダイニングへ。その子はテーブルに座らせてと。
 ティーパックだけど紅茶を淹れてあげて、びしょ濡れだからタオルを渡したんだけど俯いたままで受け取ってくれなくて、しょうがないから頭だけ拭いてあげたんだけど、びしょ濡れの服は・・・もちろん着替えなんて家にはないから保留。本当は風邪をひかれても困るからシャワーでも入ってもらいたいけど、知らない子を自分の風呂に入れるとかやばいでしょ、通報されたら一発アウト。
 んで、もちろんそこから沈黙。いやぁ、長かったよ。一通り親は?とか聞いてみたんだけど俯いてるだけ、返事なし。まぁ泣き止んではいたからいいんだけど。
 手持ち無沙汰で色々考えたんだけど、親戚にはこの年代の女の子なんていないし、いくら思い出しても見覚えはないし。迷子?でも荷物からして家出っぽい。だけど、そんな事する感じの子じゃないし、それになんで俺?もしかしてこのマンションを順番に?親が捜してるんじゃないか?もしかすると俺、誘拐犯になる?とか訳わかんない事になってたんだけど。
 そうこうしてるとようやく飲み物を口につけてくれて。
 時間にすると30分弱ってとこだけど、体感は2、3時間は経過したね。
 落ち着いてきたみたいで、一安心してたとこで、その子に渡されたの、封筒。
 ホント普通の封筒に名前が書いてあって、もちろん俺の名前になってるんだけど、裏には見ず知らずの女の人の名前。
 怪しさ満点なんだけど、しぶしぶ開けてまずは手紙、ざっと20枚オーバーしてるし。
 この手紙の内容が目を疑ったとかそんなレベルじゃなくて、もう本格的に作り話。
 要約すると、


・この子の名前は小夜[さよ]10歳。小学校5年生。
・手紙の差出人は母親の叔母。
・母親は蒸発し、生死不明。
・叔母は病気を患い入院している。
・叔母が亡くなると小夜ちゃんは孤立無縁になる。
・この子は俺の父親の子らしい。(俺の両親は6年前に他界)
・俺の事は興信所で調べさせてもらった。
・この子が成人するまで俺の養子にして欲しい。
・成人したら離縁しても構わない。
・いくらか生活費はこの子が持ってる。


 手紙と一緒に養子縁組の届出と、後見人の弁護士の名刺と、転校手続きの書類3つと、銀行の通帳が入ってて、養子縁組届出は養親を記入するだけ。弁護士は隣の県。転校手続きの書類は証明書とか入ってるけど、提出先は俺の家の近くらしい。通帳はこの子名義で6千万ぐらい(正直焦った)。
 つまり、俺の腹違いの妹を養子にして後10年住まわせて欲しい。ってのが要求で、無茶なお願いを謝る内容が節々にあって、理想は特別養子にしたいけど、養子にするのは遺産とかの関係?で戸籍上からもこの子を守りたいとの事で、施設には絶対に預けたくないらしい。
 つか、興信所で俺の事を調べたってなんだそりゃ。まぁその事も謝ってるからいいんだけど、調べられて困る事はないはずだし。
 一通り渡された封筒の中身を確認し終わって、状況が読めてくるまで大分時間がかかったんだけど、その間じっとこっちを不安そうに見てる小夜ちゃんで居た堪れなかったんだけど、ごめんね馬鹿で。
 まぁ、普通に拒否の方向で。妹とは言え、いきなり見ず知らずの16歳も下の女の子と生活出来ないし、10年間はこの子の保護者をやらないといけないなんてね。
 それで話を進めていったんだ。


「えーっと、小夜…ちゃんだね?」
 うなずく。よかった本人で。
「叔母さんのとこから一人で来たの?」
 肯定。あの荷物を持ってよくきたなぁ、って思ったんだけど後から聞いたら途中までタクシーだったみたい。
「この手紙の内容は知ってる?」
 首を縦に振る。やっぱりか・・・。
「えっと、叔母さんと話がしたいんだけど?」
 今度は首を横に振る。
「連絡先がわからない?」
 今度も否定。そりゃそこから来たんだからね。
「じゃあ、入院先の病院を教えて」
 否定。って事は…。
「病院がわからない?」
 やっぱり否定。
 連絡先はわかるけど、話が出来ない。入院先の病院は知ってるけどって事は…。
「入院してた病院は教えられない?」
 チェックメイト。涙を堪えながら首を横に振るんだよね。
 つか、否定しちゃったよ。あーあ、最悪の状況じゃない事を祈りつつ、一応最終確認。
「もしかして…亡くなった?」
 確認はいらなかったみたいで、俯いて小刻みに震えちゃったんだけど…。
 って事はこの手紙は遺言になっちゃた訳で、小夜ちゃんは孤立無縁になったって訳だ。いや、俺が兄って話だから孤立無縁ってわけじゃないのか。
 一応、謝って、しばらく間をおいて話を進めたんだ。
「弁護士の人は知ってる人なの?」
 否定。
「小夜ちゃんはいいの?いきなり見ず知らずの男の家で生活するなんて」
「…………」
 はい、無言です。そりゃそうだよ。いくらなんでもそれはおかしい。そう言われたからって「はい、わかりました」なんてならないし、兄とは言えどこの馬の骨ともわからない男と生活とかあり得ない。しかも、俺は本当に兄なのかすら怪しいし。施設は駄目だって書いてあったけど、最悪の状況でも本人の意思を尊重しないとね。
 んじゃ、まずは弁護士の所に連絡して、どう申請すればいいか相談してって考えてたら小夜ちゃんがきちんと座りなおして、俯いてた顔を上げてしっかりと真剣な目でこっちを見つめるの。んで、


「小夜と言います。高校生になったら早く一人暮らしをします。迷惑をかけないように頑張ります。邪魔にならないようにします。それまで置いてください。お願いします」


 って頭を下げるの。実はさっきのチェックメイトはチェックされたって宣言だったりして。だってそうでしょ?小さな女の子が雨の中、一人で尋ねて来て頼る人はあなたしかいませんって言ってるんだよ。しかも聞けば腹違いの妹だって言うし。まぁ言われてみれば、自分の父親の負の遺産を受け取ったって事で、自分が出来ることがあるんなら手を貸してもいいかなって思うでしょ。
 それに小夜ちゃんの、叔母さんが亡くなった悲しさや、見ず知らずの兄だって言われた家を尋ねる時の怖さ、もう戻る家がない寂しさ、これから生きていく心細さを考えれば…。
 だからこの時、何も考えないで自然と笑顔になって本心が出たんだと思う。


「取り敢えず、シャワーを浴びておいで。今更だけど風邪を引いたら大変だからさ。あと、せっかく家族が増えたんだからお祝いをしないとね。外に食べに行くから好きなものを考えておいてね。ほらほら、泣かない泣かない。それと一つだけ約束して欲しいんだけど、絶対に我慢はしないで。多少のわがままも聞くつもりだし。俺は君の兄貴で、君は俺の娘だからさ。ほらこの家は小夜ちゃんの物でもあるし、まぁ俺も借りてる家なんだけど、焦ってすぐに出て行かないでいいよ。俺からもよろしくね。二人しか居ない家族だけど楽しい毎日を過ごそう、ね?」


 小夜ちゃん顔を上げて驚いた表情で泣いてた。最後には号泣。顔をクッシャクシャにして嗚咽で声にならないけど、ありがとうって言ってくれたみたい。時間も時間だったからさっさと小夜ちゃんをお風呂に入れて、ちょうど2部屋あるから帰ったら1部屋片付けないとなぁ。取り敢えず今日の俺はソファーで寝ないと。あと、女の子って何が必要なの?明日と明後日仕事休んで一緒に買いに行ってって、その前に役所に行かないと。あっ、弁護士にも連絡しないと。明日からしばらくは忙しくなるなぁ。学校は一先ず来週ぐらいでいいかな?なんてワクワクしてたのはここだけの内緒の話。ちなみにその夜の小夜ちゃんのリクエストは回転寿司。遠慮するなって言ったのに「廻ってるお寿司を見てるのが楽しい」だって。


 色々判断が早計な約束をしたもんだと思うけど、小夜ちゃんの佇まいって言うのか、初めは確かに話が進まなくてイライラした事は否定できないけど、でもやっぱりこの歳で意を決しての目を見ればこの子が悪い子ではないと思うし。結果論だけど、それからも色々あって本気でこの子を守らないといけなかったりしたんだけど、この時の決断は間違ってないと今でも思ってる。