忙しそうに動き回っている店員さんを眺めながら注文の品が届くのを待つ。相変わらず2人の間には会話がないんだよねぇ。って言っても小夜ちゃんから話題を振られる事が今まで無いってだけだけど。別に俺も無言が嫌いって訳じゃないからいいんだけどさ。それじゃ早速話題を振りますか。
「小夜ちゃん、学校はどうだった?」
 厨房の方を眺めてた視線を俺に向ける。きっと答えは普通って返ってくるよ。
「普通だった。みんなに囲まれて大変だったけど」
 おお!一言で終わらなかった!奇跡だ!奇跡が起きたぞー!!
「そうかぁ。転校生は人気者だからね。みんなに何を聞かれたの?」
「どこから来たの?とか、部活は何をしてた?とか、好きな芸能人はだれ?とか」
 あぁ、小学生らしいなぁ。
「それで、なんて答えたの?」
 指を順に折りながら、
「隣の県。やってない。テレビ見ない。聞かない。好きじゃない。そんな事無い。・・・後は憶えてない」
 えーっと、質問がわからない答えがあるんですが、気づいてるのかなぁ。それともわざと?それにそのまま答えたのかなぁ。すごいぶっきらぼうなんだけど・・・。
「そのあと、クラスの人が学校を案内してくれた。でも一回で憶えれなかった」
 そうそう、あれって絶対に憶えられないよね。それをわかってて案内してるのかなぁ。たぶん、してないね。見取り図を渡されてもわかる訳ないよ。
「そうだよねぇ。俺なんか大学生になっても教室の場所とかわからなかったからね」
 それ故に何度講義に遅れたことか・・・。代返を常に頼んでたから何とかなったけど。ねぇ、小夜ちゃん。その目は何?
 相変わらずの無言で俺を見てる小夜ちゃんを横目に、まずはサラダとガーリックトーストが届けられた。小夜ちゃんはそのサラダを小皿に取り分けて、俺に差し出してくれる。
「ありがと。小夜ちゃんもいっぱい食べてね。はい、フォーク」
 小夜ちゃんの分が取り分けられたのを待ってフォークを渡す。生ハムかぁ、こいつをメロンに乗せた人は何を考えて一緒に食べたんだろう。と言うより前菜にメロンを持ってきたシェフは何を考えて生ハムを食べようと思ったんだろうか・・・。プリンに醤油をかけた人とかね。しかし生ハムってなかなかフォークに刺さらない。小夜ちゃんは器用に生ハムとレタスとをフォークで刺してる。すごいなぁ、俺も見習わなくては。・・・・・・やっぱり無理。横からすくってそのまま口へ。うん、塩気とハムでグニュグニュがするねぇ。そんな感じでサラダを頂いたところで丁度パスタも出てくる。
「よし、メインディッシュのご登場です。スプーンはいる?」
「いい」
「すごいねぇ小夜ちゃん。俺はスプーンが無いと上手に食べられないよ。行儀が悪くてごめんね」
 首を振る。なんか俺の方が子供だよなぁ。まぁいいや。
「では、好きなだけどうぞ。俺も適当に頂くからさ」
 フォークを上に向けて頷く小夜ちゃん。取り皿に両方を2口分ぐらい取り分けてちょっとご満悦。でもなんか今日は硬いんだよねぇ、表情が。どうしたものか、取り合えず俺もまずはペスカトーレから頂く。目の前の誘惑には勝てません。うん、魚介類。アサリとイカとエビ。トマトソース。ペスカトーレだね。それじゃクリームの方も頂きますか。うん、ブロッコリー。
 それぞれ俺が半分ずつぐらい食べたあたりで小夜ちゃんはフォークを置いた。
「ごちそうさまでした」
 ありゃ、そんなに食べてない気がするけど小食だったか?・・・・・・そうだったね。
「満足した?」
「うん」
 頷きながら返事を返してくれた。よし、それじゃ残りをさらえましょうか。1口、2口、3口。はい、ごちそうさま。
 俺が食べ終わったところで飲み物とデザートが届く。紅茶は2杯分ぐらいあるんだね。小夜ちゃんは紅茶ポットから茶漉しを通して注ぎ、まずはストレートで一口飲む。そしてプリンの上のフルーツを順に食べて頬が微妙に緩んでいく。やっぱり甘いものは好きなんだねぇ。俺もティラミスを1口。すげぇ、牛乳だ。2口目で若干の飽きが・・・。もともとそこまで甘いものが好きって訳でもないんだよね。コーヒーで口を整えて顔を上げると、小夜ちゃんは既にプリンも食べて器が空っぽ。それじゃ、
「食べ掛けでよければこれもどう?お腹いっぱいになっちゃたからさ」
 俺をしばらく眺め、そして目線はティラミスへ。小夜ちゃんが長考に入った。無表情のまま全く目線すら動かさずに約30秒。そして目線を俺に戻して頷く。太る事と葛藤してたんだろうな。そんなに細いのに気にしなくてもいいと思うんだけど。
 ティラミスを小夜ちゃんの前に差し出す。ちょうど紅茶も空になったみたいで、2杯目を注ぎ今度はミルクティーにしてる。へー、そういう楽しみ方も出来るんだね。ずっと茶葉が浸ってるから濃くなってるんじゃないか心配だったけど。
 ゆっくり一口ずつ味わってるみたいで、でも早々にティラミスが消えた。うん、今度小夜ちゃんを連れてパフェを食べに行こう。それを眺めてるのはなんか俺も幸せだ。遠くのデザートで有名な店にドライブがてら行ってもいいよなぁ。あっ、そうだ。ニカイチの話をするのを忘れてる。
「小夜ちゃん、7月なんだけどね」
「うん」
 不思議そうな顔をして、先を促してくれる。
「職場の人たちと海でバーベキューをしようって話になったんだ。言い出したのは課長だけど、その後に小夜ちゃんの話が出てね。みんなが小夜ちゃんに会いたいって事で7月の連休にバーベキューをする事になったんだ。それもなぜか1泊の小旅行になっちゃって。課長んとこもみんな来ると思うんだけど、俺の会社の人と顔を合わせなきゃいけなくて、もちろんみんな良い人なんだよ。でも知らない人達と出かけるのは嫌じゃない?」
 頷く。やっぱりかぁ、ちょっと人見知りするのかもって思ってたけど、嫌なんだね。しょうがない、明日不参加を伝えないと。
「・・・・・・嫌じゃない」
 あーあ、みんなに色々言われるんだろうなぁ・・・。え?
「いいの?」
 再び頷く。
「嫌じゃないし嫌いじゃない」
 うつむいて、ミルクティーを眺めながらを答える。
「そっかぁ、よかったぁ」
「・・・得意じゃないけど」
「いいよ、別に愛想を振りまかなくても。気を使う相手でもないし、向こうも気を使ってこないだろから」
 特に・・・進藤さん以外ね。
「でも本当によかったぁ、小夜ちゃんそういうの嫌いそうだったから心配したよ。もちろん嫌なら嫌って言ってね。小夜ちゃんが嫌ならちゃんと断って来るからさ」
「でも海は初めて・・・・・・」
「あっ、そうなの?行ったことないの?」
 小夜ちゃんは頷いて、最後の紅茶を飲む。
「そうかぁ、それじゃ水着やなんかも買いに行かないといけないね。俺は全然わかんないから早苗さんにお願いしようか。きっと可愛いのを選んでくれるよ。さてと、そろそろ行こうか」
 そう促して会計を済ませてお店を出る。小夜ちゃんは海に行った事がないんだって。初めて見る海はどんな感じに映るんだろうか。楽しんでくれるといいなぁ。うん、きっとニカイチのメンバーを見てるだけで楽しいと思うんだよね。きっと竹さんと圭介君がはしゃぐと思うし。それに加奈ちゃんも一緒だろうから、飽きることは無いと思うんだよね。

 車に乗り込んで無言の時間が流れる。車は幹線道路をゆっくりと走り、外の電飾がまぶしい。今日一日を振りかえって、ちょっと気になった事があるんだよね。違和感というか何と言うか。丁度信号待ちで止まったので、直接確認してみる。
「小夜ちゃん」
 前を向いていた顔をこちらに向ける。
「無理しなくていいんだよ。いつも通りの小夜ちゃんでいいからね。無理に話そうとか、無理して俺の気を使わなくてもいいんだよ。新しい学校も始まったし、せめて俺の前では普通でいてね」
 話し終わると信号が変わり、俺は前を向いて車を走らせる。
 俺の話を聞き終わってしばらく俺を見ていたと思ったのだが、気が付けば反対側を向いて外を眺めてる。表情が伺えないから、お門違いだったかな。まぁいいや。俺の勘違いだったらそれはそれは問題ないからね。
 なかなか回転数の上がらない、軽いエンジン音を聞きながら街中を走る。家に着くまでの短いドライブ。2人の間には沈黙しかないけど、でも俺はこの子と一緒にいるだけで心地良いと思い始めている。小夜ちゃんも居心地が悪くなければいいな。小夜ちゃんの学校も始まり、こうして2人の不思議な、本当に不思議なところから始まった生活が幕を完全に開けた。

 会社に戻り、いつも通りの午後が始まる。特に目立ったトラブルもなく、平穏な午後を過ごしていた。と思っていたのだが、16時を廻ったぐらいに課長が帰ってきた。
「戻ったぞー」
「お疲れさまです。いかがでしたか?」
 課長は机に荷物を置き、勢い良くどかっとイスに座る。
「俺を誰だと思ってんだ!?恵美ちゃん、15%まで行けるからな、後頼むぞ!」
 はぁ?何ぼったくってきてるの、この人。ほら、進藤さんも目が点になってるし。
「課長、さすがにそれは取り過ぎじゃないです?いえ、無いよりかあった方がマシですが・・・」
「いやな、どうせ値切られると思ったから仕入れ値の15%ぐらいを提示したらよぉ、話が弾んで気が付いたらそのまま承認って訳だ」
「どうして初めの段階でその予算を貰ってこないのかねぇ」
 確かに、竹さんの言う通りだ。その予算で通るならもっと質を上げられた気がする。
「だよなぁ、俺も不思議でしょうがねぇよ。だから第1の奴らは無能なんだよ」
 もともとこの案件は第1企画部から受け継いでニカイチでやる事になった。と言うのも、大分前の竹さんが製作部にいた頃、竹さんが担当してえらくその仕事を気に入って貰った為だ。そしてその客先が飲食部門を立ち上げるので、まずは第一号店のオープン企画の依頼を第1企画部で受けて事前交渉まで終わった後、竹さんの指名があったのでその後をニカイチで引き継いだという訳。初回のプレゼンでOKを貰い、いざ諸々の手配をしたら予算オーバーして課長に追加予算の交渉を依頼したのだが、ぼったくって帰ってきた結果となった。
「おい、ロク。第1の奴らに伝えておいてくれ。特にいかに自分達が無能かを強調してな」
 相変わらず企画部の人たちが嫌いらしい。元々課長のこれも原因で第2企画部が立ち上がった訳なんだけどね。
「別に強調はしませんが、振り元なので結果だけ報告しておきます」
「相変わらずの平和主義者め」
「相変わらずの好戦主義者に言われたくありません」
 課長はケッ!っと横を向いて携帯をいじり始めた。あーあ、へそを曲げちゃったかな。まぁいいや。そのうち戻ってくるでしょ。さてと、仕事をしましょうか。再び机に向かうと、
「おい、ロク。ちょっと来い」
 なんだよ、せっかく人が仕事をしようとしてる時に。あんたは人の邪魔ばかりするなぁ!なんて言えるわけないけど。んじゃ、呼ばれたので課長の元へ
「ちょっとこれを見てみろ」
 若干、顔がニヤニヤしながら俺に携帯の画面を向けてくる。
『Sub:断られた。
 ロクちゃんが夕食の買い物の事忘れてるかもしれないから、さっき小夜ちゃんをスーパーに誘ったの。そうしたら断られちゃった。もしかして私、嫌われてる?』
「えーっと、これは?」
「早苗からだ」
 あぁ、うん。俺が原因だな。小夜ちゃんは理由を言ってないのかなぁ・・・。にしてもあんたはニヤニヤ気持ち悪いな。しょうがない、課長に伝えてもらうか。
「実は今日帰ったら小夜ちゃんと一緒にスーパーに行く約束をしてるんです。だから決して早苗さんを嫌ってる訳じゃありません。きっと小夜ちゃんは俺との約束を忠実に守ってるだけで、悪気は無いんですよ。小夜ちゃんが理由を言ってないみたいだから早苗さんに伝えてもらえませんか?むしろ朝の段階では早苗さんにスーパーの場所を聞こうとしてました。とも」
 課長はまだニヤニヤしてる。
「お前はデートを断られた中学生の子供かってな」
 いや、その例えは全然わかりません。まぁでも、早苗さんには後で俺からもメールを送っておこう。お気遣いありがとうござます。言葉足らずな小夜ちゃんですが、よろしくお願いしますって。さてと、仕事をしましょうかね。
 その後は営業から正直めんどくさい仕事が舞い込んできたりしたのだが、時計を見れば既に18時に。ニカイチの約束事その3に19時までには全員帰れって項目がある。それは課長が「残業をしてまでやらなければ終わらない仕事は人が足りてない証拠だ」って事で、当初は定時の17時半だったのだが、さすがにそれは仕事に差し支えがあるって事で19時までになった。んじゃ、小夜ちゃんとお出かけしなきゃ行けないから帰ろうかね。
「それじゃ、お先!」
 ってまずは課長が出ていった。それを皮切りに、
「ちーっす」「お先に失礼します」「おっつかれさっまでーす!」「じゃあね、ロクちゃん」「草野君、また明日」
 みんなぞろぞろ出ていく。やべぇ、みんなに置いてかれた。つっても実は最後までいるのはいつも俺なんだけどね。
 戸締まりを確認して、みんなのパソコンやらプリンタやらが消えてるかどうか確認して、エアコンを消して、電気を消してっと。さてと、それじゃ帰ろうかね。
 エレベータでB2へ。このビルの地下2階と3階が駐車場になってて、ニカイチ用はB2のエレベータのすぐ近くにある。車通勤は俺と課長しかいないけど。たまに飲みに行くときは車をそのまま置いていけるからありがたい。
 オンボロカーに乗り込み出発する前に小夜ちゃんに電話を掛ける。1コール、2コール、3コール、『・・・・・・はい』
「もしもし?小夜ちゃん?今から帰るんだけどね」
『・・・はい』
「後、40分もしないうちに家に着くんだ。だからそれぐらいに降りてきて。上に行くのめんどくさいからさ」
『・・・はい』
「それじゃ、よろしくねぇ」
『・・・・・・はい』
 電話を切る。小夜ちゃん、はいしか言ってないよ。まぁいいや、そっちの方が小夜ちゃんらしいっちゃらしいかな?
 小夜ちゃんに連絡をしたから後は車を走らせるだけ。夕方になると道も混み始めるから大体40分を見ておけば帰れる。ビルのスロープを上がり幹線道路へ。うーん、今日はいつもより混んでるなぁ。信号を2回やり過ごす場面がちらほらと。まぁでもぎりぎり間に合うかな?でもしまったなぁ、小夜ちゃんには40分過ぎてからって言っておけばよかった。
 結局、道が混んでいたのも初めだけで、後半からはスムーズに流れて、マンションの傍に着いたのは結局35分ぐらいだった。予定よりも若干早かったがマンションのロビーを見ると既に小夜ちゃんは待っている。俺のオンボロはすぐに見つかるようで、マンションの下につける前に表に出てきて、横につけたらすぐに助手席へと座る。潜入捜査の時はこの車は使えないな。そんな事はしないけど。
「お待たせ。もしかして結構待ってた?」
 隣でシートベルトをしながら、
「いえ、そこまで。待つのは嫌いじゃないから」
 そう言えば、ファミレスでも待つって言ってたな。辛抱強い子なのかな。んー、あれ?スカート??確か今朝はチェックのシャツにジーンズだったような・・・。あれ?それは昨日だったか?まぁいいや。人の記憶なんて曖昧なもんだからね。
「よしっ!じゃあ行こうか」
 隣で頷いたのを確認して車を走らせる。むしろ歩かせるって言葉が似合うかもね。
 スーパーは結構近くにあって、坂を下った大きな通りにある。歩くと10分ぐらい、車だとちょちょいのちょいの距離。ただ、両手に荷物を抱えてこの坂を10分上るのはちょっと辛い。近くでも車で行ってしまう。だから今朝は一緒に行こうって話をしたんだけどね。そしてあっと言う間のドライブによって到着。
「着いたよー。さぁて、何を買おうかなぁ」
 小夜ちゃんは黙って車を降りて、車の横で俺が降りるのを待ってる。はいはい、ごめんね、すぐ降りて2人で自動ドアをくぐる。俺がカートを引っ張り出して小夜ちゃんがカゴをカートに乗せる。そして俺を見上げて傍に立ってる。
「どうしたの?行かないの?」
 何のリアクションも無く、俺を見つめてるだけ。
「じゃあ、行こうか。小夜ちゃんが選んでカゴに入れてね」
 そう促して店内へと進む。そうすると小夜ちゃんは俺に付いてきた。うーん、何がしたかったんだろう・・・。まぁいいや。
 なんで、スーパーのレイアウトってどこも似たような感じなんだろう。入ってすぐに果物売り場があるから、ついついリンゴを買ってしまいそうになる。適当に果物を見てると、小夜ちゃんに置いて行かれそうになる。待ってよ、小夜ちゃん。
 ってかね、小夜ちゃんすごい。なにがすごいって買うときにちゃんと選ぶの。キュウリは手に持って痛いぐらいの奴、レタスは俺に二つ持たせて「どっちが軽い?」って。それで「いいトマトが無い」とか言って結局買わなかったり、すごい泥付きの里芋とか、ネギだけで3種類買うの。キャベツは一玉買うから、「そんなに使う?」って聞いたら、「剥いて使う」だって。魚は「目がだめ」とか言ってるし、イカとか触ってるし。肉は「合い挽き肉が高い」って。卵なんて賞味期限を見て一日でも長いのを選んでるし。いやぁ、お見逸れしました。俺なんてどれも腹に入れば一緒とか言って、適当に買ってたからなぁ。結構買い込んだんだけど、小夜ちゃんに聞いたら、一週間分ぐらい買った、との事。我が家の冷蔵庫が無駄に大きくてよかったよ。
 2人で両手いっぱいに買い物袋を提げて車に戻る。さてと、どこで食べて帰ろうかな。
「小夜ちゃん、何食べたい?」
「なんでもいい」
「なんでもいいかぁ。パスタでいい?」
 頷く小夜ちゃん。なんか今日はいつにも増して無口だなぁ。まぁいいや、晩御飯を食べに行きましょうか。
 ちょっと離れた絵の具みたいな名前のお店へ。この店はプリンとかのデザートが有名で、よく手土産なんかにプリンを貰う。そう言えば先週も課長が貰ってきて、みんなで食べたな。環ちゃんがはしゃいで竹さんの分も食べてた気がする。もちろん竹さんは席を離れていてプリンの存在自体知らなかったんだけど。
 店に入るとすぐに案内され、メニューを広げる。一通り眺めて小夜ちゃんも見終わった頃に確認をする。
「小夜ちゃんは決まった?」
 メニューに目を落としながら首を振る。あれ?めずらしい。まだ決まってないんだ。んじゃ、もうちょっと待とうかな。
 ・・・・・・。しばらく待ってみたけど、ずっとメニューを見比べて悩んでるように見える。
「どうしたの?迷ってるの?」
 今度は目だけを俺に向けて、ちょっと戸惑いながら素直に頷く。ほぉ、これはこれは・・・めちゃめちゃ可愛い。普段は勝気そうなのに、ちょっと弱い感じで上目遣いに頷くなんて・・・。意識してないだろうから余計に可愛く見えるんだよねぇ。
「どれで悩んでるの?」
 メニューを指差して教えてくれた。ベーコンとブロッコリーのチーズクリームソースとペスカトーレ。なるほど、クリーム系とトマト系か。じゃあねぇ、
「なら、このペアデザートセットにしよ。小夜ちゃんは後、サラダと飲み物とデザートを選んでね。ちなみに俺はクリーム系なら何でも良かったから、気にしなくていいよ。一緒に半分づつにしようね」
 そのまま目線を俺に残したまましばらく悩んでるみたいだったけど、納得してくれたのか諦めたのか、サラダを選び始めて、生ハムサラダを指し、
「これでいい?」
「うん、いいよ。デザートと飲み物は何にする?」
 すぐに決まったみたいで、店員さんを呼ぶ。すいませーん。
「はい、お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
 いえいえ、全然待ってませんよ。
 さくっとパスタとサラダを伝え、小夜ちゃんはプリンの上にフルーツが乗ったのと、アッサムティ。俺は北海道ティラミスとホットコーヒーを注文する。
 いやぁ、それにしてもいいものが見れたなぁ。この先もこんな表情してくれるんだろうか。これで見納めだったらちょっと悲しいな。

 お披露目会はこの際せっかくだからと話がどんどん盛り上がり、7月の連休に一泊する計画となった。場所は課長と竹さんが決めるとの事で、お披露目会からちょっとした旅行になってしまった。何でそうなるかねぇ。
 取り合えず一旦話も落ち着き、それぞれが仕事に取り掛かる。俺の方は、当初やる予定だった仕事のほとんど片づいており、残りもやり終えてしまったので正直手持ちぶさたになった。他の仕事も大体修正待ちだったり、お客からの返事待ちだったりと午前中は進むものが少ない。しょうがない、雑用でもするかな。
「課長、ゴミください。あと、シュレッダー行きはあります?」
 メールを打ってる様子だったが、一旦手を止め目だけでこちらを見る。
「ゴミならここに。シュレッダー行きはそこ座ってるだろ?」
 そして顎でその方向を示す。
「うわっ!課長ひでぇっす!誰がニカイチのゴミなんすか!?」
「誰も圭介がゴミだなんて言ってねぇよ、お前がシュレッダーをかけに行けって意味だ」
 片側の口元を上げて皮肉そうに笑う。わざとやって遊んでやがる。課長に付き合ってるといくら時間があったとしても足りない。
「はいはい、わかりましたから。さっさと出してください」
「んだよ、つれねぇなぁ」
 適当に皆の席からゴミを回収し、シュレッダーをかけて戻ると、
「草野さん、今空いてますか?例のオープン企画ですが金額が出まして、ご相談があります」
「うん、いいよ。あっちでやろうか」
 打ち合わせルームで進藤さんから報告を受ける。基本的にイベントやノベルティだったりの予算組み、外注や製造関係との交渉をお願いしている。なんだかんだ交渉する先が多く、相手業種も多岐に渡ってしまうので誰かに一貫してやってもらった方が効率がいい。特にニカイチの運用は企画組みを1人でやるわけではなく、企画を練るのはニカイチ全員で取り組み、高浜さんと環ちゃんが形を上げて、製造等を外に振るのならば進藤さんがそれを元に金額交渉を行うってパターンが多い。主に俺が全体のスケジュール等を管理し、竹さんは製作チームと外注のデザイン事務所に実質的な指示を出す。最終的に企画書を起こすのは俺や竹さんや課長がやる。圭介君は俺と進藤さんのサポートがメインだ。
 ってな訳で、オープン企画の金額が決まったらしい。
「申し訳ありません、私の力不足で今回の予算ではオーバーしてしまいました。何かを削るか質を落とすかしないと難しい状況です」
「うーん、超えたか。超えると思ってなかったんだけどなぁ。そうだねぇ。どうしようかなぁ」
 進藤さんから貰った金額を見る。
「ここにある通り12%オーバーでいいの?」
「はい。ここまで金額を詰めたのですが、どこも材料高などで値上げ交渉をしに来ている状況ですので、これ以上は交渉の場すら成り立たないと思います」
「課長が出ても無理そう?」
「今までの経緯からしても既に底値だと思います。各社相手側の上層に直接交渉はしてみましたが、思っていたよりも価格高の進みが早く、各社とも謀り合わせたかのようなラインを示しています」
「そうかぁ、やり尽くしたんならしょうがない。12%なら乗せようか」
「えっ?よろしいのですか?粗利が切ってしまうと思いますが」
「いいよ、一応客先に予算アップの交渉を課長に依頼するから。もし駄目でもなんとかギリギリのラインでしょ。それにこの客先は先の需要が見込めるから、今回は何としてでも成功させないとね。進藤さんが手を尽くしてこれならしょうがないでしょ」
「わかりました。では、先行してこの金額にて発注をかけてもよろしいでしょうか。実は既に納期が危険な状況で」
「うん、お願い。予算の件は任せて。むしろ納期を最優先にして貰った方がいいから」
「わかりました。ありがとうございます」
 いえいえ、どう致しまして。それじゃ課長へ交渉依頼をしようかな。
「課長、竹さん、ちょっと今いいですか?」
 2人を打ち合わせルームに呼ぶ。
 竹さんはちょうど環ちゃんに指示を出していたところだったようだが、こちらに来てくれた。
「オープン企画なんですが、予算オーバーしました」
 金額表を2人に渡す。
「12%か、仕入れとしては厳しいな」
「そうだねぇ、ギリギリいけると思ってたんだけどねぇ」
 2人とも難色を示す。
「ええ、俺もそう思ってたんですが、価格高が相まってこれ以上は厳しいそうです」
「やっぱりこれ以上は難しいかな?」
「はい。進藤さんが手を尽くしての結果ですから。俺や課長が出ても変わらないと思います」
「そうかぁ、それにしても12%は厳しいね」
 竹さんが苦虫を噛み締めたような顔をしてる。課長は腕を組んで考えてる様子。
「ですが、これで行きます。粗利の問題はありますが、今回だけは無理してでも行った方が得策と判断しました」
 2人が無言でそれぞれ考え込む。重たい空気を払拭したのはやっぱり課長だ。
「よしっ!わかった。交渉してこよう。最悪の場合、取れなくてもこの次で取り返せばいいしな。竹はどうだ?」
「しょうがないねぇ。だからと言って質や数を下げるなんて出来るわけないし。ロクちゃん納期は大丈夫なの?」
「実は既に危ないです。さっき進藤さんに発注をお願いしました。進藤さんの事なんで手遅れって事は無いと思いますが」
「なら、余計にこれで行こう。竹もいいな。ロク、納期フォローを頼むぞ。なんとしてでも予算をぶん取って来てやる」
「はい。よろしくお願いします」
 気になっていたのか打ち合わせルームから出るとすぐに進藤さんと目が合った。表情には出てないけど心配してたのかな。微笑みながら手でOKを作る。するとほっとしたのか軽く会釈を返してくれた。別に進藤さんの責任じゃないのにね、生真面目な人だ。
 打ち合わせが終わって席で一息付くと、ちょうど12時になっていた。さてと、お昼はどうしよっかなぁ。いつもなら「おい、ロクも行くぞ!」って強引に連れて行かれるのだが、課長は早速客先へ交渉しに行くみたいで、外出になってる。誰かいないかなぁっと周りを見渡すと既に誰もいない。しょうがない、一人で適当に済ませるか。近くの弁当屋にしようかなぁっと悩みながら部屋を出たところで、
「草野さん、一緒にどうですか?」
 廊下にいた進藤さんが声をかけてきた。
「あれ?みんなと行ったんじゃないの?」
「行こうと思ったのですが、あそこのラーメンに行くとの事で、やめておきました」
 あそこのラーメン。すごく味が濃くて、スープもどろどろしてるラーメン屋。俺もあまり得意じゃないんだけど、竹さんと高浜さんが異常に好きで、環ちゃんと圭介君が一緒なら余計に行きたがるだろうな。
「なるほどね。それじゃ何にする?弁当屋に行こうかと思ってたから当ては無いけど」
「なら、スープカレーなんていかがですか?」
「あぁ、この前出来たところね。いいよ、そうしよっか」
 と言うわけで、進藤さんと向かう。店の前まで来てみると若干の待ちがあるみたい。
「どうする?待つ?」
「そうですね、この時間ですとどこもこんな感じでしょうから」
 んじゃ、待とうか。
「にしても今日は暑いねぇ。もうすぐ梅雨だからって今朝、自分から言ったばかりだけど」
「そうですね、今年は平年より暑いみたいですよ」
「そうなると夏が悲惨だねぇ。海でバーベキューなんて言い出さなきゃよかった」
 進藤さんが横でクスリと笑う。
「仕方ありませんよ。それにしても相変わらず課長と仲が良いですね」
「進藤さんまでやめてよ、気持ち悪い・・・」
 そうこうしていると店の中に案内され、適当に注文をする。
「あっ、そうだ。さっきはありがとね」
 おしぼりで顔を拭きながらお礼をする。この前、早苗さんにやめた方がいいと注意されてたっけ、顔拭くの。気持ちいいのになぁ。目の前の進藤さんは何の事だかわからないのか、疑問符を浮かべている。
「お披露目会の件、助かったよ」
「いえ、お礼を言われるような事ではありませんよ」
「そんな事無いよ。助かった事は事実だから。自分からは言い出せる話じゃないからね」
 あの時の盛り上がりに水を差すような事は出来るだけ避けたかったからね。
「草野さん、困り果てた顔をしてましたからね。そう言えばご兄弟はいらっしゃるのですか?」
「いないよ、一人っ子だから。どうして?」
「なら余計に大変ですね、突然女の子と一緒の生活を送るなんて」
 進藤さんの話の途中で注文の品がテーブルに届けられた。
「いただきます。そうなんだよ、でも課長の奥さんが何かと気にかけてくれるから大助かりなんだけどね。男やもめに花が咲いたって感じだけど、花の手入れなんか今までした事ないからさ」
 キノコなら生やした奴を知ってるけど。
「娘さん、小夜さんは可愛いですか?」
「そりゃね。贔屓目を抜いても可愛いと思うよ。それに今時あそこまで躾された子も珍しいんじゃないかな。炊事洗濯が出来て、俺に何一つさせてくれないんだもん。まだ小学生なのにさ、嫌に落ち着いてるって言うか大人びてるって言うか。それで色々と気が利くんだよ、ただ気を使いすぎる節があるからちょっと心配だけどね。後はすごい頑固。もうびっくりしちゃってね、この前だって・・・あっ、ごめん」
 またしても進藤さんはクスクスと笑う。
「草野さんがそんなになるって事は、相当可愛いんですね。夏が余計楽しみになりました。ちょっと嫉妬しちゃいますよ」
「いやぁ、恥ずかしい・・・。まだ3日目なのにね」
 相手が進藤さんでよかった。これが他のメンツなら何を言われていたか・・・、想像するだけで寒気がする。
 食事も終えて、お店を出る。もちろん払いは俺。またもや会計戦争が勃発したのだが、今回は俺が上司って事になるので早期集結に終わった。お店を出て会社に戻っている道中、進藤さんに、
「私で力になれる事があれば遠慮せずに言って下さい。私もお手伝いが出来れば嬉しいですから」
 と有り難いお言葉を頂戴した。俺の周りはなんて良い人ばかりなんだろう。恵まれすぎて怖くなるよ。

 会社まで車で25分ほど。いつも大体8時半過ぎに着くようにしてるので、小夜ちゃんを見送ってから家を出ると丁度いい時間になる。いつもの様に車を走らせ、いつもの様に会社に着く。地下鉄の上を通る一本道。電車で通ってもいいんだけど、人の多い電車で朝から揺られるのはちょっと体力がもったいないって事で車で通ってるわけだ。
 会社はオフィスビルの7階にある。とは言っても、ビル全体が系列会社しかない為、実質は会社が7階にあるのではなく働く机が7階にあると言う感じ。その7階の一番端の部屋に第2企画部1課がある。そこが課長の根城、俺のデスクがある場所だ。
 第2企画部1課、通称ニカイチと呼ばれる部署は地域開発からノベルティの作成まで様々な仕事をこなす。もともと企画部自体ひとつしかなかったのだが、3年前にちょっとした事件が発生し第2企画部なるものが設立された。未だに1課しかなく、2課や3課がある訳でもないのだが1課の名称は残されたままとなっている。
 ニカイチの課員は課長を含め現在7名。元々は課長と俺と竹若さんの3名だけで、俺が企画部に、竹さんが設計やデザイナーに仕事を投げていたのだが、徐々に課内でも受け持つようになり、企画に2名、デザイナーに2名を増やした。
 竹さんは今年で32歳になり、課内で課長の次に年長者だ。頼れば何でも答えてくれるマルチプレイヤーでニカイチ設立以前から課長と親しくしていた。もちろん課長は俺と一緒に迷惑をかけてきた側だが。身長が高く、黒縁メガネをかけて坊主に近い頭をしている。結婚はしているが子供はまだいない。製作リーダでニカイチの大黒柱だ。
 次に入ったのは進藤 恵美さん。俺と1つ年下の女性でかなり几帳面な性格をしており、企画と予算を担当してもらっている。いつもダーク系のスーツを着て仕事の時は縁無しメガネをかけており、真面目一徹って感じだけど、基本的には物腰が柔らかいのだが、怒ると怖い。
 その後には竹さんが制作部から引き抜いてきたデザイナー2人。
 高浜さんは今年で30歳の既婚者で3歳の男の子がいる。普段は何かと万人受けをするデザインを上げてくれるのでいざと言う時に非常に助かる。たまに奇抜さを依頼すると理解に苦しむデザインが上がるので使いどころが更に難しくなるのが玉に瑕だが。金色の短髪でガタイがいい。冬でも会社の中ではTシャツにジーンズのスタイルだ。
 もう1人は環ちゃん。進藤さんと同い年で俺の一つ下。なんとも女性らしい可愛いデザインを上げてくれる。キャラクター物もいけるので企画としては有難い。いわゆる芸術家肌で、物事を感覚で捉える節がある。愛想が良く、たまに天然を発揮してくれるので課内のマスコット的な存在になっている。化粧気がほとんどなく、可愛らしい妹って感じのする子だ。
 企画にもう1人、企画助手の圭介君。課内で一番若い24歳で今時の若い感じがそのままのちょっと軽い感じがする人だ。だが、若者向けの企画などでは本領を発揮してくれるのでいいのだが、詰めが甘く進藤さんに小言を言われてる。太いジーンズを腰で履いてシルバーがジャラジャラとちょっとうるさいムードメーカだ。
 そして俺は企画リーダにさせれられて、課長が社外クライアントと折衝し、俺は課内と社内の調整役となっている。企画と言ってもいつも企画会議では何も思い浮かばず、決まった企画をまとめる仕事が多い。よく課長の右腕なんて称されるが実は右腕は竹さんで、俺は竹さんの指のような感じである。
 そんなニカイチを作り、まとめ上げているのが仕事がすごく出来る課長だ。ただ出来るのであってやる姿は滅多に見られない。まぁこの人が動くと後々面倒を起こす事があるので動かないで欲しい。しかし、仕事は出来るので文句の付け様が無いのは言うまでもない。もちろん対外的にだが。
 と言う訳でいつも通り7階の一番奥の部屋へ。部屋を入るといつも通り進藤さんと竹さんが既にいる。この2人は朝来るのが早く、竹さんは会社の新聞をどこらから数紙持ってきて読んでるし、進藤さんは既に仕事を始めている。
「おはようございます、急に休みを貰ってすみません」
「おはよう!いいよいいよ、たまにはそんな事もあるさ」
「おはようございます。もうよろしいのですか?」
「うん、おかげさまで。ありがとう」
 2人に挨拶を交わし、まずは席のパソコンを立ち上げる。そして2日間により貯まっているであろう仕事の山を確認する。・・・が、全然増えてない。むしろ減ってる!?しかも今日の午前中に仕上げようと思ってた企画書が出来てるし。
「竹さん、これどういう事です?」
 新聞を読んでいた顔を起こして、すこしニヤニヤしながら
「あぁ、それ。昨日まっつぁんがやってたよ」
 ちなみにまっつぁんは課長ね。
「それ本当ですか?」
「嘘は言わないよ。珍しい事もあるもんだよねぇ。最後には何て言ったと思う?ロクが忙しいと俺と遊んでくれねぇんだよ、だって。愛されてるねぇロクちゃん」
 あの人は遊びに会社へ来てるのかよ。
「止めてください、気持ちが悪い。何考えてるんですかね。ってか、課長が仕事をやったって事は何かトラブルが起きてませんか?」
 絶対何かあるはず。企画部と揉めてないかなぁ、あの人企画の人と仲がすごく悪いし。いい歳して勘弁して欲しいよ、後で尻拭いするのは俺なんだから。
「大丈夫、社内的なのは俺がやったから。今日のロクちゃんはまっつぁんと遊んでなよ」
 そうニヤニヤしながら再び視線を新聞に戻す。じゃあしょうがない、この出来上がってる企画書の中身を校正しようかな。
 そうこうしているとみんなが続々と出社してくる。
「おはようございます」
「おはよう。草野君、調子はどうだい?」
「いい感じですよ。ご迷惑かけてすみません」
 まずは高浜さんだ。今日は青いTシャツを着ているが、前に聞いたらどこか海外の航空会社のTシャツだと言っていた覚えがある。まったく聞いた事ないのだが、そもそも航空会社ってTシャツを販売してるの?
「おっはよーございまーす!」
「環ちゃんおはよう」
「草野さんお久しぃ」
 次に環ちゃん。コンビニ袋をぶら下げて登場。この子は朝ごはんを会社に着てから食べ始める、朝いつも時間がないとか。そしてしばらくして
「ざっす!課長まだっすよね?」
 息を切らしながら圭介君が入ってくる。
「まだよ。いい加減もうちょっと早く来たら?社会人なんだから」
「うぃーっす。努力はしてまーす」
 早速進藤さんに小言を言われてる。多分エレベータがすぐに来ないから階段で上がってきたんだろうな。
 最後には課長が「おはよーさーん」と9時ぎりぎりに入ってくる。課長が入ってきたので皆が適当に挨拶を返しそれぞれの席で立ち上がる。
「なんか業務連絡あるかー?ないなー?じゃあ今日もよろしく」
「うぃっす!」「へーい」「お願いします」等々
 皆ばらばらな返事を返して非常に簡単な朝礼が終わる。そして俺は軽く目を通した企画書を持って課長の元へ。
「課長、仕事をやって頂いたそうで、ありがとうございます」
 課長は体を横に向け、外を眺めてる。ぼけーっとして聞いてない感じ。この人は毎朝来てすぐはこうして外を眺めてぼけーっとして、その後いきなり動き出す。まぁいつもの事だから適当に済ませて仕事しよっと。んで、返事を待っていると、
「なぁロクよぉ。今日は天気がいいなぁ」
「今日は1日晴れるみたいですよ」
 またしばらく返事待ち
「今日は暑そうだなぁ」
「もうすぐ梅雨ですからね。下手すると30度超えるんじゃないですか?」
 何も考えてないように、ぼけーっとしてる。またちょっと置いて
「なんかバーベキューしたくね?」
「いいですねぇ、夏に行きましょうか」
 ちょっとづつ復活してきたのか会話が続く、
「俺んとこと、ロクんとこ。ニカイチ全員で」
「えぇ、いいですね」
「今週」
「はい?」
 何て言ったの?意味分からない。はぁ?
「よしっ!決めた!!」
 突然動き出す課長。なんかテンション上がってるし。
「今週バーベキューだ!全員参加!ロク!スケジュール確認しろ!」
 ちょっとまて、なんだそれ。
「いや、いきなり今週はきついと思いますよ」
「うるせぇ、とにかく確認しろ!今すぐだ!」
 はいはい、わかりましたよ。適当に返事をして席へ戻る。そしてメールを一斉送信。
『Sub:今週末の予定
 課長の思い付きです。聞こえてたと思いますが今週BBQをしたいと申しております。
 スケジュールの確認をします。土日のOKorNG下さい。以上』
 さっそく皆からの返信。うーん、土日ともに3人NGか。竹さんは両方NGだね。んじゃ課長を説得しに行きましょうか。とその前に天気予報を確認してっと。
「課長、今週末やっぱり駄目ですね。両日とも3人ずつ予定があるそうです」
 課長は眉間に皺がよっていく。
「んなもん知るか。強制参加だ」
 また無茶苦茶な。
「駄目ですよ。後から言い出したこっちが悪いんです。諦めて下さい」
「じゃあ来週だ」
「来週は雨の予報です。ちなみにもうすぐ梅雨入りしますので」
「はぁ?なんだそれは。じゃあどうすりゃいいんだよ!」
「夏にしましょう、8月に。場所は海でどうですか?きっとビールがうまいですよー」
 きっと課長の頭の中で情景が広がっているはず。さぁビールを飲め!そうすれば、
「よし!8月だな!全員のスケジュールを今から抑えておけ!頼むぞ!」
 ほら落ちた。課長に見えないように皆に向けて親指を立てる。席へ戻ろうと体を向けようとした時、
「あっ、そうだ。おい、みんな!ちょっといいか?」
 止められた。皆が課長に注目する。
「一言だけ、連絡がある」
 ん?なんかあるの?
「ロクに娘が出来た。以上!」
 ちょっと!あんたいきなり何言い出すんだよ!しかもその言い方だと、
「ロクさん出来婚!?」
「とうとうロクちゃんも身を固めるのかい?」
「草野さん彼女いたんですか?」
「草野君もやるねぇ」
 ほら、見ろ。めんどくさい言い方しやがって。今それを伝えると皆仕事どころじゃなくなるでしょ。なに考えてんだか。かったるそうな顔してるけど、内心ほくそ微笑んでるんだよ、絶対。
「いえ、違いますよ!色々あって養子に貰ったんです!」
 かくかくしかじか。で伝わらないかなぁ・・・。
「へぇ、いくつなの?」
 竹さんが聞いてくる。
「小学5年生です」
「名前は?」
「さよです。小さい夜で」
「課長!その子に会ったんすか?可愛いっすか?」
 今度は圭介君が課長に聞く。つか圭介君テンション上がり過ぎ。
「ああ、すごく可愛いぞ。うちの加奈には負けるがな」
 さりげに喧嘩を売ってくる課長。そんなものは買いませんよ。
「なに言ってんです。確かに加奈ちゃんは可愛いですが、比較するにはベクトルが違い過ぎですよ」
「ねぇねぇ草野さん、どんな子?」
 今度は環ちゃん。やっぱり質問責めになったな・・・。
「物静かな大人しい子だよ。って言っても、まだ3日ぐらいしか経ってないけど」
「ふーん。じゃあじゃあ、どんな感じ?」
 やっぱり環ちゃんの聞きたい事はイメージみたいなものなんだろう。
「うーん、難しい事を聞くねぇ。ぱっと見は線が細くて華奢で繊細そうなんだけど、うっかり近づくと芯が強くて弾き飛ばされちゃうって感じ?」
 けれどその芯も細くて、土台も危ういところで成り立ってるみたいで。
「へー。イマイチわかんないや。今度お披露目会をやろうよ!」
「いいねぇ、草野君どう?僕も興味があるし、みんなだって見てみたいだろうからね」
「ロクさんやりましょうよ!」
 環ちゃんの提案に高浜さんと圭介君ものっかり、竹さんも頷いてる。やりたいのは山々なんけどなぁ。だけどなぁ・・・
「私も会ってみたいのですが、しばらく経ってからにしませんか?その子も草野さんのところで慣れない生活を始めたばかりでしょうから、もうちょっと落ち着いてからでも遅くはないと思いますよ」
 進藤さんが助け船を出してくれた。そして俺に向かって自分の眉間を指さす。どうやら俺は険しい顔をしてたらしい。
「よしっ!それじゃ、ちょっと先の話だが8月を7月に早めて、バーベキューでお披露目パーティーとしようじゃねぇか!」
「さんせー!」「いいですね」「オッケイっす!」
 と言うことで課長の一声で小夜ちゃんのお披露目会が決まった。えーっと、本人の承諾を得てないのに決めちゃっていいのだろうか・・・。

 目覚ましが鳴り・・・後5分。
 ・・・・・・。
 ・・・・。
 ・・。
 また目覚ましが鳴る。・・・・・・わかったよ。起きればいいんでしょ、起きれば。うるさいなぁ。もう、鳴りたいの?なんなの?ばかなの?起こしたいの?はい、ごめんなさい、今起きます。おはようございます。いやぁ、久々のベッドだったからさ、テンションがぬくぬくで。じゃあコーヒーを入れる前に朝の一服を。そして部屋のふすまを開けるとそこに広がった光景はっ!
「おはようございます」
 赤い割烹着を着けた小さい女の子が台所に立ってる。んー、小夜ちゃんじゃん!?
「おはよう!」
 これで3日目の朝を迎えてるのにいまいち朝は寝ぼけるなぁ。今日の朝はいい感じで頭も覚めたはずなのに。まぁいいや、タバコを吸おう。ソファーに深々と座り込み、タバコを一本取り出し、咥えてライターを手に取る。・・・・・・だから止めるんだって。昨日一昨日と朝寝ぼけて吸っちゃったけど、これから止めるの。小夜ちゃんがいるんだから!だから最後の一本。火を付けて、ぷはぁ~。そうすると小夜ちゃんが困った顔をして近寄ってきた。
「なに?どうしたの?」
「あの、コーヒーの淹れ方がわからないんです」
 コーヒー?コーヒーはねぇ、
「インスタントでいいよ。別に気にしないから」
「でも、昨日ちゃんと淹れてたし・・・」
 あぁ、そんな事。そっか、昨日小夜ちゃんの前では初めてコーヒーポットとか出してきたからな。今までインスタントしか表に出てなかったから、普通にインスタントを飲んでる人って思ってたんだね。それで正解なんだけどさ。
「違うよ、元々朝はインスタントだから。朝からちゃんと淹れるとめんどくさいでしょ?」
「でも・・・」
 食いつくねぇ。
「本当にコーヒーは飲めればいいから。インスタントだろうがちゃんと淹れてようが気にしてないんだよ。朝から豆を炒って、挽いてなんて出来ないでしょ?別にインスタントがなかったら缶コーヒーでも構わないほどね」
「・・・わかりました」
 はい。よろしくお願いします。でもしぶしぶなのが気になるなぁ。さてと、タバコを消して顔を洗って身支度をしよう。今日は仕事か。あーあ、4連休が終わっちゃったよ。
「小夜ちゃん、俺今から支度するから10分ぐらいかかる」
 わかりました。と返事を聞いて動き出す。顔を洗って歯を磨いて髭を剃って、頭をセットして、自分の部屋へ。肌着を着て靴下を履いて、Yシャツを着てネクタイを締めて、スラックスを履いてジャケットを持ってテーブルへ。そうすると丁度トーストにマーガリンを塗ってるとこだった。
「あっ、自分でやるからいいよ」
「大丈夫です、慣れてますから。温かいうちに塗らないと綺麗に溶けないし」
 いや、その温かいうちに自分で塗るって言ってるんですが・・・。あれ?
「そんな別にいいのに。それに小夜ちゃんの紅茶はティーパック?」
「はい、朝はめんどくさいから。それに葉っぱが勿体無い」
「・・・・・・」
 ったく、この子は。それとも今のは嫌味なの?
「あっ、スーツ・・・・・・」
「ん?あぁ、始めて見るんだっけ?どう?似合う?」
 ちょっとおどけて言ってみた。1回転してみようかと思ったけど、さすがにそれは大人気ないな。
 小夜ちゃんはじっと俺を見てしばらく動かなかったが、
「別人みたい・・・」
 おっ!それはいい言葉を頂きました!普段とのギャップがあるって事だよね?って基準点はどっちかな?
 しばらく俺を見てた小夜ちゃんだが、時計を見て動き出す。キッチンから目玉焼きとベーコン、簡単なサラダとコーヒーを持ってきてくれた。俺も時計を見ると7時半前。大分余裕があるな。そして小夜ちゃんの分を運び終えるのを待って、いただきます。っと。まずはコーヒーを。いやぁ、この熱いのが喉を通る感じ。いいねぇ。後、小夜ちゃんに伝える事は、っと。
「今晩なんだけどね」
 目玉焼きの白身と黄身を綺麗にフォークで区切っている最中に声をかけてしまったので、上目使いでこっちを見る。いや、睨んだ?
「俺が帰ってからスーパーに行こう。んでも帰りは6時半とか7時ぐらいだから、それから帰って作ると遅くなるでしょ?だからスーパーに行った後は適当に食べて帰ってこよ。いい?」
 ちょっと考えてる様子で、
「わたしが買いに行ってきます」
 そう言うと思ったよ。
「でも小夜ちゃん、スーパーの場所とかわからないでしょ?」
「早苗さんに教えてもらうから」
 ちっ、そう来たか。小夜ちゃんが早苗さんに連絡取ったら早苗さんの事だし、一緒に行きましょ?とかになるんだ、絶対。
「いや、俺も一緒に行きたいからね。買いたい物とか出てくると思うし」
 しぶしぶ頷いてくれる。何が不満なんだろう。この子が不機嫌になるタイミングが今一掴みかねる。俺と一緒にいる事が嫌なのかな?それなら考え直さないと。ちょっと聞いてみるか。
「ねぇ、小夜ちゃん。もしかして俺と一緒に出かけるのは嫌なのかな?」
 紅茶を手に取ろうとしていた小夜ちゃんの動きがいきなり止まり、目を見開いてこっちを見つめる。あぁ、もしかして図星だったか。だったら・・・。っと、突然小夜ちゃんが首を力いっぱい小刻みに横に振る。えーっと、そんなに力強く振ると脳みそプリンになっちゃうよ・・・。
「あっ、うん。変な事聞いてごめん。首が鞭打ちになっちゃうから・・・ね?」
 あまりこう言う事はストレートに聞くべきではなかったな。反省。小夜ちゃんもなんか考え込んじゃってるし。
 その後も小夜ちゃんは何かを考えてる感じで、無言のまま朝食が終わり、そのまま洗い物をしている。なんか不機嫌って感じでもないけど、話しかけにくい雰囲気をかもし出してるんだよなぁ。テーブルからそんな小夜ちゃんを眺めているとピンポーン!あぁ、加奈ちゃんが来たな。時計を見るとまだ7時50分。学校行くにはちょっと早いな。家に入ってもらおう。玄関を開けに行く。
「ロクちゃんおはよー!」
「おはようございます」
 小夜ちゃんを迎えに来たのは加奈ちゃんだけじゃなくて太一君も一緒だった。向かう所はほとんど一緒だからね。もしかするとこの兄妹は毎朝一緒に学校へ行ってるんじゃないだろうか。
「おはよう、まだ時間はあるね。中にどうぞ」
 丁度洗い物も終わったところみたいで、小夜ちゃんがこちら覗く。小夜ちゃんを見つけ、そちらに駆けて行く加奈ちゃん。
「あー!小夜ちゃん、おはよう!ガッコにいくよー!」
 加奈ちゃんは朝から元気だ。この子がいるだけで空気が一気に明るくなった気がするね。
「太一君もわざわざありがとね」
 太一君と一緒にリビングへ移動しながらお礼を言う。
「いえ、通り道みたいなものですから。それに小夜ちゃんは荷物があると思うし。ロクさんの事だから一緒に学校まで荷物を持って行こうとしてたでしょ?」
 うん。昨日2人で準備してたんだけど、結構な荷物になる。さすがに小夜ちゃん1人に持たせる訳にもいかないから今日は一緒に学校まで行こうとしてた。それを読まれてるとは、さすが太一君。あなどれがたし!
「まぁね。多少の遅刻は課長も目を瞑ってくれるだろうしさ」
「だからその代わりですよ。小夜ちゃんおはよう」
 小夜ちゃんはおはようございますって丁寧に挨拶を返してる。
「じゃあごめん、太一君。お願いしても良いかな?」
「はい、いいですよ。荷物はさっきのです?」
 既に持っていく荷物は玄関に用意してある。大きい紙袋が2つ。
「うん。ちょっと多いけどよろしくね」
「えぇ、大丈夫ですよ。さぁ加奈、小夜ちゃん。ちょっと早いけどそろそろ行こうか」
「はーい!」
 元気に返事する加奈ちゃんと頷いて返事をする小夜ちゃん。対極に位置してるんだけど、この2人はいいコンビになりそうな予感。つか、あまり動かない小夜ちゃんを加奈ちゃんが連れまわすって感じになりそうだな。意外にも小夜ちゃんは嫌な顔をする事も無く、満更じゃない感じだし。
 みんなで玄関へ向かい、一度小夜ちゃんが部屋に戻って赤いランドセルを背負ってくる。
「ロクちゃんじゃあねー!いってきまーす!!」
 勢いよく玄関を飛び出していく加奈ちゃん。
「それじゃ、ロクさん。・・・ちょっと待って加奈!」
 荷物を持って加奈ちゃんを追いかける太一君。
 1人残された小夜ちゃんはこちらを向いてうつむいている。しばらくそのままだったから何か声をかけようと口を開きかけた時、突然俺を見上げた。一度口を開けかけたがまた閉じて、俺をみつめて無言。
 またしばらく待つ。そして、意を決したように一度だけ軽く深呼吸をして、
「・・・行ってきます」
 俺は出来るだけ微笑んで、
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」
 送り出す。小夜ちゃんは頷いて、2人の後を追いかけていく。
 小夜ちゃんの初登校は無事に終わりそうだ。毎日の学校が楽しくなるといいね。さてと、小夜ちゃんを送り出したことだし、俺も会社に行こうかな。

 男共がリビングにてさっき買ってきた小物の袋を全部開ける。その間に女性2人で服などを片付ける。小夜ちゃんが持ってきた荷物のキャスター付のカバンは相当大きなものだったけど、多分服だけで2週間分ぐらいじゃないかな。これから足りなくなるんだと思うから、早苗さんと加奈ちゃんにお願いして一緒に買い物へ行って貰うか。自慢じゃないけど、自分の服すら太一君と一緒に行って選んでもらってるぐらいだから小夜ちゃんの服なんてもっとわかる訳がない。俺はどれだけ中学生を当てにしてるんだか。
 2人がかりで袋を開けたから結構簡単に終わった。向こうも服の収納が終わり、布団のシーツに取り掛かっていたから終わりは見えてきたかな。後はこいつらを運んでしまうだけ。あんまり女の子の部屋を出入りするのは良くないからリビングで待とうか。
「そう言えば太一君は生徒会に入ったんだって?この前、課長に聞いたんだけど」
 コーヒーを入れなおしながら太一君に尋ねてみる。確か課長と昼に蕎麦を食べてる時にそんな話を聞いたような聞かないような。その時たぬきそばの天カスがどうして狸なのかを考えてたから課長のは話半分だった。
「はい、一応生徒会長みたいですよ」
 みたいですってそんな、
「他人事だねぇ」
「生徒会長なんてあって無い様な物ですよ、実際何が出来るわけでもありませんし。行事のたびに準備や挨拶をさせられる雑用みたいなもんです」
「確かにねぇ、中学じゃそんなもんだよね。でも選ばれるだけの人望はあるって事でしょ?」
 コーヒーが入れ終わり、カップを2つ持ってリビングに座る。太一君ならカリスマ的生徒なんだろうな。同じ学年に居たら憧れの的だったよ。
「ありがとうございます。単に担ぎ出されただけですよ。他に誰もやりたがらなかったってだけです」
「でも、本来は3年生がやるんじゃない?それを2年生が取り仕切るなんてすごいじゃん」
「たぶん、来年もやらされますよ。2年連続やった方が先生達も楽だったからじゃないですかね」
 でも課長は喜んでた、・・・はず。正直覚えてないけど。
「これで内申には相当上乗せされたね。そう言えば来年は受験かぁ、忙しくなるね」
「いえ、すぐに決まると思いますよ。推薦を取りに行くつもりですから」
「あれ?もう行きたい高校は決まってるの?」
 まだ2年生が始まって間もないってのに。
「はい、ロクさんと同じところですよ。一般入試で入るのにはちょっと苦労しそうなので」
 俺の高校・・・。あぁこのすぐ近くの。
「すぐ傍じゃん。そんな俺でも入れたのに太一君なら余裕過ぎるでしょ」
 確か超進学校とか言ってたな。今思い出せば県外からも来てた奴が結構いたねぇ。俺も近いってだけで選んだ高校なんだし、そんな高校受験で勉強した覚えもないんだけど。
「いえ、ロクさんと一緒にしないでくださいよ。元々の出来が違いますし、神懸り的な幸運は持ち合わせてませんからね」
 そう言っていたずらっ子のように笑う太一君。確かにヤマを張って試験に挑んだらそのヤマがジャストミートして更に風に乗って場外ホームランって感じだったからね。ってか、何で知ってるの?あぁ、課長がしゃべったのか。
「終わったわよー。ロクちゃん私にもコーヒーをもらえるかしら。小夜ちゃんには紅茶ね」
 おっと、終わりましたか。時計を見ると4時20分前あれから約30分ちょっとですか。早いなぁ、さすが早苗さん。主婦の鑑だね。
「お疲れ様です。ありがとうございました。ゆっくりしてください。小夜ちゃんもお疲れ様」
「ねぇ、ちょっと部屋を見てきたら?小夜ちゃんの性格が出てるわよ」
「そうですね、ちょっと見てきていい?」
 そろそろかなって既にお湯をわかしてたんだけど、若干早く片づけが終わったみたいだね。小夜ちゃんを見ると、うっすらと頷いた気が。では3人でぞろぞろと部屋を見に行く。
 小夜ちゃんの部屋の印象は、小奇麗さっぱりって感じで、あまり物を置いたりせず必要最小限でとどめてるみたいだ。カーテンと布団カバーが白をベースにした薄い黄緑色と薄い緑の水玉模様で、机や椅子、小さなテーブルの足が白色で、机とテーブルの天板がガラス、机などに乗ってる小物も白色なので部屋全体が明るい。壁紙が白でよかったよ。えっとこれは純粋とか清潔とかってイメージ?確実に親馬鹿が入ってるな。
 後ろでどう?って早苗さんが聞いてくるので、
「バッチリです。本当にありがとうございます」
「全部選んだのは小夜ちゃんだからね。あの子実はまだ何にも染まってないって感じじゃない?」
 って笑いながら一緒にリビングに戻る。ちょっと待って、早苗さん。それって既に染まってるって意味じゃないですか。やめてくださいよ、まったく。
 キッチンに戻ってみると小夜ちゃんが、カップと両方のポットにお湯を入れていつでもコーヒーと紅茶を入れれるように支度をしてくれていた。さすがと言うか何と言うか、相変わらず出来すぎなんだってば。
 時間までゆっくりしていると、インターフォンが鳴る。誰だろ、宅配便?それとも配送のお兄さんが忘れ物したかな?モニターを見てみる・・・。加奈ちゃん!?取り合えずドアを開けに行き入ってもらう。そしてリビングへ来ての一声は、
「来ちゃった♪てへっ」
 てへっじゃなくて。どこの遠距離恋愛してる恋人だよお前さんは。
「こら加奈!来ちゃ駄目って言っただろ?まったく・・・」
「そうよ、もう終わったからいいけど、結局邪魔になるだけなんだから」
「だってー、家に帰っても誰もいないんだもん。あたしだけ仲間はずれやーだー」
「でも、もう帰るわよ」
「えー、今来たばっかー。ロクちゃん遊ぼうよー」
 俺の腕を揺らして不満をあらわにする。そんな中でも小夜ちゃんは紅茶にご執心。
「ごめんね、今から学校に行かないといけないからまた今度」
「そんなー」
「あぁ、そうだ。明日から小夜ちゃんも学校だからよろしくね」
「そうなの?じゃあ朝迎えに来る!」
「うん、よろしくね」
 ようやく顔を上げて加奈ちゃんを見つめ無言で頭を下げた小夜ちゃん。と言う事でそろそろ家を出ましょうか。

「本当にありがとうございました」
 マンションの入り口で早苗さんと太一君にお礼を。小夜ちゃんもお辞儀する。
「これぐらいで何を言ってるの。何か困った事があったら連絡してくるのよ。わかった?」
「ええ、大丈夫です。既に次のお願いを考えてますから」
 次は小夜ちゃんの洋服を見に連れてってもらわなきゃ。
「そう、ならいいわ。それじゃまたね」
「じゃあロクさん。小夜ちゃんも」
「じゃーねー、小夜ちゃんまた明日ー」
 そう言いながら3人が坂を上っていく。加奈ちゃんあんまり走ると危ないよ。2人で手を振って見送り、それじゃ小学校に行きますか。確かここの坂を左だったな。
 ゆっくり歩いていくと大体20分の道のりの所に小学校と中学校が併設されている。だからここで生まれ育った子は9年間ほとんど変わらない通学路を通る事になって、学年の違う知った顔をよく見かける事になるらしい。俺の地元はこっちじゃないからこれからはもっと近所付き合いもしていかなきゃな。
 門の前まで行くと部活帰りの子供達が勢いよく飛び出してくる。周りを見ないと危ないよー。んじゃまぁ行こうか。玄関を入ってスリッパに履き替える。そう言えば学校の玄関って通るのは初めてだな。今まで縁が無かったところだ。そう考えると学校に通っている間でも入った事、通った事の無い場所って意外にあるかもしれないな。そして、大体玄関の先は職員室だったりする。ノックし扉を開ける。えーっと、お電話致しました草野です。岸本先生はいらっしゃいますか?
「あぁ、はいはい。私です、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 と言って隣の部屋に案内される。へぇ、応接室があるんだ。どうぞお座り下さいと勧められたので遠慮なく。
「どうも草野さん、岸本です」
 ジャージ姿に短髪の若い男の先生。どう考えても体育教師ですね。
「大変申し訳ないのですが、校長も教頭も不在でして私が対応させていただきます」
「とんでもない。いきなりご連絡をしたのはこちらですから」
「そう言って頂けると助かります。さっそくで申し訳ありませんが、書類はお持ちでしたか?」
 忘れずに持ってきておりますよ。
「ええ、こちらでいいかと思いますがご確認ください」
 封筒から書類を出して渡す。しばらく岸本先生が書類を眺め、
「娘さんは小夜さんですか・・・。はい、大丈夫です。では頂いていきます」
「よろしくお願いします」
「ところで、さっそく明日からと伺いましたが、よろしいですか?」
 はい、そうです。
「ええ、いきなりで申し訳ない話なのですが」
「いえ、構いませんよ。5年生でしたね。2クラスありますが私が担任の2組になると思いますのでよろしくお願いします」
「そうですか、こちらこそよろしくお願い致します」
 今度は小夜ちゃんに向かって
「小夜ちゃん。明日からよろしくね」
「よろしくお願いします」
 と小夜ちゃんが頭を下げる。っと言わないといけない事が、
「それでですね、先生。ちょっとこの子と私に事情がありまして、実は・・・」
 小夜ちゃんとの事を話そうとすると、
「あぁ、はいはい。お聞きしております。草野さんがその・・・引き受けられたとか」
「えぇ、なにぶん独り者でしたから右も左もわからない事だらけで。色々とご迷惑をおかけすると思いますが」
「いえいえ、教科書等はございましたか?」
 あぁ、小夜ちゃんが持ってきたから。
「はい、用意はあります。取り敢えず一式あると思いますが足りないものとかある様でしたらご連絡ください」
「わかりました」
 今度は小夜ちゃんを向いて
「明日、学校へ来たら職員室に来てね。その後一緒に教室まで行くから」
「はい、わかりました」
「では草野さん、こらからよろしくお願いします」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します」
 立ち上がって部屋を出る時に一礼。黙ってても小夜ちゃんもするところがすごいよなぁ。それが普通なのかな。
「じゃあ帰ろうか」
 そう促して帰る事とする。これから長くても2年間はこの学校にお世話になります、小夜ちゃんが。よろしく。

 家に帰って小夜ちゃんが作ってくれたご飯を食べる。冷蔵庫の中身がぱっとしない状況の中、残り物とかで何とかやりくりしてくれたんだけど、いやぁそれがもう美味しいのなんのって。煮物の味付けがホント最高だった。甘くもなく辛くもなく、ジャガイモなんてホクホク。実はすごい料理上手なのに、なにが「ある程度は」なのか。これだから日本人は読めないって言われるんだよ。こりゃ毎日帰ってくるのが楽しみだな。
 夕飯も終わり小夜ちゃんが洗い物をやってる時に俺がまどろんでた所、あっ!忘れてた!!最近物忘れが激しいなぁ、歳か?部屋から昼に買った物を持って来て
「小夜ちゃんに渡すものがあったの忘れてた。はい、これ」
 渡したものは携帯電話。
「我が家は電話を引いてないからね。一応俺と課長と早苗さんと太一君の番号とアドレスを登録して、向こうにも教えておいたから何かあったら連絡するといいよ。ちなみに加奈ちゃんは持ってないからね。あんまり学校に持っていくのはよくないけど、学校に持っていくならちゃんと電源を切ってカバンに閉まっておくんだよ」
 受け取った小夜ちゃんは一瞬ぽかんとしていたが、ありがとうございますってお礼を言ってさっそく携帯をいじりだした。なんだかおもちゃを与えた親の気分だね。さてと、風呂に入って寝ようかな。明日から仕事だぁ。2日分、特に今日の分の仕事を明日の午前中に片付けないと。

 お店を出て、3人は課長の家へと向かう。運転手をかってでたのだが早苗さんが自分で運転するとの事で却下された。その間に自分の部屋を全て片付けておけと指示を受ける。一時の小夜ちゃんとの別れ、俺の事を忘れないでねーっとハンカチを噛み締めてる気持ちで見送る。さぁて、家に帰る前に買い物をして来ようっと。
 マンションに着くと、家には戻らずにそのまま駐車場へ。本当は食材を買って来ないといけないけど、小夜ちゃんと一緒じゃないから意味が無い。だから輸入食品&雑貨の店。ここでティーポットと紅茶の葉を買う。とは言え、紅茶には疎いから店員さんにお勧めを聞く。
「最近はフレーバー系がお勧めですよ」
 フレーバー系?
「アップルとかストロベリーなんかの香りがついてるものです最近は色々あるんですよ」
 へぇ、そんなんあるんですか。
「お好みがわからないのでしたら柑橘系なんかお勧めです」
 えぇ、確かにお好みはわかりません。柑橘系が好きかどうかもわかりません。
「なんか、普通のってあります?」
「えぇ、香りや飲み方で変わりますけど、一番メジャーなのがダージリンですかね。アッサムもお勧めですよ。後はアイスティーにするならディンブラとかなんていかがですか?」
 ???やばい、何言ってるのかわかなくなってきた。
「えーっと、どうやって飲むのが好みかまだわかんないんですよ」
「そうですねぇ、ならニルギリが向いてるかもしれません。蒸らす時間などを変えればミルクティーもいけますよ」
「なら、それをいただけますか?」
「はい、等級はよろしいですか?」
「はい…。よくわかりませんが」
「FTGFOPです」
「は、はい…」
「分量はいかがされます?」
「50gでもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
 ってな具合で紅茶葉を購入。次に来るときは勉強してから来よう…。後フレッシュも忘れずに購入。
 よし、まずはこれで良しっと。そしたら次は鍵屋さんへ。スペアキーを作ってもらおうとしたけど、
「これは電子キーですね。うちで複製は出来ませんよ」
 えっ?出来ないの?…まぁいいや。家にスペアが一本あった筈。管理会社へ連絡して一本作って貰わなきゃ。
 後はちょこちょこっと寄って、帰宅。もうそろそろ小夜ちゃん達が帰ってくるかな、っとすると携帯が鳴る。メールの着信だね。相手は早苗さんか。噂をすればなんとやら。ついでに時間を見ると3時前か。
『もうすぐ帰るよ!配送をお願いしたから一緒にお家に着くと思う。』
 はーい。んじゃ返信っと。
『わかりました。玄関を開けておきます。』
 これでよしっと。んじゃまぁ自分の部屋を片付けようかな。って言っても配置なんかは太一君とやってしまったので、パソコンを繋げて本を並べるだけなんだけどね。ただ、パソコンのつなげ方が・・・。これって同じ色のケーブルを差せばいいんだっけ?よしっ!・・・・・・・・・・・・青色はどっちに差せばいいの?なんか2つあるんだけどさぁ・・・・・・。しかも差し口がいっぱい余ってるんだけどいいの?これ。まぁ動けばいんだよ、動けば。動かなかったらまた来てやってもらおうっと。
 さぁて、本を棚に並べて・・・。この辺は積んでおけばいいや。よしっ!これで完了っと。するとタイミングよく、
「ただいまー」
 と3人が帰ってきた。そして玄関先でごたごた何かしてる。あぁ、配送の人も一緒に着いたか。んじゃ、ちょっと様子を見てこようかな。
「おかえりなさい。どうでした?」
「ええ、無事に買い終わったわ。さぁ運んでもらいましょ。小夜ちゃん、どこに置くか教えてね」
 奥に居た小夜ちゃんが頷いて、先に家に入ってくる。その後ろには太一君が両手に荷物を抱えて順番待ち。
「太一君、それ頂戴。一旦リビングに運ぶから」
「あっロクさんありがとう。結構重いですから気をつけて」
 荷物を受け取ると、確かに。何が入ってるんだろう…。いや見ちゃ駄目だ。
 玄関を見てると配送のお兄さん達がまずは小さめカーペットを運び入れベッドと机を運び込む。布団一式とカーテン、あとは箪笥とケースの間ぐらいの衣装棚や小さなテーブルなんかも運んでくれた。…やっぱり早苗さんに頼んで正解だな。俺が思いつかない物が大物だけでもたくさんある。
 大物は全て運び入れたようで、早苗さんが伝票にサインして爽やかな笑顔で配送のお兄さん達が帰っていった。忘れずに早苗さんから領収書を貰う。実は昨日の夜に全部プレゼントするとか課長と早苗さんが言ってたけど、さすがにそこまで甘える事は出来ないので丁重にお断りをした。若干、課長は残念がっていたのだが。さてと、あとはさっきリビングに置いた手持ちの荷物と、小夜ちゃんが持ってきた荷物を整理するだけか。
「お茶を入れますが、何にします?」
「そうねぇ、久々にロクちゃんのコーヒーが飲みたいわね」
「僕も同じでお願いします」
 コーヒー2つ注文が入りました。小夜ちゃんは?と促すと
「ごめんなさい。わたし、紅茶がいいです」
「了解、そんな申し訳なさそうにしなくていいよ。小夜ちゃんって朝は紅茶だけど、紅茶が好きなの?」
 よしっ、ついさっき買ってきたティーポットの出番だ。台所でお湯を2つ沸かしながら聞いてみる。
「うん。コーヒーは飲めないから…」
 なるほど、それじゃこれから勉強してとびっきりの紅茶を入れてあげないと。
 本当ならコーヒーはサイフォンにしたいけど、アルコールを切らしたとこだったので今日はドリップにしよう。まずはコーヒーポットにお湯を入れて、同時にティーポットもお湯を入れて先に暖める。その間にお湯を2つ沸かす、普通の雪平鍋とドリップポット。
 ドリップペーパーを用意してコーヒー豆を用意。雪平鍋が先に沸いたのでそれぞれカップに注ぐ。そしてティーポットとコーヒーポットのお湯を捨て、さっき買った紅茶葉を2杯分。ドリップポットが沸騰したのでお湯を注ぐ。少し落ち着いたとこでまずはコーヒーを蒸らす、1分程まってドリップする。3杯分だとドリップし易くて助かる。ゆっくり注いでいるとティーポットの茶葉が沈むのが見える。これがジャンプってやつか。あぁそう言えば、
「小夜ちゃん、紅茶ってフレッシュ入れる?」
 ダイニングのテーブルに座って不思議そうに俺を観察してた小夜ちゃんが頷く。
 了解、じゃあちょっと長めに蒸らす。ってさっき店員さんが言ってたから、時間を少し伸ばす。と、コーヒーもドリップし終わったので先にコーヒーをそれぞれのカップへ。んで、小夜ちゃんの紅茶はティーポットの茶葉を抜いて、カップのお湯を捨てて裏返しに。
「はい、できましたよ」
 小夜ちゃんがカップとティーポットをリビングのテーブルへと運ぶ。俺はフレッシュ3つを冷蔵庫から出して、砂糖を手にリビングへ。
「ロクちゃんのコーヒーは久々ねぇ。さすがいい香りがする」
「何言ってるんですか、仕込んだのは早苗さんですよ。今でも足元にも及ばないんですから。ねぇ太一君」
 そう言いながら小夜ちゃんの紅茶を注いであげる。
「いえ、ロクさんも今じゃほとんど変わらないですよ。母さんがよく言ってるんですが、喫茶店をやりたいけど、手伝ってもらえるとしたらロクさんしか居ないって。やっぱりおいしいですね」
「でもまぁ、お世辞でもやっぱり嬉しいね」
 横で小夜ちゃんがカップの香りを楽しんでる。よかった、ちゃんとした紅茶葉を買ってきて。
「そう言えば、小学校へは何時に行くの?」
 そう早苗さんに聞かれ、思い出す。
「お昼のあとに連絡したら5時に来て欲しいそうです。なので4時35分頃に家を出ればいいかと」
 3人が時計を見る。今が3時40分。小夜ちゃんはカップから目を離さない。まだ口をつけてないので猫舌なのかな。
「なら、一服して小夜ちゃんの片づけを手伝ったら丁度いい時間ね」
 ですね。ではもう少しゆっくりし・・・あっ!しまった!!
「早苗さん、忘れてた!小夜ちゃんの教科書とか上履きとか!!」
「えっ?そう言えばそうね。今からでも間に合うかしら?」
 うっかりし過ぎた。俺には転校の経験なんて無いから買い揃えないといけないなんて感覚が全くなかったんだ。
「小学校指定の服屋とかってどこにあるんです?多分そこで教科書以外は揃うんじゃないですか?」
「そうねぇ。確か小学校の傍にあったわよ。今から行くの?」
 小学校の傍。なら今から行ってその後直接学校に行こう。
「はい!小夜ちゃん、行くよ!」
 と、まだゆっくり紅茶を飲んでくつろいでいる小夜ちゃん。ちょっと、早く行こうよ。
「ある・・・・・・」
 小夜ちゃんが何か呟いてる気がする。・・・えっ?なんだって?
「もうある。持ってきた」
「えっ?持ってきたって、前の家から?」
 紅茶をすすって頷く。
「前の学校のじゃなくて?」
 頷く。
「・・・そっか、よかったぁ。てっきり何もないかと思ってたよ。焦って損したぁ。そう言えば転校手続きの用紙も持ってきてたもんね。でも次の学校のなんて用意がいいと言うか何と言うか」
「そうよね。転校先の準備なんて転校してから用意するものだと思ってたけど」
 小夜ちゃんはカップを両手に持って不思議そうにこっちを眺めてる。いや、不思議なのはこっちだから。
「持っていく物は全部用意してあったから。それを持って行くだけでいいからって」
 なるほど、ほとんどの準備はしてあった訳か。でも、結果的に俺の家にいるから良いけど、もし・・・。いや、これは考えるだけでも駄目だな。まぁ不思議を不思議のまま受け入れられる人間でよかった。
「さて、ぬか焦りをしたところで片付けに戻りましょうか」
 小夜ちゃんも立ち上がり、よし、早苗さんの号令により早速始めよう。ってその前に。
「ねぇ、太一君。ぬか焦りって何?」
「多分ぬか喜びの焦ったバージョンだと思うよ」
「あぁ・・・」
「母さんオリジナルになるのかな?」
「いや、オリジナルとかそう言う話の次元じゃないでしょ」
 太一君と2人で声を殺して笑っていると、先行した早苗さんに、
「ちょっとそこの2人!仲が良いのはいいけど、さっさと始めるわよ!!」
 ほら、太一君が怒られた。

 あれ?ここは…ソファー?まぁいいや、手探りでタバコを手に取り火をつける。ぷはぁ~。あぁ、台所がうるさいなぁ。おはようございますってなんだよもう。って!?
「おっおはよう!小夜ちゃん!」
 大急ぎで目を開けてみれば台所でレタス片手にした小夜ちゃんが驚いた顔をしてる。そりゃ俺も驚いて大声で朝の挨拶をしたからなぁ。寝起きのグダグダした奴からいきなり生きのいい挨拶が返ってくるとは思いもしなかったんだろうな。もちろん俺も思わないけど。
「大声出してごめん、今起きたよ」
 頷いて、レタスを千切る作業に戻る小夜ちゃん。さぁて、これを吸い終わったら顔を洗ってこようかな。
 昨日の夜、寝る前にちょっとした言い合いになった。いや、言い合いにはなってなかったけど、それは家事の分担について。朝の起きる時間とかお互いの生活リズムを確認した後、それぞれが何をするか俺が話をした。まぁ今まで俺は1人でやってた事のどれを小夜ちゃんに譲るかって事になるんだけど、基本的に小夜ちゃんが起きる時間が早い。学校までの時間を考えれば8時に家を出れば間に合うのだが、以前から6時に起きる習慣があるそうで、朝ごはんは小夜ちゃんに作ってもらう事にした。そして晩ごはんについて。ある程度は作れるとの事らしいので、交代制にする。ただ、俺が仕事などで遅くなったときは、どこかの日付と入れ替えをする。もちろん洗い物は俺がする。洗濯についても交代制。掃除は平日もちょこちょこお互いがやって、週末で一緒にやる。ゴミは集めるのは小夜ちゃんで、出しに行くのは俺。
 まぁ、抜けてる部分もあるかもしれないけど、簡単に決めてみた。んで、どう?って確認を取ると、小夜ちゃんは全否定、小夜ちゃんは全部やるって言い張る。もうそこからが大変、何を言っても、どんな提案をしても妥協点にならないのか無言のまま首を縦に振らない。さすがに俺も疲れてきて結局小夜ちゃんの案で通ってしまった。ただし、小夜ちゃんが全部をやってるとしんどいし、やりたくない時もあるだろうから、無理してやらずにいつでもサボってくれってお願いはする。この子の頑固は筋金入りだ。
 コーヒーの香りがしてきたのでさっさと支度をしてテーブルに座る。
「いっただっきまーす」
 熱いコーヒーが喉元を過ぎていく。あぁ生き返るなぁ。パンをかじると小夜ちゃんに聞かれる。
「挨拶、大家さんにはいいんですか?」
「?」
 大家さんって誰…。あぁ、地主の爺さんか。あの人はたぶん、
「爺さんなら大丈夫だよ。課長が話をする筈だから。もともと忙しい人で必要なら向こうから連絡があるからね。いい年して元気すぎるんだよあの爺さん。大体いつも日本にいないし。あっこのオムレツおいしい。卵は一緒だよね?」
「うん、牛乳を少し。生クリームがなかったから」
「へぇー、まろやかになるねぇ」
 ある程度って言ってたのに本当は料理が上手いんじゃない?
「そういえば、学校なんだけどね」
 紅茶を飲む手を休めて、こちらを見る。
「今日、転校届けを出しに行こう。俺、明日から仕事だから1人で家に居ても暇でしょ?だから学校は明日からにしない?」
 少し考えて頷く小夜ちゃん。んじゃ、夕方に学校へ行こうか。後で電話を入れよう。
 そうこうしてる内に食事も終わり、小夜ちゃんが洗い物をしてる時にインターフォンが鳴った。モニターを見ると早苗さんだ。っと太一君?
「おはよう!」
「おはようございます」
 玄関を開けに行き家に招き入れる。
「おはようございます。わざわざすみません。っと太一君までどうしたんですか?」
 一旦、リビングのソファーに座ってもらう。ちょっと前まで俺がそこで寝てたけどね。
「ええ、親父が男手ひとつじゃ何かと不便だろうからお前も行って来いって」
「それは非常に有難いんだけど、学校はよかったの?今日もあるんでしょ?」
「はい。そう言われたら、何も皆勤賞を取るだけが人生じゃねぇって伝えろって」
 微笑ながらそう答える。それはそうだと思うけど、先読みされてる課長に腹が立つ。あの人は一本取った気でいるんだろうな。ぜ、全然悔しくなんかないんだからねっ!
 小夜ちゃんがお茶を入れた様子で、湯のみ3つをリビングのテーブルに置く。おいおい、躾が出来すぎでしょ。2人はありがとうって受けってるけど。って、そう言えば
「あれ?家にお茶ってあったっけ?買った覚えがないけど…」
「持ってきました、急須と。湯飲みはあったのでよかったけど」
 なぜ?確か前に何かのときに湯飲みは貰ったような覚えはある。わざわざ家から持ってきたのか…、なぜ?まぁ結果的にはよかったんだけどさ。まぁいいか、お茶を頂こう。
「小夜ちゃん、お茶を入れるの上手ねぇ。おいしいわ、ありがと」
 うん、早苗さんの言うとおり、渋くもなく甘すぎるわけでもないし、それに何より香りがいい。お茶って温度管理が難しかった覚えがある。なんとなくお茶は敬遠してたんだけど、ってそれはどの飲み物でも一緒か。こういうのはやらず嫌いって言うのか?
「じゃあ、早速はじめましょうか。まずは小夜ちゃんの部屋を空っぽにしましょ。それから色々買い物に行って、その間にロクちゃんは自分の部屋を片付ける。っでOK?」
「問題ないです。ただ、小夜ちゃんの学校なんですが、今日の夕方に転入届を出しに行こうと思ってます。小夜ちゃんは明日から通えるように」
「あら、明日からにしたの?」
「はい、どうせ俺も明日から仕事ですから、一日家に居ても暇でしょうし」
 早苗さんは少し考えた様子だったけど、
「そうね、やる事ないなら家に来てもらってもよかったんだけど、それが良いわね。それじゃ今日中になんとか形にしないと。じゃ始めましょ」
 各々が頷き、早速家の片づけが始まった。
 まずは小夜ちゃんの部屋にあった机や本棚などを中身を出して、太一君と運ぶ。もともとこの家に引っ越した当時は俺も社会人1年生で、そうたいした荷物もなく、ほぼ裸一貫で移り住んできた。そこから約5年住んでいるが荷物も大して増えたような感じはしないなぁ、本が増えたぐらいだね。引っ越してきた当時もこうやって早苗さんに手伝ってもらったっけ。
 当時俺は大学を卒業するにあたり、就職活動を密かにしていた。まぁ一度は大学院に行ってもいいかなぁなんておぼろげに考えていたけど、どうせ1人で生活してるんだから就職して無難に生きていこうなんて思ってたんだ。そして数打ちゃ当たるもんで、何社か内定を取り付け、さぁどれにしようかななんて選んだときに爺さんが俺が就職活動をしている事を耳にする。突然呼び出しをくらい、3時間程説教。その説教の内容もひどいもので、お前は何を勝手にしているんだとか、一言ぐらい声をかけろだの、どこの馬の骨ともわからん会社にお前はやれんだの、訳のわからない内容で言い返すと長くなる人なので黙って怒られていると何故か今の会社に就職する事になっていた。いやまぁ、説教の最中に半分寝てた俺も悪いんだけどさ。その時にこの家へ引っ越すことも決まったらしい。んで、就職先の会社は元々爺さんが始めた会社の子会社で子供が、課長の親父さんが取り仕切っていた。当時は課長も成り立てで、俺は右も左も判らないだろうからまずは課長のサポートと言う事で入社する事になる。まーあの課長の人使いの荒さは酷いのなんのって、3年前からは大分よくなったけどさ。
 んな回想を織り交ぜながら荷物を運び、運んだ荷物を整理する。意外にも太一君の力があってびっくりした。細い華奢な体つきのどこからその力はやってくるのか。でもまぁ、そのおかげで大きい物はすぐに運び終わり、細々した物を元に戻すだけになった。どうやら俺のほうは早く済みそうだ。
「あらかた終わったわね。まだ11時ねぇ、ロクちゃんどうする?」
「どうしましょうか。ちょっと早いですがお昼に出ます?」
「そうねぇ、ならその後に買い物へ行きましょ」
 と言う事で、近くの洋食屋へ。この洋食屋がまた旨い。全体的にすばらしいのだが、特にハヤシライスにかけては世界でNO.1を謳ってもどこからも文句は出ないだろう。でも実力の割に店構えが控えめすぎて住所を頼りにここまで来ても多分見つからないのではないだろうか。建屋と建屋の細い隙間を入って四方を建物に囲まれ、隠れ家的演出をするのはいいけど、本当に隠れてどうするんだか。まぁでも近くの奥様方の秘密基地になってるから客には困らないんだろうけど。
「小夜ちゃんは何にする?」
 一通りメニューを眺め、これって呟きながら指をさす。ハヤシライス。お目が高い。2人も決まったようで、店員さんを呼ぶ。すいませーん。
「おまたせしました」
 いえいえ、全然待ってませんよ。
 早苗さんと小夜ちゃんがハヤシライス。太一君がインディアンハンバーグ。んで俺は、
「ハンバーグをケチャップで」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
 と丁寧にお辞儀をして席を離れていく店員さん。ここのケチャップは絶品で、もちろん既製品などを使わず自家製のケチャップを作っている。実はこの店、ケチャップ愛好家の間で大変有名な店でメニューにはないが、ケチャップを買って帰る人がいる程ケチャッパーの舌を唸らせている。もちろん俺もケチャッパー。けどマヨラーは敵じゃないよ、親戚みたいな物だよ。
 しばらくすると注文の品が順々に届けられる。いただきまーす。まずはハヤシライスを食べる小夜ちゃんのリアクションを待つ。一口食べた後、目が開いて「おいしい…」って。よかった、よかった。すると早苗さんが、
「ここのハヤシは醤油がいいからねぇー」
 醤油?ハヤシライスに醤油?ん?隣でへぇ~って感心してまた一口、何度か頷いてなんか納得してる。ハヤシライスって醤油を使うの??ねぇ、誰か教えて。まぁいいや、ハンバーグを頂きましょう。うめぇ!ケチャップうめぇ!!
 涙を流すほどの感動に打ちひしがれ、食べ終わった皿に後ろ髪を引かれながらさよならを告げる。ごちそうさま。さらばケチャップよ、また会えるのを楽しみにしているぞ。ケチャップを買って帰ろうか本気で悩んだが、今はその時で無いとお告げを受けたので今回は諦めた。
 コーヒーを飲みながらお腹を落ち着ける。小夜ちゃんは紅茶だった。この子は紅茶がすきなのかなぁ。後で聞こっと。
「ところでロクさん、車は買い替えたの?」
 太一君が思い出したかのように聞いてきた。そう言えばちょっと前に太一君と出かけた時、車を買い替える的な話をしてたなぁ。
「実はまだなんだ。正直何を買っていいかわからないし、まだ動くからね。でもまぁ小夜ちゃんがいるし本格的に探さないと、とは思ってるけど」
「早いほうがいいと思うよ。さすがにあそこまで乗ってあげれば車冥利に尽きると思うし、そのうち出先で止まっちゃったら洒落にならないから。もし良かったらいくつか選んでもいい?」
「うん、お願いしようかな」
 課長が車好きで、短い周期で車を買い替える人なんだけど、その影響か太一君も車好きになってた。ただ、課長はスポーツタイプを好むのに対し太一君は一般車が好みとその全てを受け継いでいるわけではないらしい。まぁ性格が出てるんだと思うけどさ。課長が選んだ車なら中身を聞かずに却下するけど、太一君が選ぶなら間違いが無いだろう。色々な物をトータル的に考えてくれるだろうからね。
 さて、飲み物も無くなった事だし、動き出すとするか。まずは早苗さんと会計戦争を始めるとしよう。まずは先手、さぁ、行きましょうか。の掛け声と共に伝票を無事に入手する。
「いいわよロクちゃん、ここは私が」
 ここでの長期戦は避けたいところ。一気に行って勝ちを収めよう。
「いえ、わざわざ手伝いに来てくれてるんですから、これぐらいはさせて下さい。いつも世話になりっぱなしですし、それに昨日もお邪魔したばかりじゃないですか」
 さぁ、引き下がってください。
「だーめ。ロクちゃんに色々してあげても足りないんだから。お姉さんの言う事を聞きなさい」
 ちっ、食いつくんですか。決定的な何かを…。
「いえいえ、駄目ですって。それじゃ俺の気が済みません。これからも世話になるつもりですからここは出しますって」
 さぁ、どうだ、まだ足りないか…
「今更なに言ってるの。いいからそれを頂戴」
 やっぱり弱いか、こうなったら奥の手だ。
「いつもは俺ですけど、今日は小夜ちゃんの為なんですからここは払わせてください。こうみえても父親なんですよ。形だけでも格好をつけさせて下さいよ」
 これで打ち止め。返されたら負ける…
「うーん、しょうがないわね。じゃあご馳走様。ロクちゃんも男になったのね」
「いえいえ、まだまだですよ」
 よしっ!取った!!かなりぎりぎりだったけど、なんとか勝ちは収められたな。さすが早苗さん、しぶとかった。次があったら間違いなく負けるな。横を見れば太一君は苦笑いを浮かべてる。とりあえず小夜ちゃんに親指を立てて勝利の合図をしておく。小夜ちゃんは呆れた顔をしてるように見えるけど。

「せっかちな親父が悪い。言葉足らずなロクさんも悪い。だから両方悪い」
「あー、すまん」「すんませんでした」
 中学2年生の少年に言われ、素直に謝る大の大人2人。
 2人の叫び声に何事かとようやく現実へ帰ってきた三人が駆けつけて見たのは、肩で息をしている課長と悶絶してる俺と電池を拾ってリモコンに入れ直している小夜ちゃんだった。小夜ちゃん…。
 その後お互いが自分の主張で言い合いになり、収拾がつかなくなったところで太一君の登場となる。加奈ちゃんに弱いと周りから思われてる課長だが実のところ、一番弱いのは加奈ちゃんや早苗さんじゃなくて太一君にだったりする。今まで何度も太一君が課長を言いくるめているシーンを見ているのだが、課長は一度も反論したりせず素直に受け入れて謝罪をする。だからと言って父親の威厳みたいなものが失われているわけでもない。多分、引っ込みがつかない時とかにきっかけを作るのが太一君の役目みたいな事なんだと思う。それを家族みんながわかってるからすごく仲がいい。
「さぁ、仕切りなおして小夜ちゃんをお祝いしましょ。ロクちゃんはビールでいいよね。せっかくだから私も今日は飲もうかしら。小夜ちゃんは何にする?オレンジジュースでいい?」
 そう言いながら立ち上がってキッチンへ向かう早苗さん。
「あっ、自分で…」
「だーめ。小夜ちゃんは主役なんだから座ってて。加奈、ちょっとこれ運んで」
「はーい」
 立ち上がろうとした小夜ちゃんだが、早苗さんに座っていろと言われ居心地悪そうに座る。その代わりその隣に居た加奈ちゃんがキッチンへ。
「にしても、彼女を作れ作れと今まで散々言ってきたが、いきなり娘が出来るなんてなぁ」
 瓶ビールを手酌で注ぎ一気にあおる課長。確かに紹介してやるから彼女を作れと言われ続けてきた。この家でも職場でも。
「ええ、しつこかったですからね。耳にタコが出来てますよ」
 本当にしつこかった。あまつさえお前が結婚するまでおちおち寝れやしねぇとか言い出す始末。じゃあ寝ないで下さい。と言ったら殴られた事がある。
「さぁ、それじゃあ始めましょうか」
 みんなの飲み物を運び終えた早苗さんが座り、みんなで課長を見る。課長は頷いて、

「小夜ちゃん、少しばかり頼りないがこいつは良い奴だ。だけどこいつの良さはすぐにはわからないかもしれない」
 小夜ちゃんが首をわずかに横に振った…気がする。
「俺たちはロクが好きだ。だから君もこいつの事を好きになってくれたら嬉しい」
 よくも恥ずかしげもなく言えるもんだ。それに3人も頷いてるし。
「それにロクは俺たちの家族だ。だからロクの家族になった小夜ちゃんは俺たちの家族でもある。もちろん俺たちは小夜ちゃんを歓迎する」
 みんな笑顔で小夜ちゃんを見つめる。そしてみんなで飲み物を掲げて、
「それじゃ、俺たちの新しい家族に、乾杯!」
「「「「「 かんぱーい! 」」」」」
 やっぱり俺もこの家族が大好きだ。小夜ちゃんもみんなを好きになってくれると嬉しいな。

 早速、加奈ちゃんが「小夜ちゃんどれがすきー?あたしイクラ食べるー。小夜ちゃんはー?」と小夜ちゃんに話しかけてる。そんな加奈ちゃんのアクティブさに戸惑いながらも「エンガワ…」とか、馴染んでるのが微笑ましい。つか、1発目からエンガワチョイスはどうなの!?
「おい、ロク。そいつは俺の中トロだ」
 人が娘を見て幸せになってる時に邪魔しないで下さい。
「知りませんよ、そんなの。名前が書いてある訳じゃありませんし。ガリでも食べててください」
「うるせぇっ!」
 俺の取り皿から中トロを奪って自分の口の中へ。ほとんど噛まずに飲み込みやがった。
「あっ!なにしてんですか!!返してくださいよ、ちょっと!」
「この中トロは俺のだ。俺が食って何が悪い!」
「ふざけないで下さい!じゃあ課長のそのサーモンは貰って行きます!」
「あってめー!」
 課長の取り皿にあったサーモンを頂く。うぉ、油がのってて溶けてった。
「おい!ふざけんな!返せこのヤロウぉ!おいテメェ!!」
「いってぇ!ちょっと!課長が先に食べたんでしょ!」
 この人はすぐに手が出る。簡単に引き下がるかよ、なめんな!課長ともみ合いになって…
「親父やめろって!」「うるさい」
 太一君に止められる課長。小夜ちゃんに怒られる俺。
「すまん」「ごめん」
 2人してショボーンってなる。それを見て盛大に笑う加奈ちゃん。いや、笑いすぎでしょ。
「ところで小夜ちゃんはいくつなの?」
 あっありがとうございます。ビールを俺のグラスに注ぎながら早苗さんが小夜ちゃんに問いかける。
「10歳。5年生です」
「えー、小夜ちゃんあたしより年下ぁ?ぜんぜん見えないー」
 うん、確か加奈ちゃんは6年生だったはず。まぁ小夜ちゃんは落ち着いて見えるからね。
「加奈の一つ下なのね。学校はいつから?」
 早苗さんに向けていた視線を今度は俺に向けてくる。あぁそういえば話をしてなかったな。
「一応来週からにしようかと思ってます。まだ買い物とか部屋の準備を済ませてないので」
「ロクちゃん駄目じゃない!そういうのは真っ先にやらないと」
 いえ、買い物に行こうとした矢先に強引にこの家に呼ばれたんです。まぁ片付ける事自体はお昼まで忘れてたんですがね。
「小夜ちゃん、明日はどこか行くの?用事がないなら一緒に行きましょ」
「いえ、早苗さん。そこまでしてもらわなくても」
「おい、ロク。お前、何を買わなきゃいけないかわかってんのか?どうせ本人に聞けばいいやなんて思ってんだろ?ばーか。そんなん女の事を男がわかるわけがねぇ、女に任せりゃいいんだよ。お前は黙って家の掃除でもしとけ」
 確かに、課長の言う通りだ。俺が買い物に行っても何を買っていいかわからないし、俺と一緒だと欲しい物を言葉にしないだろう。なんせ部屋すらいらないと突っぱねた子だし。
「そうですね、それじゃお言葉に甘えさせていただきます」
「あたしも行くー」
「「「 だめ 」」」
 3人が同時に加奈ちゃんに突っ込む。えーなんでー?ってふてくされて、
「じゃあ帰ってきてからロクちゃん家に遊びに行く」
「加奈は邪魔になるから行っちゃ駄目だよ」
「なんでー、あたしも掃除するもん」
「じゃあ、まずは自分の部屋を片付けてからだね」
「……あっ、あした約束があったんだ!」
 白々しく上を向いて、しまったしまったと呟いてる。それを見て一斉にみんなが笑い出す。やっぱり明るい人たちだなぁ。

「さぁて加奈、小夜ちゃん。そろそろ上に行こうか。何して遊ぶ?」
 と、太一君が2人を連れて2階へ。
「お茶はいる?」
「はい、頂きます」
 早苗さんが簡単にテーブルを片付けてキッチンへ向かう。
 課長と2人だけになり、無言の時間が流れる。課長はビールからウィスキーになって、さっきからちびちびやってる。ちょっとだけ重い空気が漂い始めて、おもむろに課長がこちらを見ないで、
「なぁ、ロク。お前いきなり娘なんて大丈夫なのか?そもそもどうして決めたんだ?」
 真顔でグラスを回しながら聞いてくる。理由を聞かれても。初めてドアの向こうに見た小夜ちゃんの泣きそうな顔が浮かんでくる。
「…どうしてなんですかねぇ。多分、乗りと勢いです。雨の中に向かわせられます?あんな子を1人には出来ませんよ。それに親の保険金は手付かずですから……」
「……まぁお前が決めたことだ、反対はしねぇよ。ただ、ここには俺たちがいる。なんかあったら頼って来い。むしろ頼られない方が俺たちは寂しいんだからな」
 本当にありがたい。引き取る事を決めたときもやっぱりこの家族がいたから心配は少なかったのかもしれない。いざとなったら本気で頼らせてもらおう。
「えぇ、わかりました。きっと小夜ちゃんも課長の事、気に入ってくれてますよ。なんせここは・・・・・・居心地がいいですから」
「そうか・・・」
 そこで早苗さんは「おまたせ」とロックアイスとグラスを持ってきた。
「まぁせっかくだ。ちょっとは付き合え」
「ええ、そうですね。たまには」
 課長がグラスに注ぐ。ロックアイスがカランっと音を立てて姿勢を落ち着かせ、ゆっくりと馴染んでいく。指で氷をまわし、惰性で廻るのをしばらく眺めた後、グラスを傾け少しだけなめた。
 なんだか今夜の酒はちょっとだけ・・・・・・温かい。


 2つの長さの違う影が夜道を下っていく。気がつけば夜10時を廻ってしまっていたので、玄関先でみんなに見送られ帰宅の徒へとついた。ほろ酔い気分で、すごく気分がいい。風が気持ちいいなぁ。
「どうだった?」
「…うん」
 坂を下りながら少し間が空く。
「加奈ちゃんがね……」
 次の言葉を待つ。
「…羨ましがってた。ロクちゃんがお父さんでいいなぁって……」
「そっか」
 そんなに慕われていたとは。うん、嬉しいな。
「みんないい人たちだったでしょ?」
 隣で頷く。俺はみんなの顔を思い出しながら、
「早苗さんはやさしいし、太一君はしっかりしてるし、加奈ちゃんは元気だし、課長は……」
 そこで一旦区切った。小夜ちゃんが不思議そうにこちらを見上げる。額の痛みがぶり返してきたな。ほんの少しだけ痛む額を押さえながら、
「あの人は……やっぱりいらねぇや」
 小夜ちゃんが微かに笑う。
「……そう言えば、初めて笑ってくれたね。うん、笑ってる小夜ちゃんが一番いいよ」
 小夜ちゃんはちょっと照れくさそうだった。
 俺たちが親子になった日、そして小夜ちゃんがはじめて笑ってくれた日。ここからいっぱい、いっぱい、幸せな時間を作っていこう。空を見上げると雲ひとつ無い綺麗な、本当に綺麗な星空だった……。

 車に乗り込んで帰宅中、市役所から家までは結構距離があり車で約1時間。高速に乗ると30分程。ちょっと大きい市に住んでるけど我が家はその郊外にある。
市の中心部は栄えており、大手デパートを筆頭にショップや飲食店がひしめき合って活気付いているが、その反対に東の郊外へ行くと山の手になるので高級住宅街が広がっており、それなりの人が住む地域となる。また市の外れには大学がいくつか建造されているので、1人暮らしの学生が住む街としても機能している。
 その山の手の中腹にある高級マンションの一室が自分の借りている家となる。いや、正確には『借りさせられている』と言った方がいいかもしれない、ここら一帯の地主によって。もちろん俺の給料で到底払いきれる金額じゃないが、かなり激安で借りている。その地主の爺さんは昔から何かと面倒を見てくれている人で、初めは遠慮していたが「自分の目の届くところにいろ」という事で半ば強制的に今の家に引っ越すこととなった。当初は家賃も必要ないと言われていたが、さすがにそれでは申し訳が立たないので満額とはいかないまでも、なるべく自分が出せる金額を出そうと提案をした。しかしその提案は一刀両断され、その後の長時間にわたる交渉の結果、雀の涙ほどの家賃なら受け取ってもらえる事となった。この時周りの人から肉親以外に楯突ける『爺さんの鞘無し懐刀』の通り名がついたと笑われた。
ちなみに俺の耳までは聞こえてこないが、爺さんには黒い噂が絶えないらしい。
 そして、その爺さんの孫に当たるのが会社の上司で課長になる。普段の生活でも色々と面倒を見てくれる人で、俺の家から坂を10分程歩いて上ったところに住んでいる事もあり、よくご相伴に預かっている。いやよく呼び出されている。しかし、美人で料理がとてつもなく上手い奥さんの早苗さんや、しっかり者で見た目も半端なくかっこいい息子の太一君、明るく活発で相当可愛い娘の加奈ちゃんが出迎えてくれる家は本当に居心地がいい、課長さえいなければ。
 という訳で、帰りの車の中で簡単に課長家の説明する。隣の県から来てるから土地勘もないだろうし、週末は街案内をしてもいいかもしれないね。まずはどこがいいかなぁって考えてながら車を走らせていると家についた。駐車場に止めて、さぁて小夜ちゃんの部屋を片付けるぞっと気合を入れて横見れば天使の寝顔。そういえば今日は朝から気を張ってたのかもしれない。失敗したなぁ、もっと気付いてあげないと。父親ポイント減点5。それにしてもほんとに可愛い寝顔だなぁ。課長に自慢してやりたいよ。絶対に見せてやんないけど。まぁ片付けは明日もあるし、なんとかなるでしょ。このまま時間まで寝かせてあげようかね。


 …………。

「ん、んー?」
「あっ起きた?」
「んー」
 目を半分だけあけてどこを見るでも無しに正面を向いてぼさーってしてる。かと思いきや急に目を見開いて左右を確認する。俺はここにいるよー。
「おはよう。よく寝れた?一度家に戻ってゆっくりさせてあげたいんだけど、ごめんね。もう4時半過ぎたからそろそろ行かなきゃ」
「……ねちゃったぁ。ごめんなさい」
 いえいえ、小夜ちゃんの寝顔を見れただけで十分です。でもまだ若干寝ぼけ気味?また瞼が半分ぐらい閉じてるよ。案外寝起きが悪いのかもしれない。小夜ちゃんはしばらく動かなかったが、あくびをした後、目を擦り頭も起きはじめたようだ。さぁて、寝起きで申し訳ないがそろそろ行こうか。
「大丈夫?」
 頷いて返事をくれたので車から降りて課長宅へ向かう。
 我が家から課長の家までは一本道を上ったところにある。にしても相変わらず家の周りは豪邸ばっかりだなぁ。どうして金持ちは丘の上に住みたがるんだろう。煙となんとかってやつ?って事は上に住んでる課長は馬鹿だな!…んな事は口が裂けても言えない。

 とぼとぼと二人で坂を上るとお目当ての家が見えてきた。あぁ、駐車場に車が止まってるよ。あの人本当に帰ってきたんだ。真面目に働けよ、課長。休んだ俺が言えた義理じゃないけどさ。
 門の脇のインターフォンを鳴らす。しばらくすると返事する声。これは早苗さんだな。草野ですと名乗ると
「あっロクちゃん。玄関空いてるわよ」
 はーい。とインターフォンに返事をして門をくぐって玄関まで。小夜ちゃんを見ると普通に見つめ返す。あら、緊張とかしてないのね。肝が据わってるなぁ。という事で扉を開けて中に入る。
「ロクちゃんだぁーーーー…………?」
「?」
 玄関で靴を脱ごうとしてるとこで加奈ちゃんが駆けて来た。けど、俺の後ろに小夜ちゃんを見つけて失速。声のトーンも下がってフェードアウト。
「あぁロクさん、いらっしゃい。って……」
「お邪魔するよ」
 2階から階段で降りてくる途中で止まってしまった太一君
「いらしゃい。ごめんね、また急に呼び出しちゃったみたいで」
 今度は早苗さんも奥から出てくる。
「いえ、とんでもない。突然お邪魔したいって言い出したのはこっちですから、むしろご迷惑をかけたかと。すみません」
「そんな事いいのに。ところでちょっと…いえ、大分若くない?」
「はい?」
「こんにちわ、はじめまして。小夜って言います」
 横から丁寧にお辞儀をして挨拶をする小夜ちゃん。なぜかきょとんとする早苗さん。その横でぽかんとしてる加奈ちゃん。階段の途中でフリーズしてる太一君。あれ?なにこれ。すると奥から
「おーい!ロク!!!早くこっちに来い!!!!」
 あぁ、課長が呼んでる。さぁ行きますか。3人とも早く正気に戻ってください。先に行きますよって小夜ちゃんと奥のリビングへ。
「おじゃましまーす」
「おう!」
 中に入るとテーブルの上に出前のお寿司が。うに、あわび、大トロ、かに。ってかこれ特上じゃん!しかもサイドメニュ-的に、早苗さんの料理も並んでるし。小夜ちゃんを歓迎してくれるのはありがたいけど、ちょっとすごすぎるなぁ。恐縮しちゃうよ。んで、どかんと上座に座ってる課長はランニングに短パンで既にビールを飲んでた。あんた、仕事をさぼって何してんのよ。
 俺の後にいた小夜ちゃんがひょこっと脇にでて、
「はじめまして、小夜です」
 今度も礼儀正しくお辞儀をする。前々から思ってたけどこう言う時にちゃんと挨拶が出来るなんて、お父さんは鼻が高いよ。んで、課長を見ると、あれ?プルプル震えてる。
「課長どうしました?」
「おい、ロク。おまえなぁ…」
 ちょっと、どうしたんですか?声にドスが聞いてますけど。そして課長の右手が手元にあったテレビのリモコンを鷲づかみにしたかと思った瞬間、振りかぶって、
「犯罪じゃねぇか!!!!!」
「いってぇ!!!!!」
 俺の額にクリーンヒット。さすが草野球のエースピッチャー、ナイスピー。なして!?って言い返そうとするけど残念ながら危険球で退場です、もちろん俺が。