朝食を2人分平らげ後片付けが終わった後、コーヒーでも淹れてから小夜ちゃんの為に蜂蜜レモンでも作ってあげようかな等と材料を探していると、
 ピーンポーン!
 あぁ、はいはい。モニターを見ると早苗さんが立っていた。
「ドア開いてますよ」
 そろそろ来るんじゃないかと思って扉の鍵を開けておいたんだけど、予想は的中したな。
 小夜ちゃんはあの後、目は瞑ってはいたが鼻が詰まっているらしく、呼吸が苦しそうで寝付き辛いみたいだったから頭をゆっくりと撫でていると段々落ち着いてきて、気が付けば寝息へと変わっていたので音を立てないようにリビングへと移動してきた。なんとなく子猫をあやしてきた気分だな。
「小夜ちゃーん!」
 加奈ちゃんがバタバタとリビングに走りこんできた。
「加奈、静かに。うるさくするなら帰りなさい。小夜ちゃんは?どう?」
 後ろから早苗さんが入ってきて加奈ちゃんを静かに叱る。加奈ちゃんは両手で口を押さえて静かにしてますってアピールしてる。そして、早苗さんが持っていた白い紙の箱を俺に手渡す。
「さっき寝たところです。電話で話した通り、風邪の引き始めみたいですね。一眠りして熱が上がりきってくれればいいんですが、もうしばらく様子を観ようと思います。これは?」
 受け取った箱を少し持ち上げる。
「プリンよ。熱がある時には水分と糖分を摂らないと。特に脱水症状には気を付けなくちゃね」
「わざわざすみません、あれ?6個ですか?」
 重さから結構入ってるだろうなと思ったけど、箱を開けてみると6個も入っていた。
「そう、おいしそうだったからつい。私たちの分も1つづつね」
「確かにおいしそうですね、コーヒー淹れましょうか。加奈ちゃんはアイスオレでいい?」
 まだ両手で口を押さえている加奈ちゃんが大きく2回頷く。コーヒーを淹れようと思っていたところだったからちょうど良かったな。3人分の方が淹れやすくてありがたい。
「小夜ちゃんのお見舞いに来たけど慌ててもしょうがないし。それじゃ、出来るまで小夜ちゃんの様子を見てくるわ。加奈」
 加奈ちゃんは口に手を当てたまま早苗さんの後を追いかけて行く。あの手が無いと喋ってしまうのだろうか。
 さて、久々にサイフォンを出そう。この前アルコールも買ってきたところだし。
 アルコールランプでお湯を沸かしている間に豆を挽き、諸々の準備を済ませ、沸騰するのを眺めながら待つ。そう言えば小夜ちゃんが家に来てから一度も使ってなかったな。小夜ちゃんは見たことあるかな?今度やってみよっと。コーヒーは苦手って言ってたけど、カフェオレにすれば大丈夫かな?でもなぁ、小夜ちゃんはいつも紅茶だし。
 たまに晩ご飯の後、小夜ちゃんが洗い物をやっている横で俺が自分のコーヒーと小夜ちゃんの紅茶も淹れる。俺が淹れないと小夜ちゃんは朝はティーパックだし自分でもやったら?って言っても「もったいない」って紅茶葉を使おうとしないんだよね。でも俺が淹れると満更でも無い様子だし。よくわからない子だ。
 そんな事を考えているとお湯が沸いてくる。一度火をどかして粉をセットし再び火を入れると再びブクブクと泡がたって来たと同時にお湯が上に上がってきた。粉が浮いてるからヘラで馴染ませて1分待ち、火を消して濡れ布巾で冷やしてあげる。最後に少しだけ粉を混ぜてコーヒーが完全に落ちたところで、
「あー、いい香り」
 早苗さんと加奈ちゃんが戻ってきた。おお、ナイスタイミング。どっかで見てたのか?
「ちょうど終わったところです。小夜ちゃんはどうでした?」
 早苗さんがリビングのテーブルに持ってきたプリンを3つ出しながら、
「ちょっと辛そうだったけど寝てたわ。まだほとんど汗をかいてないみたいだから夜までは熱が上がるかもね。しばらくは手出し無用と言ったところかしら」
 俺はコーヒーとアイスオレを持ってリビングのソファーに移動し、残りのプリンを冷蔵庫にしまう。
「そうですか、何度ぐらいまで上がったら病院に連れて行ったほうがいいですか?」
 子供だといまいち境界線がわからない。ある程度大きくなれば39度ぐらいで解熱剤を貰ってきたほうがいいかなとは思うんだけど・・・。
「そうねぇ、もうちょっと小さい子なら40度超える事もあるけど。咳もしてないみたいだし、本人が嫌がってるならそれぐらいまでは様子見ても大丈夫じゃないかしら。それにしてもロクちゃん、全然慌ててないのね。優雅にコーヒーまで淹れちゃって。いただきます、・・・・・・うーん!さすがロクちゃんねぇ」
 そう言えばそうだなぁ。
「もし、小夜ちゃんから言い出したら今頃大慌てで早苗さんに連絡してたと思いますよ。でも本人はやせ我慢してましたからね、どうやって寝かそうかとか考えてたら意外に冷静になれました。ついでに今日から俺も休みですから仕事を気にせずに看病が出来ます」
 久々の無防備な姿が見れて、それに普段鉄壁の小夜ちゃんの世話が出来ると思ったら不謹慎だけど嬉しかったり。
「それにしても残念ねぇ、せっかく浴衣まで買ったのに。来年までお預けかしら」
 あまり表には出してなかったけど本人も楽しみにしてたみたいだからなぁ、
「小夜ちゃん次第ですけど、他の祭りがあればそっちに行こうかと思ってます。ところで加奈ちゃん、そろそろ手をどけないとプリン食べれないよ」
 あれからずっと口元を押さえ続けてるけど、もしかすると突っ込み待ちだったか?いや、天然だな。
「でもお盆過ぎてからのお祭りってどこかやってるかしら?」
 そうなんだよね、普通お祭りってお盆に向けてするものだからなぁ。
「まぁ後で探してみますよ。あっそうだ、加奈ちゃんごめんね、小夜ちゃんが寝込んじゃったから今年は一緒に行けないや」
「だいじょーぶ。あたしもここにいるからっ」
 一気にプリンを平らげた加奈ちゃんが当たり前のように返事する。
「加奈は駄目、お母さんと帰るの。今年のお祭りはお母さんと一緒よ」
「小夜ちゃんが行かないならあたしも行かない。小夜ちゃんのかんびょ―するの」
 加奈ちゃんがイヤイヤと駄々をこねる。さてと、
「実は加奈ちゃんにお願いがあるんだ」
「なーに?」
 目を輝かせて俺を見つめる。きっと俺の手伝いが出来ると思ってるんだろうな。
「加奈ちゃんはお祭りに行って、小夜ちゃんのお土産を買って来て欲しいんだ。小夜ちゃんが熱を出して、そのせいで加奈ちゃんまでお祭りに行けなかったら小夜ちゃんは気にするからね」
「・・・でもぉ」
 加奈ちゃんは戸惑ってる様子。
「加奈ちゃんは自分が熱を出して、小夜ちゃんがお祭りを楽しめなかったら嫌でしょ?」
「うん、やだ」
「だから加奈ちゃんは小夜ちゃんの分も楽しんで来て、いっぱいお土産話を聞かせてあげてよ。小夜ちゃんも加奈ちゃんの事を気にしてたんだからさ、自分のせいで楽しめなかったって責任を感じないようにね」
 あの時、加奈ちゃんが楽しみにしてるからって無理しようとしてたから治す為にも安心させないとね。多分、あの子の事だから自分が行けなかった後悔よりも加奈ちゃんに水を差した後悔のほうが先に立つ筈だから。
「うん、わかった!」
「それじゃお小遣い、これで小夜ちゃんのお土産を買ってきてね」
「まっかせて!」
「お願いね」
 よし、これで加奈ちゃんの件は終了っと。説得が終わると早苗さんが腰を上げて、
「さてと、そろそろ行こうかしら。ロクちゃん、一先ず今はいいけど何かあったら必ず連絡してくるのよ、いい?わかってるわよね?」
 実は電話で早苗さんが看病をかってでてくれたのだが丁重にお断りした。俺は小夜ちゃんの親だからそれぐらいは1人でさせて欲しいと我侭を貫いた結果だ。小夜ちゃんの今の症状を説明して、慌てる状態じゃないと判断したのか早苗さんもわかってくれたみたいで、とりあえず様子を見ると見舞いに来てくれたのだった。
「ええ、余計な心配までかけてすみません。わからない事だらけですぐに連絡すると思いますがよろしくお願いします」
 玄関先まで見送りに出る。
「すぐに来れる様にしておくから遠慮せずに電話してくるのよ。いいわね?」
「ええ大丈夫です、まかせてください。ありがとうございます」
「そう、それじゃ行くわね」
「ロクちゃん、またねー」
 2人とも別れの挨拶をして離れていくが、心配なのか後ろ髪を引かれさっきから何度も振り返る。俺は大きく手を振って問題ない事をアピールして2人の姿が見えなくなるまで振り続けた。もしここで先に家に入ると戻ってきそうなんだよな。そんな信用が無いのか?俺は。
 家に戻ってすぐに小夜ちゃんの様子を見に行く。小夜ちゃんの部屋から出てまだそんなに時間が経っていないが、心配なものは心配なんだよ。
 ノックをして部屋に入り、小夜ちゃんが寝ている事を確認してベッド脇に腰を下ろす。まだ若干呼吸が上がっているがさっきより大分落ち着いてきたかな。しばらくそのまま小夜ちゃんの寝顔を見つめる。この子の寝顔をちゃんと見るのは何度目だろう。沖縄の夜は疲れててすぐに眠ってしまったから2度目かな?1度目は俺の部屋で眠ってしまい涙を見せた夜だったな。
 結局あの晩の涙の理由はわからないし、きっと小夜ちゃんに聞いても理由がわかっていたとしても教えてくれないだろう。なんだかんだ、この小学生の事が理解出来ないんだよな。大分良くなったとは言え未だに俺に遠慮してるし。まったく、父親として俺はやっていけるのだろうか。自信が無いんだよなぁ、この子に好かれてるのかどうかすらわかんねぇってのは問題だろ、一緒に暮らす娘なのにさ。

 んー、あー、朝?今何時だ?携帯、携帯っと・・・。目を閉じたまま手探りで携帯を探すと、いつも通り枕元で発見。なるべく目を開けないように片方の瞼をほんの少しだけ開けて隙間から時間を確認すると、

 "AM8:38"

 えーっと、なにこれ?・・・・・・。
 やべぇ!!一気に目が覚めて、急いでリビングに飛び出すといつも通り台所に立ってる小夜ちゃんがびっくりしてる。
「やべぇ!寝坊したっ!!」
 急いで洗面へ走っていって歯磨きをして顔を洗い、部屋に戻って着替えながら課長へ遅刻の連絡をしようと携帯を開いてリダイヤルから課長を探していると、ん?まてよ。今日は・・・。携帯の日付を見る、

 "8月15日"

 えーっと、お盆?って事は・・・、会社休み?
 なぁーんだ、休みかぁ。よかったぁ、焦って損したよ。今日から3日間はお盆休みなんだから目覚ましをセットしなかったんだもん、そりゃ寝坊の2つや3つするさ。
「無駄に慌てちゃったよ。いやぁ、心臓に悪いねぇ」
 なんてちょっと照れ隠しをしながら再びリビングに登場。テーブルの上にはそんな事はお構い無しのように朝食の支度が整ってる。
「そう言えば、今日はお祭りだったね。お昼過ぎに課長の家に行くんだっけ?」
 そう言いながらテーブルに座る。沖縄旅行から帰って来て次の日に早苗さんと加奈ちゃんと小夜ちゃんの3人が夏祭り用の浴衣を買いに行った。そして今日の昼に早苗さんが着付けてくれる事になっていた、と思う。
 小夜ちゃんがキッチンから俺のコーヒーを持って来て、軽く頷く。ん?なんとなく違和感が。なんでこんな真夏に長袖のシャツ?冷房が苦手だったかな??
 それにしても沖縄旅行の疲れ無しによく買い物に行ったよなぁ。あんだけ海で大はしゃぎした後、2日目には水族館に行ってでっかい水槽にサメやらエイやらとてつもなくデカい魚にはしゃいで、国際通りでお土産を選ぶのもあーでも無いこーでも無いと店を渡り歩いていたのに、それも無かったかのように次の日もいつものテンションだったからなぁ、加奈ちゃんが。さすがに早苗さんは少し疲れが残ってたみたいだったけど、それでも俺なんかと比べても体力があるよなぁ。ちなみにどんな浴衣なのか極秘扱いで未だに知らない。一緒に連れていってくれなくて、太一君と家出ゲームやってた。先月から始めたシュミレーションゲームの手直しをやってくれたんだけどね。
「お昼ご飯はどうする?どこかに食べに行こうか」
 せっかくお祭りなんだもん、小夜ちゃんに作って貰うのも、ねぇ。でもきっと小夜ちゃんは意地を張るだろうなぁ。・・・作る。って言うよ、ほら見ててごらん、せーの、
「・・・・・・」
 あれ?紅茶を手にうつむいてぼけーっとしてる。めずらしい。リアクションが無くても聞いてない事なんてなかったのに。まぁいいや、とりあえず朝ご飯をいただきましょう。コーヒーから・・・ん?コーヒー??
「小夜ちゃん、あのぉ・・・」
 これはコーヒーじゃなくてお湯なのですが・・・。
「小夜ちゃん?ん??」
 ぼけーっとして話を聞いてない。どうしたんだろ。
「ねぇ!小夜ちゃんってば!!」
 ちょっと大きな声で呼ぶとようやく耳に届いたのか一瞬ビクッと反応して、
「えっ?あっ、ごめんさい」
 おかえりなさい。
「どうしたの?」
 さっきからご飯にも手を付けてないし、ぼけーっとしてるし、コーヒーはお湯だし、よく見ればサラダの千切りキャベツがやけに太いし、
「な、なんでもないです。大丈夫」
 なんか慌ててるし。それに顔が赤い??もしかして、
「ちょっとごめんね」
 一応断ってからおでこに手を当てようとするが、
「だ、大丈夫!なんでもない!」
 俺から逃げようとする。あからさまに怪しいでしょ。
「こらっ!逃げない。じっとしててよ」
 とは言ってみたものの言う事を聞いてくれるはずも無く、手を当てようとすると逃げるし頭を背けてしまう。しばらく攻防戦が繰り広げられたのだが、強引に小夜ちゃんを捕まえて両手で顔を挟み込み、ちょっとだけ真剣な顔を作り見つめる。はい、小夜ちゃんサンドの完成です。ようやく観念したのか大人しくなってくれたので額を合わせてみましょうか。うーん、えーっと、合わせてみた物の全然わかんねぇ。
「うーん、ちょっと熱っぽくない?ちょっと待ってて」
 小夜ちゃんには悪いけど、少し嘘を付かせてもらった。じゃないとちゃんと計らせてくれないだろうからさ。それじゃ体温計はっと、確か薬箱に入ってたよな。薬箱、薬箱っと、あったあった。よしよし、小夜ちゃんは大人しく待っててくれてたね。
「はい、体温計。この先を耳に入れるんだよ」
 ちょっと前に物珍しくて買ってきた体温計。耳に入れるだけで一瞬で体温が測れるって書いてあったから面白そうだし買ってしまった。物珍しさは今回は効果的に作用してるみたいで、不思議そうに卵型をした体温計を眺めてしぶしぶ耳に入れてる。そしてすぐにピッっと電子音がなり、測定完了の合図があった。おおっ!すげぇな。
「どれどれ、貸して」
 温度を見ようとするが、なかなか俺に手渡してくれない。あきらかに渡すのを嫌がってる感じ。こりゃ自覚症状があるみたいだな。
「こら。早く頂戴」
 眉間に皺を作り、そろそろ怒りますよってわざとアピールする。するとちょっとだけ泣きそうな不安そうな顔をしてしぶしぶ渡してくれた。さっきから卑怯な手を使ってごめんね。
 受け取った体温計の表示を見る。"38.7度"
「おもいっきり熱あるじゃん。大丈夫?しんどくない?」
 これだけ熱があったら体もだるいだろうな。でも咳もくしゃみもしてない。ウイルス性じゃないのか?
「大丈夫。なんともない」
 なんとも無いわけないでしょ。
「何やせがまんしてんの。ちゃんと寝てないと。病院行く?」
 内科でいいのかな?さすがに小児科じゃなくていいよね。
「平気。もうちょっとしたら直るから」
 なるほど、自己治癒能力ってやつか。なら・・・って、
「そんなわけ無いでしょ。病院行くよ」
 お盆だからやってるかなぁ。後で調べないと。
「さぁ、ほら行くよ。もうちょっと温かい恰好の方がいいよね」
「大丈夫だから・・・」
 相変わらず頑固だなぁ。
「駄目だって、熱があるんだから」
「もうっ!大丈夫なんだってばっ!!」
 机をバンっと叩いて勢いよく立ち上がり部屋に行こうとするが、歩き出した一歩目で体が斜めに傾いていき、
「危ないっ!!」
 丁度体温計を受け取る為に傍にいたから、倒れこむ前にぎりぎり抱きかかえる事が出来た。いや、本当に危なかった。そのまま頭からいったら洒落にならない。体調が悪いのにいきなり立ち上がるから立ち眩みだろうな。
「まったくもう、大人しくしてないと駄目でしょ」
 一応苦言を。小夜ちゃんは目を瞑って苦しそうに口で息をしている。ったく、どこが大丈夫なんだか。しばらく腕の中にいたが、頭に血が戻ってきたのか俺の肩に手を置き支えにして立ち上がろうとする。こらこら、
「駄目だってば。もう、しょうがない」
 言って聞かない子には実力行使です。そのまま膝の裏に腕を回し、もう片方の腕で肩を抱いて一気に両腕を持ち上げる。よっこいしょっと。びっくりした、気合を入れたけどその必要が無い程軽い。これならひ弱な俺でも大丈夫だな。抱きかかえられ暴れるかと思ったけど、突然の事でどうすればいいのか戸惑ってる様子。よし、今のうちに部屋に運ぼう。小夜ちゃんを抱きかかえたまま部屋に連行する。部屋に入るとパジャマが布団の上に畳んであったからどけてベッドに寝かす。
「いいかい。熱があるんだから大人しくしてる事」
 無理やり連れてこられて起き上がるんじゃないかと思ったけど大人しくしてる。さっき無理をしたから眉間に皺が少し寄って息も上がって苦しそう。俺が思ってる以上に体調が悪いようだな。一度大きく目を閉じた後、不安そうな顔で俺を見て、
「でもお祭りが・・・」
 あぁ、そう言えばお祭りだったな。やっぱり楽しみにしてたんだろう、可哀想だけど、
「残念だけどしょうがないよ。また来年もあるし、今日は寝てようね」
 なるべくやさしく、諭すように。だけど首を振って、
「加奈ちゃんが楽しみにしてたから・・・」
 あぁ、そうか。だからと言って、
「体調が悪いのに無理して行っても倒れるかもしれないんだからしょうがないよ。加奈ちゃんの事は気にしないでいいよ、大丈夫」
 確かに水を差す事になるけど、だけど加奈ちゃんなら大丈夫。そんな事を気にし始めたらきりが無いし。
「でも・・・」
 やっぱり気にはなるよね。
「加奈ちゃんは大丈夫。だって加奈ちゃんだよ?それよりも小夜ちゃんは治す事だけど考えないと。まずは病院に行くよ」
 近くでやってる病院を探さないとな。どちらにしろ早苗さんに連絡しないといけないからその時に聞こうか。等と考えてると俺の腕が掴まれ、
「・・・病院はやだ」
 そんな子供みたいな・・・いや、子供だったな。
「やだって言われても、お医者さんに診て貰わないと駄目でしょ」
 掴んでいる手に力を込めて、泣きそうになりながら首を振って、
「・・・やだ」
 そんな顔をされると、ねぇ。ただの我侭って感じでも無いしなぁ。しょうがない、
「わかったよ。だけど条件が2つあるんだけど、1つは小夜ちゃんは治すことだけを考えること。2つ目は自分の症状を素直に話す事。いい?これが守れなかったら無理やりでも連れて行くからね」
 安心したのか顔を少し緩め頷く。悪化するようならそんな事も言ってられないけど、今はまだ大丈夫だろう。しばらく様子を見るとして、それよりも安心させて安静にする方が優先だ。
「よしっ、それじゃ教えて。頭は痛くない?」
 弱々しく頷く。
「お腹は?」
「・・・痛くない」
「他に痛いところは?」
「・・・ない」
「咳もくしゃみも我慢してない?」
「・・・うん」
「喉はイガイガしてない?」
「・・・うん」
「暑い?寒い?」
「・・・少し寒い」
 単純に熱があるだけかな。咳も出てないから肺炎とかじゃないと思うけど、とりあえず寒いって事だから、
「わかったよ。それじゃ電気毛布を持ってくるから着替えててね」
 さっきどけたパジャマを渡して頷いたのを確認し、部屋を後にする。確か電気毛布は俺の部屋の押入れにあったはず。ずいぶん使ってないけど壊れてないよな。押入れに顔を突っ込んで奥のほうを探すと、あったあった。近くのコンセントに差して電源を入れてみると一応電気は付くみたいだから多分大丈夫だろう。ついでに冬の掛け布団も出す。
 電気毛布と布団を抱えて小夜ちゃんの部屋に戻ると着替えを済ませて、ベッドに腰掛けて俺を待っていた。だから寝てようよ、丁度よかったけどさ。
 敷布団の上に電気毛布を敷き、小夜ちゃんに寝てもらって持ってきた厚手の布団をかける。電気毛布に電源を入れて温かくなるのを待とうか。
「そう言えば食欲はある?」
 朝ごはんを食べる前だった事を思い出して今更確認すると、
「・・・いらない」 
 だろうね。本当なら何か口にしないと駄目なんだろうけど、寒いって事だからまずは寝て体温を無理やりにでも上げよう。一眠りしてから食べればいいよね。電気毛布を触ると温かくなってきた。よかった壊れた無かったよ。さてと、早苗さんに連絡してこないと。
「それじゃゆっくり寝てるんだよ、いいね?」
 ベッドに手をついて立ち上がろうとすると、手首を掴まれ不安そうな顔で見つめられる。ん?
「どうしたの?何か欲しいものでもある?」
 小さく首を振る。って事は、
「ここにいた方がいい?」
 俺を不安そうに見つめるだけで返事はなし。けれど掴んだ腕は放してくれない。色々とやらないといけない事があるけど、しょうがない。再びベッドの脇に腰を下ろす。
「わかったよ、どこにもいかないから安心してね」
 掴んでいる手を外して握ってあげる。体をこちらに向けて空いている手も出してきたので両手で握ってあげると安心したのか苦しそうだけど目を閉じて少しだけ表情が緩む。やっぱり風邪を引くと人恋しくなるんだな。

 それにしても課長に変な当てられ方をしちゃったな。みんなのところで花火をする気分じゃなくなっちゃったよ。課長が言ってた俺の父親としての責任、ねぇ・・・。あの子を立派に育てる!なんて、何を以って立派とするのか。そんな曖昧な事じゃないんだよね。責任かぁ、俺がしないといけない事ってなんだろう。日々の生活を守る。でもそんな当たり前の事じゃなくて、きっと俺があの子にしてあげたい事。・・・言わずもがな、俺がずっと悩んでいる事、笑顔。めいっぱい笑った顔を見てみたい。2ヶ月一緒に生活してるけど、あの時の一度だけだった。だから、そんなちょっとした笑顔を一度だけじゃなくて、毎日笑って過ごせるように。これは俺のしてあげたい事でもあり、あの子が俺にして欲しい事。小夜ちゃんはなんで笑ってくれないんだろう。毎日がつまらないのかなぁ・・・。そんな風には見えないけど、でも、やっぱり無理してるんだよな。気を張ってるって言うか、我慢してるって言うか。つっかえ棒をしてる感じがする。今に始まったって訳じゃなさそうだから前に何かあったのかなぁ。
 以前の生活。実は気になる事がたくさんある。炊事洗濯掃除が10歳の少女なのにほとんど完璧に毎日こなしている。手を出すと怒られるからいつも見てるだけなんだなんだけど、相当慣れた手つきで1年やそこらで出来る手際じゃない。それに食材を選ぶのも知識があり過ぎる。俺と比べるのもおかしいのだが、あれは立派な主婦の感覚だ。独学なんかで得られるものでもない。
 そして次に学校の先生が言ってた『肝心な基礎が出来ていない』。その時確か『学校には来ているのでベターな生活をしている』とも言ってた。きっと小夜ちゃんは学校に行ってなかったのではないか、だから勉強に抜けがある。それに帰り際に言われた『俺に引き取られて良かったと思う』なんて俺の事を良く知らない筈だからどう考えても何かを知っていて、今の生活と以前の生活が比べられないと出てくる言葉じゃない。
 更に小夜ちゃんが始めてだと言ったものは『海』『祭り』『花火』『飛行機』。飛行機は初めてでもおかしく無いが、海と祭りと花火は小学5年生で行った事が無いってのは素直に飲み込める話じゃないと思う。まぁ人によってはそう言った事があるかもしれない。だけど項目として挙げると、
 知識があるので『家事を誰かから学んだ』
 手際を見ていれば『家事をしていた』
 転校してからの成績から『学校には行っていなかった』
 現状が以前と変わらないのならば『友達は少なかった、もしくはいない』
 海や祭りに行った事がないので誇張すると『遊びに連れて行って貰えなかった』
 他にもおかしな点は多々ある。養子縁組届出も家裁の許可が下りていた。俺の腹違いの妹にしては似ていなさ過ぎる。小夜ちゃんのお母さんの叔母さんが妹とは言えピンポイントで俺のところを選んだのは何故?その叔母さんが俺の知っている人って可能性は低い。知人ならばその事を手紙で触れていたはずだ。
 他にもまだあるけど全て可能性の域からでていないが、総合的に見ると不審点が多すぎる。気になるんだよなぁ、小夜ちゃんには申し訳ないけど、少し調べてみるか。とは言え、どうやって調べればいいの?
 浜辺では課長と思しき人影が怒られている。怒っているのはやっぱり太一君なんだろうな。そして右の方からみんなのもとへ歩いていく人影がひとつ。あれは誰だろう。1人だけでどこか行ってたのかな?トイレ?等と邪推をしていると急に隣に立つ人影が。近づいてくる気配を全く感じてなかった俺は驚いて見上げると、外灯が照らすのは浜辺を眺めるノースリーブのクリーム色したワンピース姿の女の子。小夜ちゃんだった。
「びっくりした!!どうしたの?」
 脳裏には忍者かよ!って突込みがよぎったけどまぁいいや。何も言わずに俺の隣に座って浜辺を眺めてる。
「どこ行ってたの?」
 浜辺から来た訳じゃないよね。さすがに俺も正面から来る人影を見逃すなんて事しないと思う。多分、自信がないけど。
「・・・・・・恵美さんと一緒だった」
 進藤さんと?それは何と言うか、気付かなかったけど言われてみれば2人は気が合いそうだな。それで?どこ行ってたの?・・・いくら待っても続きがないんですが、それで終わり?まぁいいけど。進藤さんと一緒なら下手な事はないだろうし。つか、小夜ちゃんが浜辺にいなかったのに気付かなかった俺って・・・。
「花火はもういいの?ってこれは・・・、線香花火??」
 小夜ちゃんの差し出された手には紙縒りの束が。
「・・・花火を始めてやったって言ったら、これを持って行きなさいって」
「へぇ、進藤さんが?それにしても懐かしいなぁ」
 小夜ちゃんが器用に紙の帯を外して一本づつばらばらにする。このシールの紙が綺麗に剥がせれないんだよねぇ。
「今やるの?」
 線香花火を俺と小夜ちゃんの間に綺麗に並べて合計は8本。今の小夜ちゃんの手にはライターが握られている。一本を手に持って、火をつけようとしているが、あー、やっぱりそうなるよね。
「小夜ちゃん、それ反対だよ。紙の方を手に持つんだよ、こうやってね」
 俺も一つ手にとって見せて、ライターを貰うために手を出す。小夜ちゃんはちょっと恥ずかしそうに、
「・・・やった事ないから」
 って繕ってライターを俺に渡してくれた。俺も久々だなぁ、手持ち花火なんていつも見ているだけだから何年ぶりだろ。ライターに火を付けて2人で線香花火を近づけると、ほとんど同時に火がついた。
 一度大きく炎をあげたかと思いきや、すぐに消えてオレンジ色の綺麗な玉が出来る。その玉の周りにはかすかに飛び散る火花が。
「どっちが長く持つか競争だよ」
 なんてお約束を口にしてプルプルと震えている火の玉を眺めていると、柔らかなパチパチとした小さな音とともに徐々に火花が大きく散っていく。火の玉を取り囲むように一瞬で枝分かれする火花を見ていると、
「・・・きれい」
 って小夜ちゃんがつぶやく。徐々に火花も勢いを無くし、今度は音もなく火の玉から放物線を描いた弱々しい光の線が飛び出す。すると、
「・・・ごめんなさい」
 って火の玉に視線を落としたまま呟くようにささやいて何かを謝る。
「どうしたの?」
 何か謝られる事があったかな?うーん、思い当たる節がない。全く記憶にございません。なんて誰かの謝罪会見みたいだけど、記憶に無いって事は未来系の謝罪かな。もしくは俺に対してじゃないかも。さて、どんな言葉が飛び出してくるのか。
「・・・なんでもない。謝りたかっただけ」
 あらそう。何にもないの?まぁいいけど。
「あっ」
 ポトリと俺の玉が落ちた。小夜ちゃんのはまだ小さくなりながらもプルプル震えて頑張ってる。もう少し耐えるかなって思ったけどしばらくしたら小夜ちゃんのも落ちた。
「1回戦は俺の負けだね。じゃあ次いくよ」
 並んでいる線香花火を手に取り、火をつける。またしても勢い良く燃え上がった後、オレンジ色の火の玉が出来た。黙って線香花火を見つめてる。とくに会話も無く、2人で静かに線香花火の火花を見つめて夏の風物詩を味わっていた。
 最後の線香花火に火をつけた頃、
「初めての海はどうだった?」
 今日の感想を聞いてないことを思い出す。パチパチと散っていく火花を見つめながら、しばらく沈黙があって、
「・・・本当にしょっぱかった」
 なるほど、海水も初体験か。
「舐めたの?」
 相変わらず目線は線香花火のままでかすかに頷く。
「どう?楽しかった?」
 激しく散っていた火花が少なくなっていき、今度は勢いの無い一筋の火花が飛び出してきた。しばらく火花を眺めてて、そして、
「・・・面白かった。スイカ割りも、ビーチフラッグも、ビーチバレーも、バーベキューも」
 ゆっくりと一つ一つ思い出してるみたい。ニカイチのメンバー、特に圭介君と竹さんは騒ぎ過ぎだよなぁ。そして小夜ちゃんは加奈ちゃんに色々と連れまわされてたし。
「ごめんね、うるさい連中で」
 言い終わるか終わらないかといったタイミングで小夜ちゃんの火の玉が落ちる。それでも目線は線香花火の先を向いたまま、しばらくそのままで、
「・・・いっぱいの人と出かけたこと無くて」
 今度は俺の玉が落ちて、最後の線香花火が終わってもそのままで、
「どうしていいかわかんないけど、でも・・・」
 俺が小夜ちゃんの方を向いても、まだ線香花火の先を見つめてて、次の言葉が気になって、
「・・・でも?」
 って先を促すと急に顔を上げて、穏やかなやさしい目が俺を見ていて、

「すごく楽しかった」

 なんてちょっと嬉しそうに言うもんだから、
「そう、それはよかった」
 なんてありきたりな言葉しか出なくて、顔を浜辺へとそらしてしまった。何をしてるんだか、俺は。
 浜辺では花火の片づけが終わったみたいで、ぞろぞろとみんながこちらに帰ってくる。ある程度近くまで来ると、加奈ちゃんがこちらに向かって、
「小夜ちゃーん!温泉いくよー!!」
 って、元気に駆けて来る。横に座っていた小夜ちゃんも立ち上がって加奈ちゃんと一緒に歩いてホテルへ向かってしまった。俺は半分放心状態でそのまま座っていたから、目の前に立ってる太一君に気が付かなくて、
「ほら、ロクさんも行こうよ」
 と言う言葉でようやく現実に戻ってこれた。
 まったく、何をしてるんだか俺は。

「おい、ロク!肉がねぇぞ!!」
「肉ばかり食べないで下さい。魚介類だっていっぱいあるじゃないですか。野菜も食べてください!!」
「俺の体は肉以外は受けつけねぇ、さっさと焼けよ!」
「ならまっつぁんのビールは頂くよぉ」
「あっ!?竹!てめー!俺のを取るんじゃねぇ!!」
「課長!暴れないで下さい!!ほらっ、圭介君!そっち焦げてる」
「あちー、なんでこんな暑いのに熱い事しないと駄目なんすか?」
「しょうがないよ負けたんだから。ほら、こっち焼けたよ!ごめん、圭介君。そこの皿を取って」
 ・・・・・・。

 あの後、みんなではしゃぎにはしゃいだ。
 竹さんがどこから調達してきたのか、スイカを2個抱えて登場しスイカ割りが始まった。
 トップバッターの圭介君が課長のすぐ脇に振り下ろして血祭りに上げられたり、振り下ろした加奈ちゃんの手から棒がすり抜けて向こう側にいた竹さんにクリーンヒットするところだったり、ふらふらになりながらも1個目を割った高浜さんがスイカを粉々にしたり、目隠しをしている事をいい事に環ちゃんの傍についてまわり胸元を眺めていた竹さんと圭介君が学習能力の無さでまたしても悶絶したり、しっかりと目を回したはずの小夜ちゃんがスタスタとスイカの前まで来て何事も無かったかのように割ったりと大いに盛り上がった。
 その後は何故か男連中でビーチフラッグ大会。女性陣が始めに持ち点を割り振り、その点数により距離のハンデを付ける。もちろん俺が一番近い。そしてトーナメント戦で女性陣が1戦づつ賭けていく。結局優勝したのは1番遠くからスタートしたはずの高浜さんで、賭けでは常に全額を賭けて全ての試合で勝ちを収めた進藤さんだった。そして決勝で高浜さんに負けて悔しかった課長はバーベキューの焼き係を賭けてビーチバレーを強制参加で始めた。
 ビーチフラッグの1・3・6位チームと2・4・5位のチームに別れ、高浜さんと圭介君と俺のチームと課長と竹さんと太一君チームでスタートしたビーチバレーなのだが、課長チームは卑怯過ぎた。身長のみ高い竹さんのブロックっと太一君がレシーブをしながらも見事なトスを上げて課長が叩き込む連携が打ち崩せず、俺や圭介君のスパイクでは竹さんに止められてしまい、頼みの綱の高浜さんもいい線は行くのだが太一君に拾われてしまうシーンが何度とあり、結局課長の力任せのスパイクを全て拾いきれなかったこちらチームの負け。しかし、高浜さんはビーチフラッグ優勝者の為、今回の罰ゲームは免除。つまり俺と圭介君の2人で焼く事となった。そしてみんなで一度ホテルに戻り、外の簡単なシャワーを浴びて着替えて浜辺に集合した。


「飽きた!ロクさん後よろしくっす!!」
「ちょっと!圭介君!ったく、しょうがないなぁ」
 たまにつまみ食いをしながら2人でひたすら焼いていたのだが、ある程度焼き終わったところで圭介君がビール片手にみんなの元へ行ってしまった。まぁ焼くものは一通り焼いた後だから別にいいんだけどねぇ。それじゃ、今度は自分の為に焼きますか。圭介君がほとんど焼いてくれなかった野菜や魚介類を中心に適当に網に乗せる。さて、汗もかいたことだし、俺もビールが欲しいな。クーラーボックスはどこかなってキョロキョロしていると、
「・・・はい」
 ビールの缶が胸の前に差し出される。
「ありがと。丁度探してたところだったよ」
 小夜ちゃんがタイミング良く持ってきてくれた。プルトップを上げるとプシュっと空気が抜ける音と共に泡があふれ出す。おっとっと、もったいない。急いで口を付けて泡をこぼさないようにしてから、一気にあおる。
 ・・・・・・。
「っあ~!!」
 ひと仕事した後だから特にうめぇ!!喉がシュワシュワする!!
「ふぅ、なんか生き返った感じ。ありがとね」
 ビールを飲む姿を不思議そうに見ていたのだが、俺が焼けた野菜をつまんでいると椅子を持ってきて隣に座る。おっ、エビが焼けてきたな。殻を剥きたいけど熱いからちょっと皿にどけておこう。ビールをもうひと口飲んでから、
「いっぱい食べた?食べる?」
 横目で小夜ちゃんを見て、タマネギをひっくり返しながら聞いてみる。あっ、中心の欠片が網の目から落ちた。なんか悔しいなぁ。
「・・・うん、おいしかった。お腹いっぱい」
「そう、それはよかった。何がおいしかった?」
 やべっ、ピーマンが焦げた。でもまぁ食べられ無くはないな。・・・うーん、やっぱりにげぇ。生でも焼いても苦いとはこれいかに。
「・・・・・・ホタテ」
「しぶいねぇ」
 サザエが噴いて来たな。醤油、醤油っと。
「・・・あと、しいたけ」
 醤油かけたら縮こまった!すげぇ!ってさっきも感動してたな、俺。
「いいねぇ、しいたけ。俺も好きだよ」
 さてと、そろそろエビの殻を剥こっと。エビの殻って生だとなんであんなに剥きにくくなるんだろうね。
「やっぱりわたしが焼く」
「だーめ」
 やべぇエビ、プリップリ!
「さっきも言ったでしょ?」
 そろそろ肉を焼こうかな。どれにしようかなぁ。
「こういう時に普段家事をしている人は働いたら駄目なの。それがニカイチのルール」
 牛肉はちょっとくどいよなぁ。スペアリブかぁ・・・、骨が邪魔なんだよなぁ。
「だから、小夜ちゃんは何もしちゃ駄目なの」
 よしっ、ここは鶏肉だ!もも肉もも肉っと。うおっ!セセリを発見!
「わかったかい?」
 小夜ちゃんがふてくされた顔で上目遣いに俺を見てくる。相変わらずの頑固者だなぁ。ここで小夜ちゃんが働くと怒られるのは俺なんだってば。セセリを網に乗せてから、サザエを串でほじくり出す。よしっ、最後まできれいに抜けた。俺すげぇ。この最後の黒いところがビールに合うんだよなぁ。あっ、さっき飲み干しちゃったからもう一本持ってこないと。
「小夜ちゃんは飲み物何が欲しい?」
 ついでに持って来ようとするが、
「わたしが行く」
 ってイスから降りて歩きだそうとする。
「ちょっと待って!だから小夜ちゃんは座ってないと駄目なんだって。俺が欲しいんだから自分で取ってくるよ」
 必要最小限に振り向いて目線の端で俺を捉える。うわっ、めっちゃ怒ってる。若干のつり目を細めるから怒ると怖いんだって。だからさぁ、なんでわかってくれないのかなぁ・・・。セセリをひっくり返しながらなんて説得しようか悩んでいると、
「さーよーちゃーん!花火するよー!!」
 ちょっと離れたところから加奈ちゃんの呼ぶ声が。砂浜の方を見てみるとほとんどのみんなが集まってた。
「ほら、呼んでる。行っておいでよ」
 顔を砂浜から俺へと戻す。今度はちゃんと向いてくれたな。まだ怒ってる感じだけどさ。しばらく俺を見つめてから、
「・・・・・・行かないの?」
 うーん、そうだなぁ。
「俺はいいや。ここから見てるよ」
 セセリがまだ焼けてない。
「・・・ならわた」
「小夜ちゃん、ほら行くよ!!」
「えっ?あっ、まって・・・」
 加奈ちゃんが強引に割り込んで、腕を掴んで連れていった。ふぅ、やっぱり小夜ちゃんは頑固者だ。加奈ちゃんグッジョブ。
 砂浜で始まった花火をしばらく見ていたのだが、ふと思い出してビールを持ってこようとクーラーボックスを探していると、
「おい、ロク!」
 突然課長に呼ばれて声のした方に振り向く。すると目の前には宙に浮かんだビールの缶。うおっ!危ね!!
「おっ、ナイスキャッチ。お前もやれば出来るじゃねーか」
 何がナイスキャッチなのか。何をやれば出来るんだか。
「危ないじゃないですか!また額にヒットするとこでしたよ」
「ちゃんとゆっくり投げてやったんだ、ありがたく思え」
 こんなもの本気で投げられたらガラスの灰皿と同じ効果があるって。現実は2時間なんかじゃ済みませんよ。
「その件については一切感謝はしませんが、ビールはありがたく頂戴します」
 本日2本目のビールです。さっそく頂きましょう。夏の海でまずいビールなんてこの世にはありません。一口飲むと同時に網の上も綺麗になった。
 その後は課長が黙り込んじゃうから月明かりの下、かすかな波が認識できる海を背景にみんなの花火をビールを飲みながら眺めていた。圭介君が火のついた花火を振り回して進藤さんに怒られていたり、暗い中を一生懸命落下傘を追いかける加奈ちゃんや、噴出花火の導火線に火をつけて急いで離れようとしたとたんに転んで火花を浴びた竹さんを遠巻きながらも見て楽しんでいたのだが、突然
「どうだ、ちゃんと父親やってるか?」
 なんてこちらを向かずにしんみり言い出すもんだから、当てられちゃって、
「さぁ、どうなんですかね」
 真面目に返してしまった。
「一端に悩みがあるって顔してるが、お前は父親役には向いてねぇよな」
 それは自分自身がよくわかってますよ、言われなくても。父親の背中なんて物心ついた時からほとんど拝んでいませんからね。
「目指すべきお手本が無いんですよ、俺には」
 理想の父親とは一体どんなものなんだろう。課長を見習えばいいってものでもないだろうし。
「普通なら虚勢張って、無理してでも頑張るんだがな」
 クックックって意地汚く笑う。
「でもまぁなんだ。お前はお前らしく居た方がお前らしいからな」
 そんなわかり難い表現をされても。結局言いたい事は俺の思った通りにしろって事なんだろうけど。
 またしばらく花火を黙って見ていたのだが、またしても唐突に
「ところで、生きる気になったか?」
 ったく、何を言い出すかと思えば。それにしても久々だな。
 昔、俺が20歳になった時、課長から言われた「もうちょっとだけ生きてみないか?」。あの時はそれ以上何も言わずに会話は終わった。この人はいつもそうだ、言いたい事を言ってそれでお終い。
「何を言ってるんですか。俺は自殺志願者じゃないですってば」
「だからと言って、無理して生きる気もねぇくせに」
 うん。でもきっとそれは俺だけじゃない。突然交通事故にあって死んだとしても受け入れられる人は大勢いると思う。人よりちょっと生きる事に対して固執してないってだけで。
「あの子を引き取るって言うからちょっとはマシになったと思ったんだが・・・。相変わらずだったか。引き取った責任を果たせなんて言いたいが、お前の責任ってなんだろうな。生きてさえいればなんて綺麗事、虫唾が走るしな」
 今度は自称気味に笑う。確かに場合によってはお互い得るものは無いですからね。でも、それはあまり人前で言わないほうが良いですよ。反感を買いますから。
「課長が心配するほど死に急いでいませんよ」
「同じ結果ならお前の場合はもう少しは生き急いでもいいと思うがな。物事に執着心の無い奴め」
 そう言い終ると同時にビールを飲み干して缶を潰し、
「おい!俺にロケット花火を寄こせ!!」
 みんなもとに走って行った。
 課長、それは誤解です。俺は執着心が無いんじゃなくて物事の成りようをただ受け入れてるだけです。その結果があの世行きだったらしょうがない、納得はいかないけどきっと諦めは付くだろうから。
 課長が去ったあと、特に何かをしたい訳でも無く浜辺への階段に座りみんなを眺める。あちらではロケット花火を人に向けて飛ばしまくってる人影が。あの影からすると課長だな。狙われるのは圭介君か・・・。にしてもあぶねぇ、何て事してんだあの人は。太一君、そろそろ止めてあげないと・・・。

 人さらいが嵐のように去っていった後、一人残された俺は海に行こうか、このまま部屋で一眠りしようか悩んでいたのだが、結局海に行くことにした。本音を言えばこのまま部屋にいたかったのだが・・・。
 適当に海パンとTシャツに着替え、小夜ちゃんが忘れて行った萎んだ浮き輪を持って部屋を出る。浮き輪を売店へ膨らませに行こうとするが、その前に隣の扉をノックする。たぶんまだいるよなぁ・・・。
「はーい、どなた?」
 この声は早苗さんだな。
「草野です。小夜ちゃんはまだいます?」
「ちょっと待って」
 扉をほんの少しだけ開けて隙間から覗かれる。
「なに?どうしたの?」
 部屋の中が見えませんが中はどうなっているのでしょうか。覗いてもいいですか?
「いえ、このカードキーを渡してください」
 隙間からカードキーを渡す。
「俺は先に海に行きますから、忘れ物があるといけませんので渡しておきます。あっ、浮き輪は持って行きます」
「そう、伝えておくわ。じゃあ後でね」
 そう言ってすぐに扉を閉めてしまった早苗さん。呆然と立ち尽くす俺。何これ、すっごく寂しい。ちょっとした疎外感を感じつつ売店へと向かう。効果音はトボトボでお願いします。
 売店に着くと既に高浜さんがでっかいワニを膨らませているところだった。それにしても高浜さんは体つきがいいなぁ、これが実用的な筋肉だからびっくりだよ。確かアメフトだったかラグビーをやってたんだよな。一緒に歩きたくないなぁ。
「おや?草野君、元気がないけどどうしたの?小夜ちゃんは?」
「隣に誘拐されました」
「えっ?」
 頭の上に大きな疑問符を浮かべる高浜さん。
「身代金要求が無いのが気になります」
「あっ・・・そう・・・大変だね」
 大体の事情はわかってくれたみたい。ただ誰に誘拐されたかまではわからないみたいで、
「犯人はやっかいそう?」
 一応心配をしてくれる。
「いえ、誘拐犯らしからぬ幼さでしたので大丈夫だと思います。その保護者らしき仲間もいました」
 人質の安全は守られている事は確実だ。もう一方の隣だった場合は・・・想像もしたくない。
「なるほど、愛する娘を取られて意気消沈中なんだね。まぁそんな事はいくらでもあるさ。はい、僕は終わったよ。それやってあげようか?」
 俺が持っていた浮き輪を顎で指す。
「すみません、お願いします。奥さんと息子さんは?」
 浮き輪を渡して空気を入れてもらう。にしてもコンプレッサーの音がうるさい、綿菓子屋を思い出すね。
「女は色々と時間がかかるんだってさ。聡はお母さんにべったりだし。そう考えると草野君と一緒だね」
 なるほど、高浜さんは追い出されたって事か。ちなみに聡君は高浜さんの3歳になる息子さんね。
「よしっ、終わったよ。さて、海に行こうか」
 空気を入れてもらった浮き輪を受け取り、でっかいワニを脇に抱えて先に歩き出す高浜さん。遅れて俺も歩きだしたのだが、後ろから見るとワニを素手で捕獲した人に見えるのが面白い。今晩はワニの唐揚げですね。
「あ!草野さんと高浜さんだ!おーい!!」
 ホテルから出るところで環ちゃんと進藤さんも向かうところだったらしく、すぐそばにいるのに環ちゃんに呼ばれた。
「環ちゃん、そんな大声じゃなくても十分聞こえてるよ」
「二人とも今から行くの?」
 進藤さんはTシャツにホットパンツ姿で、環ちゃんはビキニのまま片手に荷物を抱えてる。それにしても環ちゃんはもっとぽっちゃりしてるかと思ってたけど、出るところは出て締まるところは締まってる。こりゃ・・・竹さんが訴えられるな。
「はい、みんなはもう?」
「他の男連中は先に行ってるよ、後は出遅れ組ってわけだ」
 厳しい日差しの中、案内通りに下っていく。こりゃ日焼けに気をつけないと後が大変な事になりそうだ。アスファルトからの照り返しも辛い。それにしても湿気が無いだけでこうも体感温度が変わってくるんだな。
「うわー!南国だぁー!!」
 しばらく歩くと急にビーチが開けてきた。真っ白い砂浜に椰子の木みたいなのが等間隔に並んで、ビーチパラソルが所々開いている。ホテルのビーチだからプライベートとまではいかなくても、もっと人が少ないと思ってたんだけど結構人がいるなぁ。まぁ7月中旬の連休だからしょうがないか。さてと、課長たちはっと。周りを見渡していると、
「おーい!ロクっ!!こっちだ!!!」
 呼ばれた方をみるとパラソルの下に課長と竹さんがいた。陣取られた場所へ近づいてみると圭介君と太一君がいない。
「ロクちゃん遅かったねぇ」
「ええ、ちょっとゆっくりしてから来ました。2人は?」
 噂をすればなんとやら。クーラーボックスをを下げた圭介君が汗だくになって帰ってきた。その後ろからは買い物袋を下げて涼しい顔をしてる太一君。
「やばいっす!超重たいっす!」
「おつかれ、ありがとな」
 早速届けられたビールを開けて飲み始める課長。ゴクゴクと喉が鳴り・・・なげぇな。
「ぷはっ!やっぱ海でのビールはまた違うなぁ!」
 と350mlの缶をつぶす。いきなり飲み干すのはどうかと・・・。そして2本目を開ける。まぁこの人はいつもの事だから放って置こう。
「さてと、ひと泳ぎしてこようかな。どうだい太一君、沖まで体を慣らしに行かないかい?」
「そうですね。いいですよ」
 2人は準備運動を始める。こうやってみると体つきがいい。高浜さんはボリュームがあるって感じだけど、太一君は細いながらも引き締まった体をしている。なるほど、だから俺の家の片付けやなんかも軽々と出来るわけだ。それにしても高浜さん、今更ですが海でブーメランは気合が入り過ぎではないでしょうか。
「草野君もどうだい?」
「いえ、俺はやめておきます」
「そう。たまには体を動かした方がいいよ」
 きっとこの2人の事だからハードなんだろうなぁ。運動があまり得意でない俺としては観てるだけでお腹いっぱいです。そう言えば二人とも草野球チームの一員だったな。あと圭介君も。圭介君を見ると竹さんと共に何かに目を奪われている。もしかして・・・、
「それにしてもタマちゃん・・・」
「これはやばいっすね!」
 特に竹さんの目の色が変わってる。これはまずいな。
「竹さんと圭ちゃん、きもちわるいー。こっち見ないでください!」
 腕を組んで、胸元を隠す環ちゃん。本気で気色悪がってるし。
「えー、目の保養だよ。ここは日頃の感謝を込めて、揉ませろと言わないからさぁ、指でつつかせて。小指でいいからさぁ」
 とうとう退職の時が来たか。胸元を隠したまま俺の後ろに回る環ちゃん。そして、目の前には目が血走ったゾンビが2体。
「環さーん何カップっすかぁ??」
「いいじゃーん減るもんでもないんだしさぁ」
 駄目だこの二人、早くなんとかしないと。さて、何か道具は無いかと周りを探し始めた瞬間、
「「いてっ!!」」
 2人して頭を抱え、屈み込んで苦悶してる。その後ろに仁王立ちで見下してる竹さんの奥さんと進藤さんが。見てるこっちまで萎縮するほど怖い・・・。
「ロクちゃーん!おまたせー!!」
 砂浜を元気に走って来る加奈ちゃん。その後ろには早苗さんと小夜ちゃん、高浜さんの奥さんと息子さんがゆっくりこっちに向かってる。
「走ると危ないよ!」
 そのまま目の前で豪快にヘッドスライディングを。ほらいわんこっちゃない。しかしすぐに起きあがって俺に体当たりをしてくる。地味に痛い。
「おっまたせー!うみー!!」
 体当たりを反動にして方向転換し、そのまま海へ走っていく。いやぁ、元気だ。
「ロクちゃんおまたせ。はい、どうぞ」
 って、早苗さんが俺の前に小夜ちゃんを差し出す。どうぞと言われても・・・。大きめのパーカーを来た小夜ちゃんは俺を見上げる。いつも通りの無言です。さて、どうしたものかと見つめ合ってると、
「もしかしてロクさんロリコン?」
 耳元でささやく声が。
「け・い・す・け・く・ん?」
「やべぇ!ロクさんが怒った!!にげろー!!」
 俺が振り返った時にはすでに走り出していた。追いかけようと思ったのだが向かった先に海に入ろうとしている高浜さんがいる。
「高浜さん!!お願いします!!!」
 俺を見てから向かってくる圭介君を確認し、一度だけ大きく頷く。そして高浜さんを避けようと斜めに方向転換した圭介君に対して腰を落とし、ものすごい勢いで走り出す。圭介君もそれに気づいたのか更に加速したのだが砂地では思うより速度が出ないらしくすぐに高浜さんに追いつかれる。そして高浜さんは勢いを殺さずにそのままダイブ。「ぐえっ!」って声と共に体がくの字に曲がりそのまま動かなくなる。あー、少しは手加減してあげてもよかったかな。まさか肩から行くとは・・・。ご愁傷様です。
 余計なことを口走った悲惨な男の末路を確認した後、またしても俺の横で見上げる女の子。再び無言なんだけど。何かしゃべらないとなぁ。
「どうだい?初めての海は」
 無難に感想を聞いてみる。小夜ちゃんは見上げていた視線を海へと動かして、
「・・・青い」
 なるほど。わかりやすい感想ですね。
「あれって水平線?」
 遠くの方を指差して俺に聞いてくる。飛行機の中からでも見えてたけど、そんな余裕が無かったからな。
「そうだよ、面白いよね。昔の人はあそこの向こうは大きな滝になってるって思ってたんだから」
 あと、天動説を唱えた人達はすごい自己中心的なんだと子供ながらに嫌悪した覚えがある。どれだけ自分に自信がある人達なんだと。
「・・・あそこまでどれぐらい?」
 どれくらいって?距離の事かな?えーっと、円だから三平方が使えるか。地球の半径ってどれくらいだっけ。たしか一周が4万kmで、小夜ちゃんは小さい方だから目線だと1mぐらいかな。そうすると・・・、電卓が欲しいな。文明の利は人を堕落させるとはよく言ったものだ。
「だいだい3km半ぐらいかな?」
 俺だと4km半ってとこだね。
「・・・近い」
 確かに。今まで考えた事もなかったな。
「そうだね。歩いて1時間かぁ、すぐだね」
 現実って意外にも箱庭だったんだね。小夜ちゃんに聞かれるまで気が付かなかったな。
「さーよーちゃーん!ロークーちゃーん!!」
 元気な声が再び近づいてくる。
「ねぇねぇ!まだぁ?小夜ちゃん行くよ!!はーやーくー!!」
 加奈ちゃんが小夜ちゃんの裾を引っ張り急かす。困った顔で俺を見上げてる小夜ちゃんだが、
「行って来なよ。目一杯遊んでおいで」
 そう声をかけたんだけど、なぜかちょっと不満気な顔。海が嫌なのかな?そうでも無いみたいだけど・・・。すると着ていたパーカーを脱いで俺に渡し、浮き輪を持って行ってしまった。わからない、何が不満なんだろう。ちょっと怒ってるみたいだったし・・・。
「機嫌を損ねてしまいましたね」
 俺の横で急に声がしてびっくり。振り向けば進藤さんが目を細めて小夜ちゃんと加奈ちゃんを見ている。
「うん、なんで怒ったのかわからないけど・・・」
 怒るような事があったか?
「小夜ちゃんも女の子なんですね」
 ん?女の子??
「それは知ってるんだけどねぇ」
 見たままなんですが・・・。
「やっぱりわかっていませんね。だから小夜ちゃんは拗ねたんですよ。さて、私も行こうかな」
 進藤さんが俺の目の前で着ていた服を脱ぎ始める。下には水着を着ているとは言え、こんな目の前で脱がれると・・・心臓に悪いです。あまりしっかり見たわけじゃないけど、進藤さんもスタイルが良い。白のビキニなんだけど、肌も白くて全体的にほっそりとして見ていて綺麗だなぁ。こんな日差しの下で透き通るような白さが眩しい。
「さっ、環。聡君も行こうか。では草野さん、お姫様のご機嫌を取ってきますね」
 そう歩き出してから振り向いていたずらっ子の様に微笑む。そしてすぐ傍で一緒に砂遊びをしていた高浜さんの息子さんと環ちゃんの3人で海へと向かった。
 俺は一瞬ドキッとしてしまい、何も言い返せなかった・・・。してやられたな。波打ち際で5人が戯れている姿を見ながら小夜ちゃんが怒った理由を考えた。考えてたんだけど、急に耳元で、
「聡君いいなぁ、ハーレムだなぁ、俺と代わって欲しいなぁ、いいなぁ」
 ってうわ言が聞こえてくる。
「竹さんは駄目です。あなたが行くと犯罪になります」
「えー、だってぇ、羨ましいなぁ、いいなぁ」
 ずっと耳元でぼやかれたら考えられるものも考えられないよ・・・。

 バスに乗り込み約10分。ちょっと早い昼食はアメリカンバーみたいな所で、雰囲気は80’sアメリカンといった感じ。古ぼけて使えるかどうかすら怪しいジュークボックスや錆びて塗装が禿げかけているペプシコーラの看板など、映画で出てくる様な雰囲気そのままだったのでそれはそれで楽しむ事が出来た。好きな人は相当好きなんだろうな。
 そこでハンバーガーを食べたのだが、これがまた本場を再現したとかで異常にデカイ。本来ならかぶりついて食べたいところだが、さすがに高さもあるので無理。というわけでナイフとフォークが用意してあるのでそれで食べる事にした。待ちきれなかったのか圭介君は手でそのままいき、それに触発された人が、課長、竹さんになんと高浜さんまで参戦してた。何故か俺と太一君もやれよと変な空気が流れたのだが、そこは敢えて無視の方向で。俺はそう言った事には流されません。
 ハンバーガーをナイフとフォークで食べる経験なんて無かったので面白い体験が出来た。もちろん味もちょっと濃い目だったが肉の質がよかったのか、くどくもなく、また野菜類が多くて他に何もいらないってぐらい、一つの食事として成立していたので驚いたんだけど。ジャンキーって感じでも無いのでこれなら全国でお店を出してもいい気がするんだけどねぇ。こっちでやるからいいのかも知れないが。小夜ちゃんも満足してる様子だし。
 おいしかったので文句は無いのだが、竹さんのプランニングの方向性がわからない。沖縄色を敢えて消して行ったのかなぁ。小夜ちゃんにはさすがに多いので半分を頂きながら、素朴な疑問を投げかけてみる。
「竹さん、どうして沖縄でハンバーガーなんです?」
 そうすると当たり前の様な顔をして、
「何言ってるの?ロクちゃん。これも沖縄だよ。ちなみに高浜君のリクエストだけどね」
 と真面目に返答された。え?ハンバーガーが沖縄?俺が首を傾げていると、
「草野君。確かに沖縄の伝統文化って訳じゃないよ。だけど、沖縄にはこういったお店を多く見かけるのは何故か?個人的な趣向としては戦闘機を観に行きたかったけどね」
 高浜さんが答えを教えてくれた。なるほどね。ニカイチの約束事その5、お客の立場になりお客の為に。って事だ。その人の為になる企画を提案する、その為にはその人を少しでも理解をしなければならない。
「現状を味わっておかないと、伝統文化の価値が半減するからねぇ。俺達はどうやってその伝統文化を伝えてきたか、どうやって守ってきたかを理解しないといけないからさぁ。そして守りたいと思う人達がいればそれに力を貸すのが仕事だからねぇ」
 いつも通りの職場で見せる微笑んだ顔で今一度念押しをする竹さん。ん?ちょっと待って、それって・・・、
「もしかして竹さん、今回の沖縄旅行って仕事も兼ねてます?」
 ニヤリと口元を上げて、
「さっすがロクちゃん。長いこと一緒のチーム組んでないねぇ」
 やっぱりか。そして課長に続きを促す。
「正式に決まった訳じゃねぇが、第1の奴らと社内プレゼンの話が水面下であってな。風の噂レベルだからまだロクのところには話がいってねぇだろ?」
「えぇ、まだです。社内プレゼンって事は相当大きい案件ですね」
 なるほど、これがあったから会社の経費で落とす名目が出来たわけか。つってもどちらにしろ普通は無理だけど。
「じゃあ今回はその事前下見って事なんですね」
 さて、仕事が絡んでるなら本腰を入れて見方を変えていかないと。
「何言ってんだお前。んな訳ねぇだろ、バーベキューしに来たんだっつーの。目的を忘れんなバーカ」
「は?だって今・・・」
「ロクちゃーん、駄目だよぉ公私混同は。楽しまなきゃねぇ。ちなみにここのお店、今日は定休日なんだけど無理言って開けてもらったんだよ。普段並ぶ程の人気店なんだから。せっかく沖縄に来たんだから食べないとねぇ」
 コーラにストローで息を吐いてブクブクさせながらニヤついてる竹さん。ねぇ、なんか俺が間違ってる?進藤さんを見れば呆れた顔で肩をすくめてるし。あぁ、ちなみに竹さんは行儀が悪いってまたしても奥さんに叩かれてた、グーで。

 ボブさんの運転でその後はホテルに向かう。大体20分ぐらいと結構な近場だったのだがホテルに着いてまず驚いた。チェックイン手続きをしに行った進藤さんをホテルの中庭みたいな天井まで吹き抜けの広い屋内テラスで待っていたのだが、それがホテルの構造が大きな円になっていて回りを見上げると全部客室の扉。外と中が反転した巨大マンションにいるみたいで圧倒って言葉しか出てこないぐらいすごい。こういった演出もありだなぁなんて関心していると
「うひゃー圧巻だねぇ!天井のガラスを突き破って特殊部隊とかがロープで突入してくるんじゃない?ねぇねぇ高浜さんと圭介君でやってみてよぉ!」
 環ちゃん、それ無理でしょ。高浜さんなら・・・まさかね。
「環さん、それ無理っす」
「えー、圭介君ひんじゃくー。高浜さんはぁ?」
 腕を組んで上を見上げてしばらく考え込んでる様子の高浜さん。目線を徐々に下に下ろしてきて環ちゃんまで戻ってくると、
「降りるのはいいけど、登るとなるとちょっと辛いな。狙われ放題だし。退路は入り口でもいいの?」
「え?・・・う、うん」
「そうか、幸い中庭には花壇が沢山あるし遮蔽物には困らないけど、降下中が危ないな。上から援護してもらってもいいけど、各階から狙われ放題だし無事に降下出来ても途中階から狙われるな。ここは一気に1階よりも各階づつ制圧して降りてきた方が無難だね。そうすれば大隊じゃなくても何とかなりそうだよ。最上階にはスナイパーを置いておきたいけどね。これなら圭介君も行けるんじゃない?」
「は、はぁ・・・。制圧っすか・・・」
 えーっと、高浜さん。真面目に何をする気ですか?
「はーい!ニカイチ集合!!」
 進藤さんの声が響き渡る。広い範囲でばらけていたニカイチメンバーが集まってきたのだが、だからここは幼稚園か。
「それでは部屋のカードキーを渡します。ツインルームしかありませんので2人一組でお願いします、高浜さんのご家族は3名です。それでは配ります・・・」
 部屋割りは順番に、課長・太一君、早苗さん・加奈ちゃん、俺・小夜ちゃん、竹さん夫婦、高浜さん家族、進藤さん・環ちゃん、そして圭介君1人。あぁ、それは彼の性格上、
「えー!まじっすか!!1人って寂しいじゃないっすか!?」
 やっぱり不満を漏らす。
「恵美さんと環さんのとこに混ぜてくださいよ!」
「「却下」」
 同時に即答。
「ならロクさんのとこは!?小夜ちゃんと一緒に!」
 いや、聞くまでもないでしょ。
「無理無理。1人気楽でいいんじゃない?」
「寂しくて死んじゃうっす!しょうがない。この際、課長でもいいので!」
「しょうがないとはなんだ馬鹿野郎。おめぇなんていらねぇよ邪魔だ」
「そんなぁ、みんな酷くないっすか!?」
 小学生のようにごねてると竹さんが、
「圭ちゃん馬鹿だねぇ。ちょっと耳貸してごらん」
 そしてニヤニヤしながら圭介君に耳打ちすると、
「うっす!よし!さっそく海行きますよ、海!!」
 なんか急に目を輝かせて生き生きし始めたんだけど、何この豹変振りは。どうせ竹さんがくだらない入れ知恵をしたんだろうけど。
「はいはい、うるさいのが更に活発になったけど、この後を説明します。海へはこのホテルを降りたところにホテル専用ビーチがあります。案内看板が出てるのでそれに沿って向かってください。夕食はビーチにバーベキューの施設がありますのでそちらで17時から始めます。ビーチにいらっしゃれば結構ですがホテルに残られた場合は遅れないようにしてください。浮き輪やビーチボールなどの空気はフロント横の売店で入れる事が出来るそうなので活用してください。あとビーチにはちょっとした売店もあるそうです。
 朝食ですが、明日の朝7時から9時まで飲食テナントで用意がされています。和洋中と揃ってるみたいなのでお好きなのをどうぞ。出発ですがロビーに10時集合ですので覚えておいて下さい。遅れますと置いていきます。
 それで注意事項ですが、ドアはオートロックですのでインロックをしないように。また海に向かう際はカードキーをフロントに預ける事も忘れないで下さい。以上です。何か質問はありますか?」
 ・・・・・・。みんな無言で先を促す。
「はい、それでは行きましょう」
 進藤さんを先頭に荷物を持ってぞろぞろとみんなで歩き出す。6階の一角がニカイチで取った部屋らしい。一度にエレベーターに乗れなかったので後から上に上がる。
 部屋に入るとベッドが2つにテレビ、簡単なテーブルセットとユニットバスの普通のツインルームだったのでちょっと拍子抜けしたのは過度の期待からだろう。ちょっと反省。沖縄だからってホテルの客室が変わるわけでもあるまいし。
 荷物をおいてベッドに腰掛ける。ふぅー、ここまで来るだけなのに疲れたなぁ。ちょっと寝転がって休憩していると、小夜ちゃんがお茶を入れてくれた。せっかくだから起きあがってイスに腰掛ける。
「パックのお茶しか無くて、持ってくればよかったですが・・・」
 って申し訳なさそうにしてる。いやいや、
「ここまで来てちゃんとしたお茶じゃなくてもいいよ。煎れてくれてありがとね、頂きます」
 小夜ちゃんも向かいに座り、お茶を頂く。暑いときに熱いお茶を飲むのがいいんだよねぇ。冬でも熱いお茶だけど。
「なんかようやく落ち着けたって感じだね。飛行機は大丈夫だった?」
 持っていた湯呑みを置いてから頷きながら、
「もう大丈夫。ごめんなさい」
 って再び申し訳なさそうにする。
「いやいや、こっちこそごめん。帰りも我慢しないで怖かったら怖いって言ってね。我慢するのが一番よくないからさ。とは言え、俺が何を出来るって訳じゃないけど」
 飛行機の操縦が出来るわけでもないしね。俺が出来るのは隣に居る事だけだけど。って、しまった、
「あっ!今更だけど、俺と一緒の部屋でよかった?加奈ちゃんとか早苗さんと一緒の方がよかったんじゃない!?今からでも話をしてくるよ!」
 小夜ちゃんと同じ家で過ごしているとは言え、さすがに寝たりするのは別々の部屋だし。親子とは言え、相手は女の子なんだから。
 腰を上げようとすると小夜ちゃんは慌てたように手を振りながら、
「ぜ、全然!わたしは大丈夫です!」
「そっか、ならいいんだけど」
「むしろ・・・・・・」
「ん?なに?」
「え?あっ、えーっと、なんでもない・・・です・・・・・・」
 かなり動揺してるみたいで慌ててる。そっか、無理もないよねぇ。初めて同じ部屋で寝るんだもん、そりゃ動揺するよねぇ。頭では理解出来るけど気持ち的には難しいだろうな、かといって俺が気にすると小夜ちゃんも、もっと気にするだろうから俺は普通にしてよっと。
 お茶も飲み終わり、さてと海に行く支度をしようかなって重い腰を上げたところで扉がノックされ、
「さーよーちゃーん!いくよー!!!」
 はいはい、待ってドアを開けるから大声で叫ばないで。
「いーくーよー!!」
 扉を開けると勢いよく加奈ちゃんが飛び込んできた。そしてまだ湯呑みを持ったままの小夜ちゃんを見て、驚いた顔をして
「えー?小夜ちゃんまだ着替えてないの!?水着はー?」
 そう言う加奈ちゃんも着替えて無いんだけど、めずらしいなぁ、
「加奈ちゃんは着替えないの?てっきりもう着替えてると思ってたけど」
 ごそごそと自分の荷物から水着を出してる小夜ちゃんを後ろからせっついている加奈ちゃんに聞いてみた。すると一瞬不思議そうな顔をしてから、
「だいじょーぶ!もう着てきたもん!」
 って胸を張って自慢げ。えーっと既に下に着てるから後は脱ぐだけって事か。ちょっと待って、着てきた?
「もしかして加奈ちゃん、家からずっと着てるの?」
 なにを今更って顔して
「そーだよ!小夜ちゃんはやくー!」
 ようやく水着を探し出した小夜ちゃんを確認するなり、
「じゃあ行くよー!バイバーイ、ロクちゃん!!」
 って手を引っ張って部屋を出て行っちゃった。あーあ、小夜ちゃんが誘拐された。

「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか!?」
 機内に響きわたる女性の声。
「お客様の中にお医者様は・・・」
「環ちゃん、他の人に迷惑」
「えー、一度やってみたかったのにぃ。草野さん、のりがわるいー。そこは医者は医者だけど、歯科医でもいい?って来るところぉ」
 飛行機の中。ちなみにまだ搭乗したばかりで離陸すらしていない。
「タマちゃん、そこは歯医者よりも耳鼻咽喉科とかどう?響きとかいいよねぇ。いてっ!」
 竹さん、あんた下ネタかよ。奥さんに頭を叩かれてるし。グーで。
「おい、竹!席がせめぇ!もっとでかくしろよ!」
 あぁ、また課長が何か言い出したよ。
「無理無理。恨むなら自分の予算取りを恨むんだねぇ」
 叩かれた頭を撫でながらニヤニヤしながら答える。竹さん、あなたがそんな返しをすると、
「んだと!おい、ロク!!」
 ほら来た、なんだよ。
「前のシート外せ!」
 それはどう考えても無理でしょ。
「俺には言っている意味がわかりません。ご自分でどうぞ。そのかわり課長は沖縄不参加になります」
「あぁ?てめぇ、なんて言った!?」
 あー、めんどくさい人だなぁ。ここは一発で終わらせよう。太一君に目配せ。頷いて答えてくれる。そして、
「親父うるさい!おとなしく座ってて!!」
「お、おう・・・」
 はい、終了。お互い親指を立ててサインの交換。ここぞって時の太一君だよな。
「あい、あむ、ちきん!」
「そうそう!そうやって頼むんだよ」
 今度は・・・また竹さんか。またしても顔をニヤニヤさせて加奈ちゃんに何かを教えてるけど、多分機内食はどっちがいいかってやつだよな。色々突っ込み所が・・・。
「竹さん、間違ったことを教えないで下さい。加奈ちゃん、今のは忘れていいからね」
「あい、あむ、ちきん!」
 あぁ、なんか気に入ってるし。
「うん、それは大声で言わない方がいいよ。特にこのハゲの人から聞いたことはすぐに忘れてね」
「ハゲてないもん、ボウズだもん。ロクちゃん酷いよぉ」
 変な甘い声を出して泣き真似をしてる竹さん。30を越えたボウズ頭のおっさんがそんなオカマみたいな事されると、
「竹さん、本気で気持ち悪いです。もうこれ以上変な事をしないで下さい。小夜ちゃんにハゲって呼ばせますよ。しかも変な英語を教えないで下さい。これは国内線なので英語で聞かれませんし、機内食も出ません」
「えっ!?出ないの!?」
 次に食いついたのは圭介君。ったく、次から次へと。
「やべぇ、俺食べれると思って朝飯抜いてきたのに。ロクさん、それマジっすか!?」
「マジ。向こうに着いたら何か買ったら?」
「えーっ!腹減ったー!!誰か食べるもの持ってないっすか?ひもじい思いをしてる子がここにいますよー!」
 あー、うるさいのが一人増えた。さてどうしよっかなーって考えてると急に進藤さんが立ち上がり、
「たった2時間ちょっとのフライトで出る訳ないでしょ!あなたも大人しく座ってる!もう!みんなも大人しくしてる事!周りに迷惑をかけない!!わかった!?」
 一同沈黙。
「返事!」
「「「「はーい」」」」
 今まで黙って聞いてた進藤さんが、とうとう怒鳴った。ふぅ、これで俺も落ち着く事が出来る。怒ると体力を使うから嫌だって言ってるけど、出来ればもっと早めに彼らを押さえつけて欲しかったな。まぁいいや、ようやく席でくつろげる。それにしても隣に座ってる小夜ちゃんがいつもと様子がおかしい。
「どうしたの?」
 すでに座席でシートベルトをし、顔を強ばらせて、拳を堅く握ってる。もしかして、
「小夜ちゃん、飛行機が怖いの?」
 反応無し。ひたすら足下を見て堪えてる感じ。離陸のアナウンスがあり、飛行機のエンジンが唸りをあげ始めると体をもっと強ばらせる。こういう時はどうすればいいんだろう・・・。とりあえず安心してもらうには・・・。
 小夜ちゃんの堅く握りしめられた拳を両手で包み込む。すると俺が横にいる事に初めて気が付いたみたいに、俺を見て一瞬だけ驚いた顔をするが、その後は不安そうな顔をする。
「小夜ちゃん、大丈夫。俺が隣にいるから安心してね」
 俺がいるから何か出来る訳じゃないんだけど、出来るだけ優しく声をかける。そうすると徐々に手の力が抜けてきた。少しは効果があったかな。そして片方の手を繋いで、
「ほら体の力を抜いて深呼吸」
 俺も一緒に吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。体が強ばってた事にやっと気が付いてくれたのか、ちょっとだけ体の力が抜けた様子。
「ほら、怖くないよ。大丈夫」
 小夜ちゃんに微笑んであげると、ちょっとはましになったのか、さっきよりも表情の堅さが取れてきた。ふぅ、これで一安心かな?だけど、飛行機が動き出し、滑走路へと向かい一度停止すると、今度は小夜ちゃんのもう片方の手も動員し両手で俺の手が強く握られる。また緊張し始めたみたいだけど、この一瞬はしょうがない。機体が安定するまでしっかりと手を握ってあげて、出来るだけ余裕のある顔を心がけよう。
 エンジンがさっきよりも大きな唸りをあげて機体が進み出す。座席に押さえつけられる感覚と共に一層音がうるさくなるが、その直後音が急に静かになり更に座席へ押さえつける力が強くなる。外を見れば景色が斜めになって、建物が下に動いていく。大きく旋回している様子だったが空港の全景が下の方に見える頃になって、加速感がなくなった。機体が水平になって安定したかな。
「ほら、もう大丈夫だよ」
 俺の方を向いて頷いてはくれたんだけど、まだ緊張してるみたいだね。
「ごめんね、飛行機嫌だった?高いところ駄目?気が付かなくてごめん」
 今更気がついても遅いんだよなぁ。今思い返せば搭乗手続きをした後あたりから小夜ちゃんの様子がおかしかったのに。父親失格。減点はカウントストップクラスだ。
 前を向いたまま俯いて、ちょっとしたらまた俺を向いて首を振る。
「はじめてだから、ちょっと怖くて・・・」
 そう目線だけ下にやって、ちょっと恥ずかしそう。うん、ちょっとはリラックス出来てきたかな。
「そっか。ごめんね。もっと早くに気づくべきだったよ。大丈夫?」
「大丈夫。けど・・・・・・」
 再び目線だけ動き、繋いでいる手を見てる。そしてちょっとだけ手に力が入った。ん?・・・あぁ、
「うん、いいよ。これぐらい、いつでもお安いご用ってね」
 これぐらいで多少なりとも安心してくれるなら、手ぐらいいくらでも繋いであげるよ。
 それから約2時間。気流も安定していたのか、揺れもなく無事に沖縄上空へと飛来した。その間、環ちゃんと進藤さんはいつもの様にお菓子を食べながら和気あいあいとし、課長は爆睡。太一君と加奈ちゃんが窓の外を見て楽しんでいたし、それを早苗さんが写真を撮ったりしてた。高浜さんは息子さんと機内販売パンフレットや飛行機のおもちゃを買ったりして親子で楽しんでいる様子で微笑ましかったのだが、圭介君と竹さんが何やらコソコソと不穏な動きを見せていたのが非常に気になる。またよからぬ事を企んでるんだろうな。俺に被害が無ければいいけど。
 俺たち親子は相も変わらず無口で、初めの内は緊張を少しでも紛らわせようと何の話をしたか覚えていないぐらい他愛のない話をしていたのだが、元々話し上手な訳でもないので、そのうち話のネタも尽き、やはり無言になってしまった。小夜ちゃんも極度の緊張が続く訳もないので、まぁ結果としてはいつも通りと言った雰囲気に近いものではあったのだが。

「青い空!青い海!!!招いてくれてありがとぉ!沖縄よ!!!」
「邪魔だ!どけっ!」
 課長に蹴り飛ばされ、座席の間に転がる圭介君。みんながそれぞれ通り過ぎるときに圭介君を見下してからゾロゾロと飛行機を降りる。
「みんな酷いっすよぉー」
 半泣きになりながら後ろから追いかけてきた。こういう時の団結力についてはニカイチの右に出るものはいない、ただの悪のりだが。
 やっぱり着陸時に小夜ちゃんが再び緊張していたのだが、学習能力が高いのか離陸を一度味わっている分、多少ましになった様子で無事に地面へ降りたつ事が出来た。握られた手がちょっとだけ痛かったけど。
 コンベアで流れてきた荷物を受け取り、一旦ロビーに集合する。すると、
「ヨウコソ!オキナワへ!!」
 と叫びながら札を持った黒人さん。胸元には『ボブ』って名札が付いてる。たぶん、俺らを出迎えてくれたんだと思うんだけど札が『カンゲイスル!ニコイチ!』って・・・。
「進藤さん、これは?」
 進藤さんは首を傾げている。って事は・・・。みんなで一斉に竹さんを見る。
「いやぁ、せっかく飛行機に乗ったんだし、外人さんの方が雰囲気が出ると思ってねぇ。旅行会社の人に頼んでおいたんだよ」
 またしてもニヤニヤしながら答える。それにしても竹さんはいつもニヤニヤ笑ってるなぁ。そんな事にいちいち力を入れなくてもいいのに。よくわからない人だ。
「あい、あむ、ちきん!!」
 急いで振り返ると加奈ちゃんがボブさんに大声で叫んでる。
「Are you a chicken?」
「あい、あむ、ちきん!!」
「IYA! You're a coward. I see.」
 ちょっと!なに理解してんの!?太一君が急いで加奈ちゃんを抱きかかえ回収。俺がボブさんに、No,No,No,No!って誤解を解く。大声で叫ぶ方もどうかと思うけど、わからないのをいい事に自分は臆病者ですって教える人もどうかと思うんだよね。ったく、竹さんは余計な事をしてくれる。
「腹減ったっす!何か買ってきまーす!」
「ちょっと!待ちなさい!」
 進藤さんの制止を聞いてか聞かずか、荷物を俺のそばに置いて走り出した圭介君。ボブさんが人数を確認して「Go there. 」ってバスへ向かう。いやいや今1人走って行ったじゃん、足りてないでしょ。
「へい!ミスターボブ。ウェイトアミニット」
 ボブさんを一旦止めると、横で進藤さんが電話をしてる。
「もしもし!?早く戻って来なさい!出発するわよ!・・・それはいいから、この後お昼を食べに行くの!いいからさっさと戻って来る!!早く戻ってこないとお昼抜きだけじゃ済まないわよ!!わかった!?」
 もー。って呟きながら電話を切った直後、遠くのほうから猛ダッシュで「うおー!めしー!!」って叫び声が近づいてくる。公衆の面前で叫ぶのは止めて、恥ずかしい。
 すぐに帰ってきた圭介君は最後の気力を振り絞ったのか、その後はへたり込んでしまった。さて、じゃあボブさんに出発をお願いしないと・・・。えーっと、英語は・・・。って考えてるとボブさんが、
「皆様お揃いですね、それでは行きましょうか」
 おい!すげぇ綺麗な日本語が出来るんじゃねぇか!さっきまでの英語はなんだったんだよ!!って心の中で突っ込むと同時に課長もボブさんに同じ事を言ってる。・・・よかった、俺は口にしないで。ステレオでハモるとか、しかも課長とだと後でみんなに何を言われるか・・・。
 ボブさんはしまった!って顔をしてから申し訳なさそうに、
「すみません、極力日本語を話すなと言われておりましたが、つい話してしまいました」
 またもや一斉に竹さんを見る。
「だからぁ、そっちの方が雰囲気が出るでしょ?さぁお昼お昼っと♪」
 荷物を持ってさっさと行ってしまった。竹さん、あなたの拘りが今一つわかりません・・・。

「忘れ物は無い?水着はある?浮き輪も持った?あと必要な物で忘れちゃ駄目なのは・・・」
 ボストンバックの中身を開けて、中身をチェックする。
「多分、荷物も大丈夫だね。よしっ!それじゃ下で課長を待とうか」
 夏の爽やかなワンピースの下にジーンズを履いてつばの大きな麦藁帽子をかぶった少女と、Tシャツにハーフパンツでサンダルを履いた優男が荷物を持って玄関を出る。
 今日は7月3連休の初めの日、小夜ちゃん達は夏休み初日。今から小夜ちゃんのお披露目会と言う名の旅行に行くから、もうすぐ課長が迎えに来てくれる時間だ。
 お披露目会はその後、異様な盛り上がりを見せ社員旅行も兼ねよう等と訳のわからない話になって行き、沖縄旅行に行く事となった。しかも予算のほとんどを会社持ちで。どうやったらそんな無茶が通るのかわからないが、課長が予算を分捕って来た結果だ。ニカイチのみんなも、設立以来はじめての嵐のような仕事を全て捌ききって、地域開発コンペにも勝利し、グループ会社にその仕事を移管した後だったので、妙な高揚感があって「細けぇ事はいいんだよ」の課長の一言で終わってしまった。
 と言うことで、空港まで車で行くと言う課長一家に便乗するため、マンションのロビーで待っていると早苗さんのワゴン車が車付けにやってきた。早苗さんの車は確かヒーローとかそう言った名前だったと思う。
「小夜ちゃーん!ロクちゃーん!おはよー!!」
 後ろのスライドドアが勢い良く開き、中から加奈ちゃんが飛び出してきて、小夜ちゃんの元へ猛ダッシュ。朝の7時前から元気だなぁ。その後ろから太一君と運転席から早苗さんが出てきて、車のトランクを開けてくれる。俺はロビーから車まで荷物を運んでいると太一君が受け取ってくれた。
「おはようございます。わざわざ迎えに来てもらってすみません」
「いいのよそんな事。すぐそばなんだし」
「ロクさんちの荷物はこれだけです?」
「うん、後は小夜ちゃんの手荷物だけだよ。あれ?課長は?」
「助手席で寝てるわよ」
「親父は朝一番って弱いからね。いつもの時間までは動かないと思うよ。何かするにしても切り替えに時間がかかるし」
 あぁ、そう言えばいつも会社に来るときは普通だけど、会社に来た時はしばらく動かないな。あれは頭を切り替えているのか。
「それじゃ、行きましょうか。加奈、行くわよ」
「はーい!小夜ちゃん隣ね!」
 3列目に加奈ちゃんと小夜ちゃん。2列目に俺と太一君。助手席に課長が口を開けて寝ている。ここから空港までは高速に乗って約1時間。最近出来たばかりの国際空港でテレビでもオープン前から連日賑やかだった。なんか滑走路を見渡せる温泉があるとかないとか。
「ねー、小夜ちゃん!夏休みだよ!どうする?どうする!?かき氷食べないと!スイカ食べないと!毎日遊ばないと!あっ!お祭りがあるよ!綿菓子食べないと!たこ焼き食べないと!チョコバナナ食べないと!あとは、花火!はなび!はなびー!ロクちゃんつれてってねー!」
 後ろではテンションが上がりきっておおはしゃぎ。お祭りは家からちょっと離れた河原で盛大な打ち上げ花火が上がる。この地区では最大と言われている程の規模で催されていて、毎年太一君と加奈ちゃんと3人で行ってるんだけど、でも確かお祭りはお盆だったはず。気が早いというか何というか。お盆を過ぎれば夏休みが半分終わるって知ってるのかなぁ。俺は後ろを振り向いて頷いていると、横から、
「でもお祭り行きたいなら宿題をやってからね。また去年みたいに明日からちゃんとやるって約束して、夏休みが終わる直前になって慌てても知らないから」
 と、太一君が釘を差す。それを聞いた加奈ちゃんがとぼけた顔をして、
「しゅくだい?何それ、おいしいの?」
 なんて言ってるし。さっきから食べる事が中心になってるよ。これだけ元気だと食べてエネルギーを補給しないといけないのかなぁ。でもまぁ、俺もお祭りは楽しみだな。屋台が並んで、花火が上がって。あの雰囲気を味わうだけでも心が躍るよね。でも、小夜ちゃんは人混みとかあの雰囲気とか嫌がるかもなぁ。
「小夜ちゃんもいこーねー!浴衣着て団扇持って!!」
「そうだね。せっかくだから一緒に行こうよ」
 加奈ちゃんや太一君に誘われて小夜ちゃんは頷いたんだけど、
「でもお祭りに行った事ない。花火も見たことない」
 って、ちょっと不安そうな顔をしてる。
「そうなんだー!すっごい楽しいよ!冷えて固まった焼きそばとか、リンゴ飴のパサパサ感とか、絶対に当たらないくじを引くドキドキとか・・・」
 指を一つずつ折ってお祭りの魅力をアピールしてるけど、加奈ちゃん、それ間違った楽しみ方だと思うよ。誰が教えたそんな事。
 その後もお祭りネタで和気あいあいと話を弾ませていると、
「おい、お前等」
 と助手席から顔だけ覗かせて不機嫌な課長。寝てたのに後ろがうるさくて起きたんだな。さてと、怒鳴り声が来る前に耳を塞がないと。
「的に重りを付けた射的を忘れんじゃねぇよ!」
 おい、加奈ちゃんに教えたのはやっぱりあんたか。
「さぁ、そんな偏屈な楽しみよりも、まずは今からの沖縄を満喫しましょう!ほら!」
 早苗さんの一言により、みんなが外を見る。海の上に浮かんだ空港と、滑走路から飛び立ったばかりのジャンボ。遠巻きだけどでけぇ!課長、いちいち窓をあけんなよ!高速なんだから風がうるせぇ!
 橋を渡り終わり、空港の駐車場へ。沖縄へのはやる気持ちを抑えつつ、車を止めて待ち合わせ場所へ向かう。課長と加奈ちゃんは抑えきれずに走って行っちゃたけど。何してんだよ、課長。俺と太一君ですべての荷物を抱え、搭乗受付前まで行くと既に全員集合していた。
 竹さん夫婦と高浜さん家族、環ちゃんと進藤さんに圭介君。おい、奴らどこ行った。
「あれ?課長と加奈ちゃんは?先に来てた筈なんですが・・・」
 竹さんに聞くと、
「なんかソフトクリームが食べたいって、どっか行ったよ」
 だから何してんだって、いい歳して。
「ところでロクちゃん、その子?」
 俺の脇に立っていた小夜ちゃんが持っていた麦わら帽子を胸の前に抱え、
「初めまして、草野小夜です。よろしくお願いします」
 丁寧にお辞儀をする。やっぱりこの子は礼儀正しい。小夜ちゃんが顔を上げると真っ先に、
「きゃー!かわいいっ!!」
 って環ちゃんが小夜ちゃんに抱きつき、小夜ちゃんが苦しそうにもがいてる。そして俺の肘を小突く人が、
「ロクちゃん。こりゃ、まっつぁんにリモコン投げられるよ」
 なんてにやけた顔をして小声で言う竹さん。意味分かんない事言わないでください。額が痛みます。
「やべぇ!10年、いや5年!」
 圭介君も訳の分からないこと口走って、そして真面目な顔をしながら俺に、
「お父さん!」
 若干斜め上から体重を乗せて、おもいっきり太股へローキック。
「ーっ!!」
 床に転がって言葉も無しに悶絶してる。ごめん、つい条件反射で。悪気はないよ、本当だよ。
「確かにベクトルが違うね。加奈ちゃんと並べばほとんどカバー出来るんじゃないか?なぁ?」
 なんて、自分の顎をなでながら奥さんに同意を求めてる高浜さん。何をカバーするの?奥さんも頷いてるし。
 しばらく騒いだ後、苦しそうにもがいていた環ちゃんの束縛から解放され、ふぅって一息ついた小夜ちゃんに進藤さんが傍に寄り、
「小夜ちゃんね。私、進藤恵美です。よろしくね」
 って、笑顔で握手を求める。小夜ちゃんが進藤さんと差し出された手と2往復ぐらいさせて、しばらく戸惑っていたけど、握手をし、
「よろしくお願いします」
 若干上目遣いに頭だけ下げる。よかったぁ、まともな人がいて。
 そんな初顔合わせが終わった頃、2人してふてくされた顔で戻ってきた課長と加奈ちゃん。
「親父、どうしたの?」
 って、太一君が聞く。聞くまでもないでしょ。
「ソフトクリーム10時からだってよ!ふざけてやがる!サービスがなってねぇんだよ!今すぐぱぱっと作りゃいいじゃねーか!なぁ?」
 同意を求められた加奈ちゃんもうんうんって頷く。いや、ふざけてんのはあんただ。どこにこんな朝の8時からソフトクリームを食べたがる奇特な人がいるんだよ。あっ、目の前に居た。2人も。
「おい、ロク!店に行って作ってこい!」
 また、無理を言いだしたよ。
「はいはい、無理ですよそんな事。諦めましょう。すぐになんでも俺に振るのを止めてください。ところで進藤さん。時間は大丈夫なの?」
 進藤さんは左腕を見て、時間を確認する。課長が何か吠えているが、高浜さんが課長を羽交い締めにして食い止めてくれているので俺は安全だ。高浜さんに感謝。でもあれは羽交い締めじゃなくてチョークスリーパー??首に入ってるよ、そのまま落としちゃって下さい。貨物として輸送しますから。
「えぇ、ちょっと早いですがそろそろ行きましょうか。はーい!みなさん!そろそろ飛行機に乗りますよ!はぐれないようにしてください!チケット配るので無くさないで下さいね!」
 ここは幼稚園か。
 今回の沖縄旅行の内容を企画したのは竹さんだが、スケジュールの管理はすべて進藤さんが行うことになってる。なんでかって?ニカイチで任せられるのは進藤さんしか居ないから。まだまともな高浜さんでも課長や竹さんのわがままに流されちゃうし、他の人は論外。そして最大の理由は、みんな進藤仕切には逆らわない。だって、怒ると本気で怖いもん。
 搭乗手続きをしてみんなでぞろぞろと歩き出す。若干1名は金属探知機で引っかかったままだが。圭介君、貴金属は控えめにね。
「見て見てロクちゃん!芸能人!!」
 動く歩道に乗って顔をうつむかせ、手で顔を隠しながらスタスタと一人先に行く加奈ちゃん。今は何も答えられません、とか言ってるし。そして、
「これで俺も世界新だああああああ!うひょー!ちょーはえええええ!!」
 動く歩道をすごい勢いで走って来た圭介君。
「あっ!こら圭介てめー!!俺より早いのは許さんっ!!」
 荷物を放り投げて追いかけ始めた課長。しかし圭介君、君がそれで遊ぶと、
「こらっ!」
 動く歩道の出口で先行していた進藤さんに首根っこを捕まれ、隅まで引きずられて正座をさせられる。
「あなたいくつなの?いい加減にしなさい!子供が真似をして怪我したらどうするのよ!返事は!?」
「はい、すみませんでし・・・ぷっ!」
「何笑ってるのよ!反省してるの!?」
 説教をしている進藤さんの後ろで、竹さんが進藤さんに見つからないようにしながら変な顔をして圭介君をからかってる。あんたらまだ沖縄行きの飛行機にも乗ってないんだけど、テンション上がり過ぎだろ。
 俺は課長が投げた荷物を拾い、みんなの後を離れて歩く。他人の振り、他人の振り。俺、知りませんよ、こんな人たち。俺の横で小夜ちゃんが強ばった表情でみんなを見てる。
「ほんと、やかましい人たちだよ」
 小夜ちゃんはみんなを見てたけど、いつもの様に俺を見上げて、
「・・・たのしいね」
 表情を変えずにそう感想を頂く。まぁ確かに見てて飽きないんだけど、小夜ちゃんも見た目から楽しそうにしたらいいと思うんだ、俺。そんなに険しい顔で言われてもね。やっぱりお気に召さなかったのかなぁ・・・。

  玄関を通り校門まで行くと黄色い傘を差した子供が一人、小雨の中で立っている。見たことのある傘だなぁなんて思って近くまで来るとその子はやっぱり小夜ちゃんだった。
「どうしたの?もしかして俺を待ってた?」
 まだ俺に気が付いていなかった小夜ちゃんに後ろから声をかける。ゆっくりとこちらを振り返り、俺をいつもの様に見上げた後、しばらく見つめて頷く。
「そっか、ありがとね。それじゃ帰ろっか」
 歩きだした俺の横を傘がぶつからない距離を保ち、一緒に歩く。
「でもかなり待ってたんじゃない?授業が終わってから時間があったでしょ?」
 スーツの男とランドセルを背負った女の子が2人、小雨の中を歩く。地面の水たまりを避けながら小夜ちゃんの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。
「図書室で時間を潰した」
 俺の質問から大分時間が経ってから返事が返ってくる。この間はいつもと変わらない、小夜ちゃんの間だ。すぐに答えが返ってくる時もあるんだけど、この間が余計に心地よさを醸し出してくれている。
「そっか。小夜ちゃんは本は読むの?」
 またしばらく経って、今度は俺を見上げて頷く。
「どんな本が好き?小説?マンガ?」
 そう言えば小夜ちゃんの部屋に本やマンガは置いてなかったな。思い出しながら歩いていると信号に捕まった。
「マンガは苦手。小説ならなんでも」
 そっか、ジャンルを問わないんだね。
「もしよかったら俺の部屋にもいくつかあるから、好きなのがあれば勝手に持っていっていいよ」
 信号が青になり、また2人で歩き出す。ちょっと歩くとまた小夜ちゃんが俺を見上げて頷く。そこでちょっと立ち止まってみると雨が止んでいた。曇り空だけど、薄く雲が赤色に染まっているな。傘を畳んで、また歩き出す。一緒に歩いていると、傘を差している時よりちょっとだけ俺の近くを歩く小夜ちゃん。
「今日もご飯が楽しみだね。今晩のメニューは何?」
 すでに献立は決まっていたみたいで、
「麻婆豆腐」
 と一言だけ返事があった。
「そっかぁ、それは楽しみだね。小夜ちゃんって料理が上手だもんねぇ。そのうち俺が食べすぎでぶくぶくに太っちゃったらごめんね」
「大丈夫。いっぱい作らないから」
 なるほどね、ちゃんと量とかも考えて作ってるんだ。相変わらず抜かりない子だ。いつ嫁に出しても恥ずかしくないよ。まだ送り出すつもりは無いけど。つっても俺が教えた訳じゃないし、もし嫁に行くのなら今度は俺がうだつの上がらない恥ずかしい父親になるな。なんて考えているとマンションに着いた。
「我が家に到着っと。さぁおいしい小夜ちゃんのご飯の為に、早く家に入らないとね」
 俺がスタスタとマンションに入っていく後ろで、
「ご飯は逃げないのに」
 って小声で突っ込みが入った気がするけど気にしなぁい。
「早く来ないと置いてっちゃうよ!」
 マンションのロビーまで先に行った俺がまだ敷地にすら入っていない小夜ちゃんを大声で呼ぶ。すると小走りにこちらに駆けてきた。こうやって見るとかわいいなぁ、もう。

 夕食も終わり、小夜ちゃんが洗い物を終えてテレビを見ていた俺のそばに来る。時計を見ると7時か。土日は休みだけど、さっさと仕事を終わらせよう。
「小夜ちゃん。俺、仕事が残ってるんだ。今日中に終わらせたいから、ちょっと部屋に籠もるね。ごめん」
 いつもならこのまま一緒にテレビを見たり、俺がゲームをやって、それを小夜ちゃんが見てて、9時とか10時ぐらいにお互いがお風呂に入って小夜ちゃんは部屋に行き、俺はリビングに居たり、部屋に居たりとそれぞれ別になる。
 俺がずっとリビングにいるから単に部屋に行き辛いだけなのかと思っていたけど、宿題は?って聞くと「もうやった」って。勉強しておいでって部屋に促しても「大丈夫」って頑なに拒まれた。強く言っても本人のやる気次第だから口を出さなかったのだが、結果は今日知っての通りだった。する必要が無かったか、俺が帰ってくるまでに済ませてるんだね。それから俺がゲームを始めた時も一緒にやろうと言ったら、見てるだけでいいって言うから最近はシミュレーションとかの変化を楽しむゲームを始めるようになった。路線のダイヤを悩んで組んでいると後ろからアドバイスをくれたりする。そんな生活が毎日続いていたのだが、今日だけは仕事がある。
「もし何かあったら部屋においで。別に邪魔しないでって事はないからさ。あと、絶対に仕事を家でしたって課長に言わないでね。怒鳴られるだけじゃ済まないからさ」
 いつもと変わらない表情で小夜ちゃんは頷く。俺がごめんねって言って部屋に入ろうとしたら小夜ちゃんはテレビを消して自分の部屋に向かう。さてと、さっさと終わらせて土日を満喫しないとな。
 部屋に戻りパソコンの前に座る。持って帰ってきたデータを読み込み、続きを作成する。本来は今日中に終わらせないといけないって仕事じゃないけど、今週の仕事量だと先行して終わらせておかないと別の仕事が入れられない。ニカイチはすでにパンク状態。そんな中で臨機応変に動けるのは俺しかいないし、仕事のスケジュールを組んでいるのは俺なので、他の人のフォローをするにしても俺に余裕が無ければ対応できない。って事で黙々とプレゼン資料を作成する。すでに制作チームから図面やデザイン資料などを上げてもらっているから、あとはプレゼン内容の構成と当日PRする内容の原稿と資料を作成する。しばらく没頭していると部屋をノックする音が。
「はーい」
 すると申し訳なさそうに小夜ちゃんが入ってくる、その手にはお盆に湯呑みを乗せて。
「お茶を入れました」
「ありがとう。ちょっと待って」
 切りの良いところまで来ていたので保存だけする。ちょうどいいし、休憩にするか。お茶を受け取って時計を見るとすでに9時だった。小夜ちゃんを見ると既にお風呂に入った後で顔が上気している。
「もうこんな時間か。いやぁ時間が経つのが早いなぁ。あっ、お茶がおいしい。さすが小夜ちゃんだね」
 俺の部屋の真ん中でお盆を抱えて突っ立ってるから座ってもらう。物珍しそうに俺の部屋を見渡す小夜ちゃん。そっか、俺の部屋に入るのは初めてか。俺がお茶をすすってしばらく楽しんでいると意を決したように聞かれる。
「お風呂はどうしますか?」
 うーん、どうしようかなぁ。このままのペースだと3、4時間ってとこだから、それから風呂に入ってって考えるとちょっと辛い。
「そうだねぇ、明日の朝に沸かし直して入るよ。今日は遅くなりそうだし」
 そうですか・・・。ってなんか残念そう。さてと、お茶も飲んだことだし、続きを始めようかな。
「お茶ありがとね」
 湯呑みを小夜ちゃんに返して、またパソコンに向き直そうとしたところで、
「あっあの!」
 って、小夜ちゃんに止められた。
「ん?なに?どうした?」
 しばらく、あの・・・とか、えっと・・・とか言い辛そうにしてる。このまま沈黙で待っていても良いんだけど、さすがに小夜ちゃんが可哀想だからイスからおりて小夜ちゃんと同じ目線に合わせて、
「どうしたの?」
 って促してみる。またしばらく言い辛そうだったけど、意を決したように。
「ここに居ていいですか?絶対に邪魔はしないので」
 って真剣な目で聞いてくる。なんだそんな事。聞くまでも無いのに。
「そんな事ぐらい全然構わないよ。ただ相手できないけどいい?」
 力一杯頷く小夜ちゃん。何を一生懸命になってるんだか。
「暇だろうから適当に本でも読んでていいよ。気に入ったものがあればいいんだけどさ。それじゃ仕事をさっさと済ませちゃうね」
 またパソコンに向かい、さっきの続きをはじめる。小夜ちゃんはしばらく俺を見ていたのだが、暇になったらしく本を読み始めた。よしっ!目標は2時間だ。それまでには何としてでも終わらせよう。どうせプレゼンをするのは課長なんだし、俺がここで頑張って原稿を作っても、どうせ原稿通りには進めてくれないんだしさ。いつも行き当たりばったりでこちらが用意した資料を全て使ってくれるような人じゃない。だけど、その場の乗りで臨機応変にPRするので、毎度毎度受けがいいんだよね。よく課長を感覚で生きている人と間違われがちだが、それは全然違う。あの人は観察力が長けている理論派で、観察された事象から一瞬にして理論展開をして攻めていくので、初対面や普通の人は直感に頼った感覚派と勘違いしやすい。親しくなれば親しくなる程、理論的思考が目立ってくるのですぐにはわかり辛いのかもしれないけど。その為、こちらとしてはどんなケースでも対応できるように資料を作成しておかなくてはならない。ニカイチのプレゼン勝率の50%は課長、45%は企画立案および製作内容、そして残りの5%で資料作成力となる。おかけで俺と竹さんはプレゼンやコンペの度に資料作成に追われる事となるのだが。
 ある程度まで完成して、後は細かな校正を入れる段階で一旦休憩を挟む事とする。ちょっとは小夜ちゃんの事も気にかけてあげないとね。時計を見ればもう11時。目標をすこし超えてしまったな。でもまぁ後30分程で終わるか。さてと、小夜ちゃんはっと後ろを振り返ると・・・。
 俺のベッドにもたれ掛かって、本を開いたまま寝息を立てている。さすがに11時は遅い時間だったか。もうちょっと早くに切り上げられればよかったな。布団をかけてあげてしばらく寝顔を見てると何か寝言を言う。何を言ったのか分からなかった。聞き取れなかったから近づいて良く見てみると・・・・・・。俺は心を鷲づかみされ、時が止まった。

 小夜ちゃんの寝顔に1粒だけつたう跡が。

 その瞬間、今日の言葉がよみがえる。
――本心では人嫌いなのではないかと疑ってしまいます――
 いや、この子は人嫌いなんかじゃない。ただ必要以上に人と接しようとしていないだけなんだ。きっと本心は人一倍寂しがり屋なんだよ。

 あの日、俺の家のドアの前に1人で立っていた時。あんな顔をする子が人嫌いな訳が無い。
 一生懸命、無理をしてコミュニケーションを取ろうとしていた子が人嫌いな訳が無い。
 毎晩、時間ぎりぎりまで俺と一緒に遊んでくれる子が人嫌いな訳が無い。
 半日、時間を潰してまで俺を学校で待っててくれる子が人嫌いな訳が無い。
 今ここで眠っている子が人嫌いな訳が無い。

 時間が解決してくれる様な代物でもない。
 きっと、この子の中で何かがある筈なんだ。
 心を閉じ込めようとする、笑顔を抑える何かが。
 俺はこの子をわかってあげられるのだろうか。
 この子に満面の笑みを与えてあげられるのだろうか。

 俺、生まれて初めて後悔した。自分の非力さと無力さを。

 気象庁からの梅雨入り宣言からはや一ヶ月。もうすぐ梅雨明け宣言があってもおかしくないのだが、外では小雨が降っており、野球部と思われる元気な少年たちが元気に校庭を走っているかけ声が聞こえる。背の低い木のイスと背の低い木の机に座り、教室を見渡す。後ろには習字が張られ、その文字は『大空』。紙からはみ出して大胆に書かれたものや、綺麗にまとまっているもの、『大』の文字だけ異常に大きく『空』の文字が追いやられているもの、全体的に右に偏っているものと様々だ。
 俺は今、教室で俺を呼びだした本人を待っている。女の子にこの時間に、この教室に来いと言われた。その女の子は華奢な子で、大人しい無口な子だ。一体、どんな話なんだろうと、期待半分、不安半分で待っている。すでに10分程、約束の時間を超えているだろうか。手持ちぶさたで、なにか時間を潰せるものを持ってくればよかったと後悔し始めた頃、教室の扉が勢いよく開き、
「いやぁ、どうもどうも、本当にすみません、草野さん」
 短髪でやっぱりジャージ姿の推定体育教師と思われる先生が入ってきた。
「教育委員会からでして、わざわざ来ていただいたのに、申し訳ありません」
 そう頭の後ろを掻きながら目の前の席に座る。
「いえ、構いませんよ。お電話はよろしいのですか?」
「ええ、ただの確認の電話です。大した用事ではありませんよ。私でなくてもよかった内容でしたから」
 そう言って、資料を開く岸本先生。
「では、早速。小夜ちゃんなんですが・・・」

 半月程前、家に帰って小夜ちゃんの晩ご飯を食べ終わって、いつもの様に俺がリビングでゲームをやってて、後ろでそれをいつもの様に見ていた小夜ちゃんがおもむろに一枚の用紙を渡してきた。内容は保護者面談のお知らせ。希望する日時に○をつけて提出するものだった。
 すべて平日の昼から夕方にかけての日時だったので、いつでもいいから夕方に○を付けて小夜ちゃんに渡した。夕方だったら課長に言って早退する事が出来るからだ。
 だが、今週はプレゼンが3件、報告書が2件と多忙を迎え、来週早々には地域開発のコンペが1件入っていた。竹さんも進藤さんも、今回は課長までもがスケジュールに追われる形となったのだが、それでも残業規制は変わらず、一日のスケジュールが下手をすると分刻みで行動しないとすべてに間に合わないぐらいパズルを組んでしまった俺の責任でもあったのだが、そんな中で抜け出すことなんて不可能に近かった。
 岸本先生も俺に気を使ってくれたのか、決まった予定は金曜日の一番最後。直前になって日付を延ばしてもらおうかと思ったのだが、どこからか課長が保護者面談の情報を仕入れおり、なんとしてでも行って来いと怒鳴り声で命令を受けた。進藤さんも竹さんも快く送り出してくれたので、少しだけ家に仕事を持ち帰るぐらいで済んだのは不幸中の幸いと言うべきか。家に持ち帰ったなんて課長が知ったら殴られるだろうな。

「・・・と言うわけで、運動面は平均より少し下なのですが、学習面ですばらしい結果を残しております。ただ、以前の学校で既に終わった内容でも無いみたいで所々基礎が抜けていると言うか、教科書の内容は網羅している様なんですけど、大事な所を教わってない感じでしたね」
「そうなんですか?」
 どうも転校してすぐに小テストがあったみたいで結果は人並だったのだが、その後の授業から巻き返しがあり、ついこの前のテストの結果は全ての教科において満点近くを叩き出したらしい。ってか、小夜ちゃんからテスト結果を聞いてなかった。むしろ、テストがあった事すら知らなかったんですが・・・。
「えぇ、私も短いながらも色々な子供を教えてきたのですが、あそこまで理解力と応用力の優れた子は初めてですね。1を教えれば10を理解してくれると言いますか、全ての生徒がそうならすごく教えがいがあるんですけどね」
 そう言って、自傷気味に笑う岸本先生。確かにスポンジの様にこちらの言いたい事を理解してくれると教える側も楽しいからね。・・・圭介君にその事を教えてあげたいよ。
「前の学校の件も気にはなるのですが、それよりもっと気になる事がありまして」
 急に真顔になって佇まいを直し、
「普段の生活、いえ別に草野さんがどうとかって話では無く、ご自宅でもそうではないかと思いますが、ちょっと人を信用していないと言いますか、必要以上に親しくならないと言いますか・・・」
 うん、心当たりはある。
「クラスの中で孤立しているって訳では無いのですが、特別に親しい友達がいる訳でも無いって感じがするんです。聞けば答えるし、それなりの反応も返ってくるんですが、何と言いますか、周りの子たちもあの容姿ですし勉強面では頼りにしている所もあるみたいで話しかけたりしてお喋りしている所を見かけても一度も本人が笑っている姿を見た事がないんですよ」
 それは親である俺でもそうですよ。一度だけ、たった一度だけ笑ってくれただけで。
「初めは転校してきたばかりで馴染めていないだけかと思ったのですが、すでに1ヶ月以上過ぎています。ほとんどの子は半月もあれば順応して、親しい友達が出来るものなんですけどね。子供たちはそう思わないと思いますが、本心では人嫌いなのではないかと疑ってしまいます」
 やっぱりそうだったか。薄々気が付いてはいたんだ。その日、学校で何があったか聞いても、勉強した内容だったり、授業の内容ばかりで、加奈ちゃん以外の友達の話題が出てこなかった。もしかするとと思っていたけど、いざ状況を聞いてしまうと軽くショックを受けるな。
「それでも、6年生の松山さんがよく小夜ちゃんを帰りなんかに呼びに来て一緒に帰っているみたいですよ」
 松山さん?えーっと、誰?あぁ加奈ちゃんか。
「そうですか、その加奈ちゃん・・・松山さんですが、実は私の上司の娘さんなんです」
 岸本先生は驚いた様子で、そうだったんですかって呟いている。一番俺が気に掛けている事を先生に聞いてみる。
「やはり家庭環境の影響が大きいのではないですか?私1人しかおりませんので、母親となる人がやっぱり必要なのかもしれません」
 今の正直な悩みを訪ねてみた。
「いえ、ほとんどの子供はそう言った家庭環境が一番影響を受けますが、今回の小夜ちゃんの場合はそのケースに当てはまらないと思いますね。どちらかと言うと、今までそうだったから、今でも変わらないという感じが見受けられます。草野さんのお宅での事情がどうであれ、あの子はあのまま、我々が考えるこうなって欲しいと言う理想に近くなることはないと思います。以前の状況がわかりませんので推測の域を出ておりませんが、学校には来ておりますし、悪化していないだけ草野さんとの生活は悪くないと言う事ではないでしょか。厳しい言い方になってしまいますが、ベストではなくベターと言った所だと思います。かといって草野さんがご結婚するとなるとまたしても状況が変わりますので、草野さんが無理をするだけ、小夜ちゃんにも無理が出てきます。まぁ、小夜ちゃんが求める方がお見えでしたらその限りではありませんが。つまりは小夜ちゃんが求めていない環境ならば変化を求めるのは非常に難しいと考えます。ある意味あの子は出来上がってますからね。・・・すみません、教師としても半人前の奴が偉そうに話をしてしまいました。ただ単純に人より慣れるのに時間がかかっていて、私は無駄な心配をしているだけで、時間が解決してくれる問題なのかもしれません。勘違いも含まれていますので聞き流して頂けると助かります」
「いえ、とんでもありません。よいお話が聞けました。私としては子供を持った事がございませんので、目から鱗ばかりが落ちてしまいます」
 いい話が聞けたな。そう言った見方はやっぱり色々な子供を見てきた人だから出来る事なんだろう。多分、この先生の言う通りなのかもしれない。あそこまで色々と物事を考えられる子が、人見知りの一言で片づけられるとは思えない。
「申し訳ございません、長々と話をしてしまいました。私からは以上ですが、何かございますか?」
「いえ、私からもありません。先生、どうかあの子をよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。草野さんの様な方が小夜ちゃんを引き取られてよかったと私は思いますよ」
「お世辞でもそう言って頂けると嬉しいですね」
「お世辞ではありませんよ。私なんかが言っても気休め程度にしかならないと思いますが」
 そう言いながら先生は席を立つ。俺も教室の出口に向かいながら、
「とんでもない。先生のような方が小夜ちゃんの担任でよかったです。私だけではジタバタと足掻くだけで状況は一向に良くならない。色々とご迷惑をおかけすると思いますが、小夜ちゃんをこれからもよろしくお願いします」
 教室の出口で深々とお辞儀をする。
「こちらこそよろしくお願いします。一緒に小夜ちゃんが素直に笑える環境を作っていきましょう」
「ええ、そうですね。それでは失礼いたします」
 そう言って教室から出て、玄関へ向かう。初めは体育教師みたいで大雑把な人かと思っていたけど、実は子供の事をしっかり見てくれるいい先生だった。最近の先生にあまり良い噂がないので安心した。やっぱり情報が1方向からしかないと偏った認識になる事を改めて実感と反省を。