さだめとはなんぞ | nekotowerのブログ 音楽大好き

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自分の頭の中にぼんやりあるから、同じことが気になって、それが目に入る、ってことでもあるんだろうな。

 

スピリチュアルな言い方すると、同じものが同じ時に引き寄られる奇跡✨みたいな感じかもしれない。

 

そういう角度で物事語ると、何か大事なものを見えなくさせてる気がするから、その「引き寄せ」や「奇跡」もさだめである、とあえて言ってみる。

 

というのは、インスタでフォローしている人のライブ配信、それから、フォローしてるブログの記事、あるYouTubeの動画で同じようなことを別々の言葉で語っていたので、その共時性がおもしろいな、って思った。

 

そのインスタライブでは、

どんな人の人生も、一つ一つの選択のちりつもの結果だといわれる。だけど選んでいるようでいて、その時のその人にとっては最適解で、完璧なんだ、と言っていた。


あの時、別の選択肢があったはず、って今になって悔んだり、悩む必要はない。

ポンコツだってクズだって、それはその時のその人にとっては完璧な選択だった。それもさだめ。

あの時別の選択をしていれば、と思うことはあまりなくて、起こってしまったことについて、嘆き悲しんだり、悩んだりはするけど、その段階が過ぎたら、起こってしまったことに対しては自分なりの最善を試してみるだけ。


だからこの話は妙に腑に落ちます。


さだめについて「宿命」と語っていた動画。
諦めることと宿命の区別がつかない問題。
考えたり、何かするのがめんどいから「諦める」

やるだけのことをやった後の果てにあらわれる「宿命」と感じられる力。

 

また、あるブログでは、東洋の占いでは個人個人に欠けているものがあり、それがお誕生日から分かることについて、書かれていた。


欠けているものは人によって違うけど、誰もが欠けているものがある。
自分の欠けているものは、ほかの誰かが持っている。
そしてその人の欠けているものは、別の誰かが持っている。
自分もどこかの誰かの欠けているものを持っている。
そんな人々が全体で完成される世界。
 

欠けてるからダメ、ポンコツだからダメ、諦めてるからダメ、
ってのではなく、そんな人たちが全体を作ってる。
ポンコツでも完璧。
そんな中に人の愚かさや醜さ、残酷さ理不尽さを感じるのだけど、それとともに、奥のほうから光が差しているのを感じることができる。


愚かでも怠惰でもいいじゃない、私はぐーたらでめんどくさがり屋だし、っていうポンコツな自分を肯定したら、明るい光が差してくる、っていうのではなく。


そうじゃなくて、さだめとはそういうもので、それだけのことなんだと。


もし嫌なことばかりで、ため息ばかりでも、目の前のことの中に楽しさや清々しさを見つけたい。


自分で意図して未来創造する!って感じの言葉をよく聞くけど、それは、人の生きる世界を構成する一面。

その意図した道を自分で作るためには、意図する自分や意志や信念とともに、さだめとでもいうべきものに導かれていると感じられることも大事。


そんなふうに生きられる人はとても素敵だなと思います。