このツイートが素敵です。
https://twitter.com/driedguitar/status/1431171853070917632?s=21
ギター練習してたら小1の娘から
— ぽんど (@driedguitar) 2021年8月27日
「パパ、ギター似合わなーい😄」って笑われた。
も、もうちょっと待って!
これから似合ってくると思う!
笑った娘さんに愛情感じる。
パパの言葉からして。
このツイート見たとき、心当たりあるなーって思ったのと、自分の反応とのギャップを感じました。
数カ月前にギターの演奏動画上げてたら、
「ギターなんて似合わないぞ」
と兄に言われてかなり凹んだんですよね。
その頃はまだ家にいた猫の具合も悪くて、気持ちが凹みがちだったこともありました。
兄とは一緒に暮らしていないので、そんな状況は知るはずもなく。
たぶん、いつものノリでツッコミ入れてただけ。
だけどその時は悲しかった。
好きで頑張っていることを茶化されて貶されたように感じて。
この前の天赦日、沙璃さんのオンラインセミナーでのワークで思い出したこと。
子供のころに兄にいつもいじられて、一挙手一投足ツッコミが入るのにウンザリ。
年齢差もあり、私もなんでも真正面から受け止めるクセがあり、うまく交わしたり、返したりが出来なかったのでした。
せいぜいイヤだ、やめて!と言う(叫ぶ)くらい。
とってもイヤだったその感じ、もっと掘り下げる。
悲しい
ほっといてほしい
ふざけんな(怒り)
もっと優しい一言がほしい
何をしたら受け入れてくれるの?
受け入れてほしい
これをぐるっと反転させると。
鏡になって自分の方へ向く。
自分自身を受け入れる
優しい一言を自分にかける
自分を大切にする
内なる神さまが求めてること。
ぼんやりしてる感じ。
まだまだ続くかなー
あともう一つ。
最初のツイートを見て気付いたこと。
兄から突っ込まれたら凹むっていうのは習慣のような反応だなって。
本当はもう止めたいんだよね。
こんなゲーム。
まだ雲が晴れたようにスッキリ!ではなくても、少しずつでOKなのです。