10年前の今日は平日だったから普通に勤務してました。
みんなでテレビで津波の様子を見ていた。
信じられない光景。
田んぼの上を走る津波の映像が記憶に刻まれています。
夜は電車が止まって帰れなくなって、職場でみんなで交代で仮眠して、朝になってから同僚と買い出しに行ったら、コンビニには卵しかなく、朝マックが辛うじてあったので、それを買って、やかんで茹で卵を作ってみんなで食べました。
昼ごろになって電車が動いたので、帰宅したら、家具は大丈夫。猫たちはちょっと心細そうだった。
東北の友人とは数年連絡が取れなくて、心配したけど、少しずつ傷跡も癒えたのか、ここ何年かはだいぶ元気になったようです。
あれから10年。
毎年この日が来るたびに、職場では半旗を掲げて時間には放送を流してみんなで黙祷をしていたのに、いつの頃からかしなくなっていた。
昨年も一昨年もその前も何もしなかった。今日は係の人が時間の前に半旗を掲げていたのを知ってたけど、気付いたら夕方になってた。
東北の友人や知人を思い出すだけの日になった。
帰宅してからTwitterで見かけたのですが、あの年の11月にノルウェーの演奏家のグループが宮城県石巻市の中学校にはるばる演奏に来てくれたそうです。
紹介されてたYouTubeで演奏を聴いたら、海の男らしい低い声のハーモニーと、マンドリンとギターの演奏がとっても沁みました。
ノルウェーの彼等は今日、この演奏旅行のことや出会った人たちを思い出してくれてるかもしれない。
震災の後、いろんなミュージシャンが東北を訪れて、演奏をしてくれたことを思い出しました。
そして、やはりこの日の歌は sayaさんの「約束」。
この歌の主人公のような人物の話がラジオで紹介されていました。
妻を亡くして何もする気がせずに絶望の日々を送った男性。あの日から何年も経って、立ち直ろうとするけど、どうしてもくじけてしまう。でも前を向いて生きていこうとする光を何年も経ってやっと見つけた…というお話しを聞きました。
この歌の歌詞
涙という川を越える橋はきっと生きること
いつの日にか またきっと会える
その日まで約束
という言葉をそのエピソードを聞いて思い浮かべました。
この日はもう一つ、スピッツのみなと。
この曲を書いた草野さんが東北の震災をイメージしたのかは知らないのですが、歌詞を聴くと、東北にある太平洋の港をイメージします。
波が日の光を受けてキラキラと輝いている。
私もちょっと弾いてみました。
草野さんのイメージとは全然違います
新型コロナが世界的に広がり、災害時のように傷つき、救いや癒しを求める人がたくさんいます。
感染防止策として、また人々の不安などに配慮して、音楽に直に触れて誰もが心置きなく楽しむことが難しいご時世になってしまいました。
今までの災害時には、災害への恐れはあっても、恐れる心を柔らかくしてくれる音楽が恐れられることはなかったけど、今回は音楽やライブを楽しむことに恐れを持つことが起きている。
今はまだすぐには難しいけど、そういった頑なな状況を超えて、心から自然に音楽に触れて楽しむ時間と空間を取り戻したいです。