ものみの塔エホバの証人の偽教理の一覧 | ものみの塔で聖書を学んだ元エホバの証人8ネコのブログ

ものみの塔で聖書を学んだ元エホバの証人8ネコのブログ

ものみの塔アンチにもエホバの証人の有様双方に忖度なく思ったことを書き綴る。別途ブログあり。アメブロは適当。

  1. 猟奇的犯罪者のみならず全ての悪人は死後復活がなく裁かれることは無い
  2. 144000人だけが天国行きでエホバの証人組織で出世したクラスだけが天的クラス
  3. 救いはものみの塔協会へ盲従することで獲得できる
  4. 不倫以外で離婚再婚、性犯罪における妊娠に対する中絶が禁じられる
  5. いわゆる罪、過ちを犯した人に対して「挨拶をかけるべきでない」反キリストのレッテルを貼る
  6. 1914年にキリストが天で臨在しものみの塔だけを通して小麦クラスを生み出す
  7. 輸血をすると神への罪
だいたいこんな感じですけど、
  1. 死後の裁きはある。ただ永遠と訳されているヘブライ語もギリシャ語も本来は「未定の有限期間」と訳す方が相応しい。
  2. 144000人と向き合っている24人の長老がいる。(全世界の国々から買い取られたと表現されるので24つの国だけではないことは明らか。よって不特定多数を示唆する象徴と捉えられる。対して144000人は霊的イスラエルつまり24人の長老から選り分けられた特別クラスで文字通りか。)
  3. 論外でカルトの特性が強い。組織に盲従するのは一種の崇拝行為と言える。
  4. 文脈からイエスは気に入らないだけで一夫多妻制度の法律に甘んじて女性を離縁しまくることを諫めており、ダビデとバテシバの事例を考えても、離縁すると相手に姦淫を犯させると言えど、バテシバは裁かれずまたナタンの例え話でバテシバが羊と喩えられることからも、本来はバテシバも姦淫に至ったことになるが罪に定められず落ち度がある方が有罪宣告を受けることを示唆している。また女性がネグレクトされることで離縁する権利がモーセの律法で規定されているゆえに、不道徳以外で理不尽な思いをする女性が離縁し再婚することは罪にならず勿論男性側にもその権利がある。バテシバの子が死亡したことからダビデの罪に対する処罰、ましてや性犯罪で妊娠した場合堕胎の処置を取ることは命を奪うことに等しいとはならないだろう。モーセの律法では流産させた場合賠償金を払うのみで許されることから、命には命をが適用されていない。よって中絶堕胎は殺人罪に相当しない。
  5. これも反キリストの範疇を広げ過ぎてただ過ちを犯し続けてしまう人にまで拡大解釈してしまっている。反キリストとは聖書と異なる思想を吹聴する教祖キャラであろう。
  6. エルサレム陥落の時期が1914年に帳尻合わせするためのこじつけ。
  7. 個人の選択による。押し付けはできない。
逆に正しいところは反三位一体でイエスをミカエルと認識していること、霊魂不滅を否定するくらいか。しかし死後無になるだけと教えるから半分間違いで、死の眠りの後に裁かれるために復活し相応の報いを得る。(初代教会の教えを継承したヘルマスの牧者では使徒たちの直弟子たちがミカエルがイエスと認識ていることが記述として残されている。)
 
それで、ものみの塔には一般教会と同様にかなりの間違いが潜んでいると言えます。これは、逆に言えば、「ものみの塔が間違ったことを教えてくるから騙されました赦してください。死んだら無と思ってたしものみの塔に傷つけられたから聖書嫌いになり沢山の罪を犯すようになりました。」と言っても神に全く通用しないことがわかる。やはりものみの塔の存在意義は内部、外部に人を偽りで縛り洗脳し、悪を犯すことを容認させることだろうか。だとすると、やはりその意味でサタンの欺きが強い組織と言えるのか。
 
現代社会においても大人は自分の言動の責任を問われる。これは当然である。殺人をした人が「誰々にしろと命令されたから」と言い訳しても言い逃れはできない。ものみの塔が偽まがいな教理を広めたからと言って反聖書主義になり罪を犯しても言い逃れできるわけではないだろう。やはり宗派とか教派関係なく人は良心的に生きたかどうか問われる日が来るのだろう。それを聖書は「裁きの日」と表現しており、「一度死んで裁きに合うことが決まっている」とパウロは表現している。つまり人は死後に神の前に立つ日が来るとストレートに表現しているゆえに、ものみの塔が言うような「死ねば一生無」ではないのだ。