身内の不幸話を理由に己の罪を正当化するアンチエホバの証人? | ものみの塔で聖書を学んだ元エホバの証人8ネコのブログ

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ものみの塔アンチにもエホバの証人の有様双方に忖度なく思ったことを書き綴る。別途ブログあり。アメブロは適当。

これもアンチjwにありがちなんですが、身内や他人の不幸話を引き合いに出して自分に注意を惹こうとする方々も結構おられます。しかも「ハルマゲドン来ないからよかったぁ」とか言い出す始末でして、このハルマゲドンをキリストの再臨における裁きと捉えるなら、結局のところ自死された身内や他人を愛するが故の発言とは言い難く寧ろ自分自身が現段階で何かキリストの再臨の裁きを拒みたがる後ろめたさがあるからこその「ハルマゲドンや再臨の裁きを否定する」心理状態になるのかなと思える節があるのです。

 

そうなるとこれは完全に自分の悪や罪を正当化するために身内や他人を引き合いに出して利用しているだけになりますので、やはりこれも安易に褒められ同情されるべき苦悩とも言い難い気もします。本当に故人を尊重するならそもそも安易に自死される身内を思いっきり晒すこともないかもしれないからです。故人<自分の保身が一番大事になってるが故の「キリストの裁きも再臨も怖い」という考え方に至るのではないかと思えるのです。

キリストの再臨と裁きがあると死者は復活しますけど、そうなるとまた亡くなった愛する人と対面する希望があるのですが、それを否定したいほど罪の快楽に囚われてしまい、最終的に愛より自分の欲望を優先する人であることを己が証明してしまうことになります。

 

エノク書が改ざんされているなら当てになりませんが、調べると4つの霊魂があり、その一つが罪人で生存中に理不尽な死に方をした場合憐れみを受けるための復活をすると説明されています。しかし、無法者が裁きを食らって改心せず死ぬ場合復活無しで一方で裁きを食らわず死ぬ場合有罪宣告を受けるために復活するとあります。生きている者すべてに悔い改めの機会を与えていると聖書は述べていますので、今こそ自分の中にある偽善をかなぐり捨てて正気に立ち返るべき時と言えるかもしれません。こうなると「早くに死んだ方が得ではないか」という意見もあるかもしれませんが、実はその通りでして聖書も千年統治まで死の眠りについている方が良いとする表現をコヘレトで使っています。かと言ってオウム真理教みたいに早い段階で罪人をポアさせる蛮行に及ぶ必要はなく、神の手に委ねて公正な裁きに期待する方が現実的です。

 

元エホバの証人たちの中でも立派な方もおられて非聖書的な習慣をしていない人がWTを批判するのはいいとは思いますが、自分自身が罪を慣わしにしながら「愛の無い組織なんだよオラオラ」とおらついても聖書中でイエスが罪を慣わしにしながら嘲ったり主の贖いを侮辱する人とずっと馴れ合いをしていた記述はありませんし使徒ペテロはそれらを避けるように述べていることから、彼らと同調しないとダメってわけではないと思います。も塔を批判する因子の働きも必要なのでそれらの憎しみや恨みに憑りつかれた方に組織批判してもらいつつ自分自身は一々呪ったりすることなくぽけーっと眺めていようと思っていますw 別に特に悪習慣が自分の生活にあるわけではありませんので、これといってキリストの裁きも再臨が恐怖に感じることは無いので、アンチjw反聖書主義の方々が「うわぁハルマゲドン来なくて良かったぁ」とか言ってるのを見ても自分がそこに同調しないといけないとは思ってなくて全然それぞれの自由でいいと思ってます。

 

皆さんものみの塔が聖書を作ったみたいに思うんですけど、宗派教派に関係なく悪い事柄を慣わしにしないことが大切であまり関係ないですよね。