アラフィフにもなると、人の死が間近にならざるを得ないからこそ | ねこもの事務職24年、母親18年、だけど、乙女心でチクッとささやき

ねこもの事務職24年、母親18年、だけど、乙女心でチクッとささやき

子宮筋腫を大きく育てすぎて、子宮全摘し、自分のこれからの健康や人生を考えるように。子育て(大学1年息子)、仕事(事務職)を交えつつ、日常について思うところを書いてます。

3年前に父が亡くなる時、死というものをことさら間近に感じたのです。









こんにちは!ねこもです。

今日もチクッっとささやきへようこそ!







今日、仕事の昼休みに入った瞬間、

私のスマホが鳴り始め、

誰から?と画面を見ると、伯母の携帯からでした。








伯母から連絡が来るのは珍しいので、

何事!?何かあった!?と電話に出ると、

伯母の息子さん、私のいとこからで、

伯母が亡くなったと言う連絡でした。








伯母は85歳。

いつ亡くなっても珍しくはない年齢ではありますが、突然の知らせに、私は少なからず動揺しました。







3年前に父が亡くなった時から、

自分の中で死が身近なものになりました。

それまで、人は亡くなるということを理解していたし、祖母や伯父、伯母が亡くなっているのですが、

父の死は、命が終わることを、まざまざと感じさせ、自分も、いつか死ぬのだと、実感させられました。







先週のドラマ「きのう何食べた?」で、主人公の1人のシロさんの学生時代の友人が亡くなる話があり、

ドラマの中で、アラフィフなると、周りの人が亡くなっていくことを目の当たりにするシロさんが描かれました。







ドラマでは、

シロさんが、自分の周りの人が亡くなっていく、亡くなっていくのを目の当たりにする年齢になったことから、

誕生日を無事に迎えられたことを祝っていこう!と生きていることに感謝する、と続きます。







死を身近に感じて、生を感じる。

アラフィフって、そんな年齢なのですね。







伯母の冥福を祈り、

今、自分が生きていることに感謝したいと思います。







今日も読んで頂きありがとうございます!