「最後かもしれないだろ?だから全部話しておきたいんだ。」
 
 
 
そんな変な小学生でしたが、2回ほど転校したため、友達ができません。
兄弟の一人が読書家であったこともあって、学校では本ばかり読んでいました。
 
難しい本を読んで、理解もしていないくせにオレって凄い、というオーラを出してたんです。
妖怪アパートの山本小夏です。このアニメを見たとき、あ、この人、オレだって思いました(笑)。
そりゃ友達できませんわ。
そのうえ、ちょっとここでは書きづらい家庭の問題もあって、まあ、簡単に言うとイジメにあっていたわけです。
廊下でいきなり蹴られたりとか、日常でした。
 
でも、それほど学校がイヤだった覚えはありません。
人を見下すことで自分の精神を保っていたような気がします。
 
本とゲームへの依存と、外出しては大人を観察するという非日常的な行動で、学校のストレスを発散させていたのかもしれません。
ちなみに、小学生のときの私の大人の印象は
「人の悪口を言う」
「恋愛についてグダグダ話す」
これだけです(笑)。喫茶店で見聞きした話のほとんどだったので。
 
中学生になっても家庭環境も学校の環境も変わらず、子供らしい遊びや青春を感じること無く成長しました。
イジメは中学生になってなくなりましたが、だからといって友達が増えるわけでも、バラ色の学校生活がスタートしたわけでもありません。
たまに父親のお店の手伝いをして小銭を稼ぎ、本やゲームを買って一人で楽しみ、ゲーセンや喫茶店に行く。
 
このようにして、どこか冷めた子供が完成したわけです。
 
勉強や生活について、親から何か言われたことはありません。というか、どこまで私の行動を把握していたか分かりません。
 
少なくとも父親は私の状況を全く知らなかったと思う。
 
そんな父親は私が22歳のときに亡くなりました。
糖尿病なのに好き勝手に食べて、お酒をたくさん飲んでいた割には長生きできたでしょうか。
 
本人も酒が飲めないくらいなら死んだ方がいい、と公言してましたし、別に酔って暴れるようなことも無かったので、誰も止めるようなことはしませんでした。
 
そんな父親ですが、最後の最後、入院して壊死した足の一部を切り落として、もう、数日もつかどうか、というときに「死にたくない」と私に言いました。
 
私はこの言葉を聞いたとき、衝撃を受けました。
 
だったら、今までの好き勝手は何だったんだと。自分の行動の結果でしょ?と。
 
別に父親と仲が悪かったとかではありません。むしろ、家族全員がそこそこ贅沢できるだけのお金を稼いで、私立の大学にも行かせてもらって、家庭を顧みはしなかったけど、尊敬している部分はありました。料理も上手だったし、私に愛情を持っていてくれたことは分かります。
 
でも、その言葉を聞いたときに、その全てが崩れた気がします。
 
最後までやり通して欲しかった。「我が生涯に一片の悔いなし」(世紀末覇者)と言って欲しかった。
 
この父の告白を公にするのはいま、ここが初めてです。
 
私は母親にも兄弟にもこの言葉を告げませんでした。
 
自分が幻滅したからでしょうか?理由は今でもよく分かりません。
 
父の弱さを初めて見て、悶々としたなか、数日後に父は亡くなりました。
 
私はものすごく泣きました。直接的にかわいがってもらった覚えはあまりないし、学校の行事に来たこともなかったけど、わんわんと泣きました。22歳にもなって(笑)。
 
そして、泣きながらも、私は絶対にこうはならない、と思いました。
自分の行動には責任を持たなければいけない。弱さを人に見せるなら、強がってはいけない。
 
ずーっとお金に困ることもなく、生活にも勉強にも困ることもなかった私が、やっと本当に自立した瞬間かもしれません。
 
私の心はたぶん冷めています。嫁さんにも時々言われます。
 
あれだけ強いと思っていた父が、最後は惨めな言葉を吐いてしまった。
つまり結局世の中に確実なものなど何もなく、人の心など簡単に変わってしまう。
 
熱量を持つだけムダ。
 
私自身の余命宣告について、悲しくもつらくもならないのは、こういう冷めた視点でしか物事を見られなくなった私の幼少期と、父の死に様という二つの原因があるのではないか、とめずらしく過去を思い出しながら分析したわけです。