私の新年の抱負はズバリ!
更に解毒して、
「気楽に楽しく生きる!」
新年明けましておめでとうございます
今年も皆さまにとってよい年になりますように
さて、本題に行きますが昨年から解毒活動をしている。
最初は毒まみれで苦しくて苦しくて仕方なかったのだが、辛い現実を直視し自分の過去や感情を掘り下げ、吐き出し、毒抜きをするうちに雪解けのようにだんだんと解毒出来ているのを感じる。
解毒する中で、『自分が変われば周りも変わる』『世間は優しい』を実感する出来事があったので、それを書こうと思う。
一つは、年末年始に誘ったら、意外と遊んでくれる親子がいて寂しくならなかったこと
私は今まで、子どもが出来たら年末年始は家族と過ごすものだとか、実家に帰省するものだという思い込みがあった。だから、誰も誘えなかった。
みんなは家族で過ごしているのに、我が家だけは夫不在でめちゃ悲しくて寂しくて孤独を感じる嫌な時期だと思っていた。
しかし、実際にママ友さんに帰省するか聞いたら、意外と帰省しない、または日帰りで帰省するから遊べるよという人もチラホラいて、遊ぶ約束をすることが出来た。
勇気を出して聞いてみて良かった。
今までは思い込みと対人恐怖のせいで、聞くこともしなかったし、出来なかった。
聞ける&誘える勇気が出たのは、自己否定と対人恐怖症のセッションを受けて克服出来た賜物だと思っている。
もう一つは、職場の方々(世間)の優しさを感じたこと
同じ事務所の方々は、普段から優しくて人間的に大人で素晴らしい方々ばかりだと感じている。
だが、特に懐の深さや温かさを実感する出来事があった。
それは、年末に子どもが体調不良でしばらくお休みをいただくことになり、申し訳なさや罪悪感を感じていた時のこと。
どうにか、年末の最終出社日の少し前に出社出来たのだが、しばらく休んでしまったこと、数日出社してまたすぐにしばらくの休みに入ることに、上記した感情や気まずさを感じていた。
どんな顔していけばいいのかわからず、行くのが嫌だなあ、みんな迷惑してるよね…などとつい考えてしまっていたが、覚悟を決めていざ出社すると、私の思いとは裏腹に、みんな温かく迎えてくれた。
元々ギリギリの人数でやっているから大変だっただろうに、それを態度に出さずにみんな温かく 「こちらは大丈夫だから気にしないで(^^)」 「病気は仕方ないよ」と言ってくれるし、「お子さん大丈夫?」と子どもの病状を心配もしてくれた。
本当に有り難い。
みんなの気持ちや態度を勝手に心配していたけれど、それってみんなを信用していなかったからってことなのかもしれないと思った。
職場のみんなは、そんな心の狭い人たちじゃない。
会社でも自分の存在に自信を持とう。
もっと周りの人や、私自身のことも信用しよう。
そう思った。
もう一つは、私が穏やかに受け答え出来るようになったら、夫とも良好な関係になってきているし、家族関係も前よりいい感じになってきていること
以前は夫は、年末になるとピリピリしていた。仕事のイライラを八つ当たりされることも多く、些細なきっかけで大喧嘩に発展してしまうから恐る恐る接するようにしていた時期である。
それが、家庭でのストレス(私との間のストレス)が激減したせいなのか、今年は例年のピリピリ感があまりない。職場でのストレスはあるようなのだが、以前の年末年始の夫とは全く違っていた。
自然と、子どもも含めて家族の仲は良くなってきている。
やはり、自分自身が変わってきているからというのが大きいと思う。
自分が世間に怯え、恐怖や不安を感じている時は、世間は怖いところだ、仮面被ってるけど実は酷い人ばかりだ、不安や心配しかない…生きるだけでリスクだらけ、生きるのが怖いというように、勝手に世間を酷くて怖いところだと思い込んでいたように思う。
だから、それに似合う現実や、それを証明するための現実を引き寄せていたのかなと思うし、人の温かさや親切や思いやりも、受け取れていなかったのかなと思う。
しかし、自分の内面が変わると、人に優しくできる、人の優しさや良さを素直に感じて受け取れるようになる。
人が怖くなくなると、人と適切に関われるようになり、いい関係も作りやすくなる。
優しさとはこうあるべきという思い込みが強かったり、自分の思い通りの優しさが貰えないと相手を悪く言う人は、相手の優しさにも気づけないし、せっかく差し伸べられた手や優しさを跳ね除けてしまうことになる。
結果一人ぼっち、孤独になるのだ。
↑我が毒親がこれ。
話が変わって、
今朝、息子が、お腹が減って食べるものを催促する時に、「お腹ぱんぱんだから食べた〜い!」と言った。
さりげなく「お腹ペコペコたから食べたいねぇ」と間違いを修正したら、「お腹ピコピコだから食べた〜い!」とな♡
新年もかわいい息子くんにホッコリでした