先週、木下杢太郎記念館に行ったことを
ちょこっと書いて…それきりでした
あらためて、と言っておきながら
またしても旅日記は先送りで
今日は、杢太郎先生のエッセイと ”鳥の巣” のことを
この本 にも入っている「僻郡記」に
こんな箇所 があります。
この作品は、杢太郎先生が…というより太田医師が
昭和10年、赤十字社による宮城県の巡回診療に
参加したときの記録です。
先生はこの年1月仙台市に転居、それから約3ヶ月間
タイトルからも推し測れるように、僻地の郡部に赴き
診療や薬の処方をする一団に加わりました。
(実はその前に、東北帝国大学附属医院院長として
研究調査にもかかわっていらしたのですが)
作品には、医療の面だけでなく文学の面での記述も
多くあって、杢太郎先生が心惹かれていたものが
細かく伝わってきます。
農村の生活ぶり(それは困窮ぶりとも言えます)を
長塚節の『土』を引用して描いたり
文学仲間の作品の数々を紹介したり。
それぞれの土地の人たちとの交流のようすも
描かれていますが、その中に、診療会場の小学校で
「鶯の巣」を見せられたエピソードがあります。
その描写がp.41の2行目から書かれているのです。
で、早速
この本 を出して来ましたヨ
鳥の巣博士、鈴木まもる先生の力作
ウグイスさんはこのページ
ページのご紹介は
まもる先生のお許しを頂いております
そのお許しを頂くためにメールをお送りすると
杢太郎先生の記述をお読みになって
まもる先生曰く
「これは鶯さんではなく、エナガちゃん」と
ウグイスさんのさえずりはお馴染みでも
その巣は、というよりそもそも鳥の巣を
ほとんど見たことがないはず…だから
鳥の巣といえば聞いたことのあるウグイスのものと
思い込んで、それがずっと伝わってしまったのでは
・・・よくあること。
というのがまもる先生のご説明。
で、エナガさんのページを見ると
おぉぉ、納得
杢太郎先生の記述
「其表面に地衣(ちい)の小片を着せてある」の
「地衣」を当初調べた時「菌類と藻類の複合体」
とあって、ざっくりコケのようなものかなぁと
勝手に解釈していました。
まもる先生のご本には、ウグイスさんの巣にコケが
付いているという説明はなく、あれ? とは
思ったのですが、それよりも
寒冷地仕様の「羽入り」が目に入ったものだから
「やや大きな鳥の毛がはみ出して居る」
と一致するじゃん
という何とも単純な思い込み
せっかくの『鳥の巣事典(?)』を
しっかり読んでいなかった証拠だなぁ
まもる先生、スミマセン
そして、ありがとうございます
「僻郡記」にひときわ感じるのは
地方農村の貧しさへの憂い
そこに暮らす人々が示す明るさへの誠意
若い頃から傾け続けている文学・絵画への情熱
(このとき、杢太郎先生50歳)
・・・というようなまとめ方をお許し頂けるか
分かりませんが・・・
ご自身の信条を具体的なことばで強く訴える
という形ではなく、取り上げる事柄そのものに
思いを託す姿勢をとられたように感じます。
(戦時下のためでもあるでしょうが)
それは、絶筆となった
『百花譜』の「やまゆり」昭和20年7月7日
に書き込まれた「運勢たどたどし」もそう。
ご自身の運勢について、とも
日本の運勢を憂えているとも取れます。
「すかんぽ」で
思い出として、大切な人々に細かく言及し
また、くどいほど可食植物の名を連ねたのも
そこに込めた思いはいかばかりか。
まだまだ入り口にしか立っていませんが
杢太郎作品をしっかり読んで行きたいと
思っています。
伊東は最近とんでもないことで名を馳せてしまって
とっても残念
杢太郎先生の故郷として
もっともっと知られたいものです
当初はそんなことを書く予定でしたが
思いがけず、鳥の巣の勉強も出来て良かった。
拙い文章ゆえ
杢太郎先生の良さをちゃんと伝えられないのが
なんとももどかしい
皆さま、是非読んでみてください。
青空文庫は
オリジナルの旧仮名遣いのものがほとんどですが
(追記:旧仮名遣いの文章も趣があって
私は好きです )
最初に紹介した文庫本や
こちら は新仮名遣いになっています。