先に触れた「【YOSHIKIインタビュー】クラシックというルーツ、ロックとの出会い「自分の中には両方とも必要」」(「ORICONニュース」2016年11月4日)から、「妥協」についての箇所を貼ります。

(この言葉に関しては、「すみれ組幻想⑧」でも書きました)

 

――アルバムとして発表するまでに、乗り越えなければならない一番高いハードルは?

 

YOSHIKI  レコーディング! 要するに、僕の頭の中では完璧なイメージができているわけです。こんな響きで、こんな和音でっていうのが頭の中で鳴ってるんですけど、いざレコーディングになると、そのイメージに近づけない。レコーディングは、基本的には妥協の作業ですね。たまにイメージを超えることもありますけど、ほぼ妥協(苦笑)。だから、悲しいんです、毎回。こんなはずじゃなかった、って。

 

 

「X JAPAN WORLD TOUR 2017 WE ARE X Acoustic Special」(奇跡の夜)パンフレットで、Toshlさんは下記のように言っていました(インタビュアーは烏丸哲也氏)。

 

──映画でも語られていない伝説がポロポロでてくるなあ。そもそも『Jealousy』のボーカルコンディションは万全ではなかったんですね?

(引用者注・YOSHIKIさんの頸椎症によって日程が押したこともあり、Toshlさんは喉の手術が必要な状態でレコーディングに取り組まざるを得ませんでした)

 

Toshl:そうです。最後は「Say Anything」を録ったんですけど、3日ほど徹夜でずーっと歌い続けたんですけど終わらなくて、『ミュージックステーション』の生放送があるということで、ロサンゼルスのスタジオを出て飛行機に乗りそのまま日本に帰ってTVに出演し、その足でスタジオに入りさらに3日くらい徹夜で歌い続けました。過酷なレコーディングでしたね(笑)。

 

──『Jealousy』は名盤だけど、実は満足な出来ではなかった?

 

Toshl:YOSHIKIとしては「妥協したもの」です。締め切りが決まっていて、僕はYOSHIKIの望むパフォーマンスができなかった。声の調子もあるし、僕の実力不足もあって。僕はもう「声が潰れてもいいから、このレコーディングを終わらせなくてはいけない」ということで、あらゆる手を尽くして歌ったわけです。ドクターのところでは声帯の炎症を抑える注射を打ってもらい、「ラム酒で声帯が広がる」と聞けば、ラム酒を呑み、うがいをしながら歌うという。もう寝ていませんから、精神的にも肉体的にもわけわかんない状況で(笑)。最終的にはもう喉からも鼻からも血が飛び出してきましたよ(笑)。

 

──ひどい。

 

Toshl:そんな過酷なレコーディングが終わったら、そのまますぐ手術。術後はすぐに強行リハビリを行って1ヶ月後にはツアーのぶっつけ本番ですよ。


いつもの明るい調子で語っていたようですが、実際はまったく笑い事ではなかったでしょうし、また同じレコーディングをしたいかと問われれば絶対に拒否したでしょう。

 

2016年8月18日の東京ドームホテルDCでも、ToshlさんはSay Anythingについて語っていました。

 

●喉から血を吐くほどの過酷なレコーディングだったけれど、納得がいく歌が歌えなかった。

●YOSHIKIも辛かったかもしれないが妥協した。

●もう妥協したくないということで、今でもレコーディングは続いている。

●Say Anythingのレコーディングで妥協したせいで、未だに毎日のように歌っている。

●自分の力不足で、YOSHIKIの求める領域までなかなか達しないので、時間がかかってしまうことがある。

●最高に素晴らしい、JAPANを代表するアルバムを作っているので、是非期待してほしい。

 

奇跡の夜パンフレットでは、『Jealousy』について「YOSHIKIとしては「妥協したもの」です。締め切りが決まっていて、僕はYOSHIKIの望むパフォーマンスができなかった。声の調子もあるし、僕の実力不足もあって」と語っていましたが、ここでも自分の力不足のせいでYOSHIKIさんに妥協させてしまったという発言がありますね。

 

納得がいく歌が歌えなかったと言っても、Toshlさんが自主的にこだわった訳ではなく、あくまでもYOSHIKIさんの要求に応えられなかったという意味でしょう。

どこまで本心かはともかく、自分を責める言葉を口にするのは、YOSHIKIさんに「妥協した」と言われ続けたことが大きそうです。

 

『ART OF LIFE YOSHIKI+市川哲史』(1992年)では、YOSHIKIさんは

 

「そして最後の「Say Anything」のボーカル録りに納得できぬまま帰国。今更アルバム収録を見合わせることも許されず、結局、不満足な出来のテイクに泣く泣くOKを出さざるを得なかったという、悲惨な経緯があって・・・・。」

と言う市川哲史氏に対して、

 

「(笑)もうっ、あの屈辱感を思い出しちゃったじゃない!」
と返しています。

 

また、「例えば作品で出来た時点では100%の満足度なわけじゃないの?」という質問に対しては、

 

「100%ありますよ、それは譜面になった時点ですね。で、レコーディングしてレコーディング終わって音になる時点では、50%ぐらいのとこにさがっちゃってますよ」

「俺はこんな音が欲しかったんじゃない」みたいな、「俺はもっとこうなんだ」みたいな風に思ってるんだけど、表現できない部分がたまにあって、それでどんどん消えていくんですよね。

「最後は「しょうがねぇ、これは今の俺の記録だ」と「生き恥さらそう」みたいな」
と返答しています。

 

自分一人で作り上げた訳でもないのに、「これは今の俺の記録だ」「生き恥さらそう」とは、他のメンバーの苦労を考慮しているように見えませんね。

冒頭に引用したORICONニュースのインタビューからして、レコーディング作業による落胆は、今も大きく変わっていないのでしょう。

 

頭の中のイメージを完璧に再現できる人など、まずいません。

YOSHIKIさんが理想としているイメージは、どれだけ具体的で実現可能なものなのでしょうか。

抽象的なイメージを他人が完全に理解して再現するのは至難の業ですし、それでも求めるならすべて自分でやるべきですね。

 

YOSHIKIさんが言う妥協にはエディットも含まれているのかもしれませんが、ボーカルが完璧な理想形であれば、編集する必要もなくなる訳で、やはりToshlさんのことが大きいのでしょう。

 

少なくともToshlさんは、謙遜もあるかもしれませんが、自分の責任を口にしています。

かつてのToshlさんが、YOSHIKIさんの理想に応えられないことでどれだけ苦しめられたか、YOSHIKIさんが知らないはずはないでしょう。

『奇跡の夜』のパンフレットはYOSHIKIさんも読んだはずですが、その後も「妥協」という言葉を使い続けています。

 

すみれチャンネル(2017年9月8日)では、下記のように言っていました。

 

『DAHLIA』の時って妥協だらけだったから、頭の中で。

嫌だったの後半は、『DAHLIA』は。

結局アメリカとか色んな日本語とかになっちゃったり。今回は妥協しないでここまできたから」

 

私は「JASRACに登録されているX JAPAN feat. HYDE(Red Swan)」で、こう書きました。

 

かつてYOSHIKIさんは、X JAPANが世界進出できなかった理由をToshlさんの発音のせいにしました。

 

(YOSHIKIさんを含むメンバーの実力や当時のアメリカの音楽シーンなどからして、そもそも無謀な挑戦であったことは明白です。

YOSHIKIさんも『weekly oricon No.14 1142』(2002年4月15日)で、「ボーカルの英語の発音の問題」の他に、「ニルヴァーナとかのシアトル系が注目されてる頃だったので、”今X出しても売れないな”という判断の下に」海外盤のアルバムを出さなかったと語っています。」

 

「『DAHLIA』が日本語曲ばかりになったのはToshlのせい」というYOSHIKIさんのスタンスは今も変わっていないでしょうし、Toshlさんも多くの人から散々言われてきたことでしょう。
 

Toshlさんこそ嫌になったでは済まされないレコーディングだったでしょうに、目の前でこんなことが言えてしまうんだなと、視聴していた私はYOSHIKIさんにやや呆れました。

 

同時に、「よく表に出ていることだけで判断するなとYOSHIKIさんを庇う人がいるけれど、表に出ていないところではこれくらいの発言は日常茶飯事か、もっと酷いんじゃないのか?」とも。
 

「洗脳の専門家」についてはYOSHIKI CHANNEL(2017年1月25日)やバラエティー番組(12月4日)で明かしていましたが。

後者の洗脳いじり記事はYOSHIKI mobileでも紹介。

 

「もしX JAPANが再結成してなかったら、僕は首を2回切ってない。再三言うと彼も黙っちゃいましたけど」(6月20日)もありましたね。

その後の「痛みは伴ってますが後悔はしてない」等は6月9日のYOSHIKI CHANNELでは言っていなかったので、Toshlさんには伝えていないと見られます。

 

言葉だけでなく、待遇面でも言えることですね。

過去も現在もYOSHIKIさんのこうした言動は、氷山の一角なのでしょう。

 

なお、YOSHIKIさんの「誰に何と言われても妥協したくない」は名言となっているようです。

 

「yoshikitty 名言お守りストラップ 2017」(あすなろ舎)

https://gotochikitty.com/pressrelease/release_yoshikitty_omamori2017

 

「「妥協したくない」「誰になんと言われても。」」

 

【「妥協したくない」。YOSHIKI、鬼のドラミングで撮影スタッフを圧倒!】
「 M-ON! MUSIC」(2020年4月14日)

 

Toshlさんは、悔いを残さないようにとことんやればいいと言って、YOSHIKIさんにアルバムを強硬に催促することはなかったようです。

YOSHIKIさんへの思いやりもあったかもしれませんが、幾ら言っても無駄だと分かっていたからでしょう。

 

更には、自分が散々苦労させられた作品について、「妥協した」としつこく言い触らされたり、恨み言を口にされたりするのが嫌だったからではないでしょうか。

他の人なら「そんなに言うならとことんやってろ」と突き放してもおかしくありませんね。

 

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なお、YOSHIKIさんはアルバム延期の花占い(2017年4月1日)後のYOSHIKI CHANNELで、言い訳だと思われるんだろうけど、と前置きした上で、「なぜ1年に一回、2年に一回、アルバムを出せるの?芸術ってそんな簡単に作れるの?」と言っていました。

 

芸術家=寡作ではありませんし、作品の質が費やした時間に比例するとは限らないのは、言うまでもないことです。

(「芸術だろうが何だろうが他のメンバーのためにも出したらどうなんだ」という突っ込みを入れつつ)

 

以前、ストーリーブランディングという言葉を用いましたが、YOSHIKIさんのレコーディングにも当てはまりますね。
 

確かにYOSHIKIさんは理想が高く、こだわりがあるのでしょうけれど、妥協しない芸術家というストーリーを強調することで、自分や作品の価値を高めようとしているのではないでしょうか。

 

YOSHIKIさんは依頼された仕事に関しては、X JAPANやViolet UKほどこだわらないようです。

期日を破っても最終的には完成させています。

(めざましテレビのジングルはどうなったのか不明ですが)

 

ToshlさんやViolet UKのボーカルたちと違って、外部の歌手は完璧な歌唱力を持っているから、という訳ではないでしょう。

つまりYOSHIKIさんのこだわりとは、場合によっては完璧ではなくても作品を発表できる程度のこだわりなのですね。

 

長期レコーディングについては、「YOSHIKIはToshlの声が好きだから」「X JAPANが大事だから」だと擁護する向きがあります。
 

しかし、他の芸能人には事務所やレコード会社が付いていますし、YOSHIKIさんの好きにはできません。

それに対して、Toshlさんならかなりの面でYOSHIKIさんの自由にできたでしょう。

逆にToshlさんが外部の人なら、YOSHIKIさんもすぐに音源を出したのかもしれませんね。

 

そして、Toshlさんに本来より高いキーで歌わせることが通常運転だったのも、Toshlさんを自由にできたことと関係しているでしょう。

(外部提供曲もハイトーンが多いですが、外部の歌手はいつもYOSHIKIさん曲ばかり歌う訳ではないので、負担は比較になりません)

 

YOSHIKIさんは少し苦しいくらいのキーがいいと言いますが、本当にそうなのでしょうか。

YOSHIKIさんの個人的な好みを押し付けているのではないかという疑問があります。

 

YOSHIKI信者的な方が言う「YOSHIKIの世界観」とはどのようなものか、はっきりとは分かりませんが。
 

何年か前、ある方は「YOSHIKIの世界観を表現するためには苦しみが大事なんだから、キー下げは絶対に駄目だ」的なことを書かれていました。

(その方は、YOSHIKIさんが若い頃のようにドラムを叩けないことは許していたのでしょうけれど)

 

しかし、年を重ねてキーが下がれば、原キーではなくても楽ではありません。

何より実際に苦しいキーで歌わなくても、苦しみは表現できるはずです。
 

ボーカルにかなりの負担をかけなければ苦しみを表現できないというなら、曲自体にも問題があると言えるでしょう。

苦しい世界を表現するために苦しいキーで歌わせることが必須なら、ボーカルに依存しすぎですね。

 

更に、YOSHIKIさんは現在のキーに合った新曲をコンスタントに発表することをしないので、Toshlさんはいつまでも昔の曲を歌わなければなりません。

(新曲でもToshlさんに配慮したキー設定をするかは疑わしいですが)

 

YOSHIKIさんがドラムを叩けない関係でバラードが増えたのも、Toshlさんの負担を増やすことになったのではないでしょうか。

バラードでは高音を一瞬だけではなく、綺麗に長い間発声し続けなければいけません。

それでキーを下げれば非難されるのは理不尽ですね。

 

そして、YOSHIKIさんの完璧主義とは、他人であるボーカルにリスクを負わせてまで達成しなければならないものなのでしょうか。

だとしたら完璧主義というよりも、理想を形にする能力が足りないことを認めたくないがゆえに、他者にしわ寄せを押し付けていると言えます。

 

Toshlさんの声を一番良く引き出すのはYOSHIKIさんだという評価は多いです。

高音の魅力や声量をうまく使っているのは確かでしょう。
 

しかし、他の作曲家なら遠慮するくらい負担を背負わせている結果、という背景は無視できません。

あのMASAYAの曲でも、高音の『EARTH IN THE DARK』は名曲だと褒められることが多いですね。

 

芸術を免罪符にしたパワハラ、モラハラ、セクハラ等はかつてより問題視されるようになっており、私がX JAPANに関心を持つようになった理由の一つです。

 

【『シャイニング』スタンリー・キューブリックの撮影現場が予想以上に過酷】

「フロントロウ」(2021年2月16日)

 

 

※YOSHIKIさんがスタンリー・キューブリック監督並みの芸術家という意味ではありません。

 

【蜷川幸雄氏の指導方法はパワハラである】

「労働法・労働トラブルあれこれ」(2016年5月18日)

 

 

芸術家とされる人が自己中心的な行動を取ると、「そういう人だから芸術を生み出せるんだ」と擁護されがちです。

しかし、自己中心的でなければ芸術家ではいられないのではなく、芸術家とされる人だから自己中心的でも許されてしまうということなのでしょう。

 

YOSHIKIさんは「【彼らの心が折れない理由】ミュージシャン・YOSHIKI(4)」(小松成美「産経新聞」2011年8月28日)で、「僕は完璧を求めるためにToshiに過酷なレコーディングを強いていました。まるで彼をマシンのように扱った」と言っていました。
 

ですが、「俺の前で喋るな」は完璧主義でも何でもない、ただの八つ当たりのようなものですね。

 

制作過程に問題があったとしても、ToshlさんとYOSHIKIさんによって作られた作品を全否定はしません。

しかし、作品が素晴らしいのだから、頑張ったToshlさんに失礼だから、ToshlさんはYOSHIKIさんを厳しく批判していないのだから……などといった理由で問題に目を瞑るなら、共犯関係を結ぶことになります。

 

虐待やハラスメントにおいては、加害者が「自分は被害者だ」と言い立て、被害者が自分を加害者であるかのように責めてしまうケースが目立ちます。

そして、誰かを被害者と見なすことは失礼でも何でもありません。

 

X JAPAN脱退後のToshlさんがYOSHIKIさんを悪く言わなかったのは、美談というよりもメンタルヘルスの観点で見る必要がありそうです。