こんばんは〜鬼滅狂いの美と意識、池田千夏です。
今日は"自分軸の善逸と、他人軸の獪岳"です。
善逸は、こう言ってました。「俺は自分が信じたいと思う人を、いつも信じた」
これは最強で"相手関係なく自分の心のままに生きてる"ということは、すごい楽なんですよ。
善逸は、よく泣いたり弱音を吐いたりするけども、我慢したり抑えたりするよりは、とてもパワフルで清々しさがある。
善逸は気持ちいい生き方。途中で「そんな自分が嫌だった」って言ってるけど、でも、ずっと抑圧してる人よりは、はるかに清々しいんじゃないかなと思いました。
一方、獪岳はですね「俺を正しく評価し認めるものは善、低く評価し認めないものは悪」と言います。
これ自分じゃなくて、自分のそばにいる人の評価を気にしてるので、実はすごいしんどくて、拗ねて、こじれて、挙句の果てに被害妄想してね。
妄想で自ら自分が苦しむっていう。
死の間際に「畜生、畜生、やっぱりあのじじい贔屓しやがったな。お前にだけ教えて俺に教えてなかった」って、これは真実ではなく、善逸が自ら編み出した技で殺されるシーンなんですけど、自分の妄想でのたうちまわるっていう。
獪岳は生き苦しかっただろうな〜って思ったから死ねて良かったのかもしれない。
ずっと鬼のまま生きてても苦しかったかもしれない。
善逸が獪岳の事を言ってます「どんなときもあんたからは不満の音がしてた。心の中の幸せを入れる箱に穴が開いているんだ。どんどん幸せが零れていく。その穴に早く気づいて塞がなきゃ満たされることはない」
(自覚してても無自覚でも)不満が好きな人もいるし、不満を選んでる人もいるので自由だと思うけれど、あなたはどっちがいいですか?というお話でした。