朝から暗く、そして、すっごく真面目な話になります。
わたしは、死刑廃止論者だが、死刑という制度があるからには、死刑判決も出さざるえない場合もある。
そう学んできたし、若かりし日は、検察官を目指してひたすら旧司法試験の勉強をしながらバイト掛け持ちとかをしてきた。
一応、司法試験のデジタル化でリベンジしようという計画はあるが、年齢的に判事や検事に任官する可能性は低い(仮にデジタル化した年に合格して司法修習行ったとしても裁判長席に座る頃には退官する年齢だろうし)
まぁ実際、実務法学を勉強する場合は、裁判官的な視点が大事になるのだが(まぁ自分だったらどんな判決を出すか想定してそれに対して検察官や弁護士は少しでも自分側に有利になるように活動するわけだから)
さて、わたしは、物心ついた頃から今に至るまでずっと死刑廃止論者だし、自分が、検察官や裁判官だったら? と常に事件を客観的にみてきたのだが、これは、検察官であれば、死刑を求刑するし、裁判官であれば、死刑判決を出さねばならないであろう事件をたまたま、ニュースで見て心中は複雑であったりする。
すすきの事件
性的な被害の報復として家族3人が殺人事件を起こしたと言う事件だ。
殺害されたのはトランスジェンダーを装っていた人物?
性的加害を行った?
わたしの目から見て、性的被害を受けた事に同情の余地が、微塵もないわけではないが
犯行は計画的であり
尚且つ精神科医である主犯者の父は犯行後に、被害者の頭部を弄ぶ自分の娘である主犯を撮影している。
これは、自らが責任能力がないように偽装したようにしか思えない。
実際、犯人3人の精神鑑定にかなりの時間がかかったようだが・・・・・・
1番の問題点はいくら、被害にあったとはいえ、私的制裁をしたことであるのだが、多くのメディアはその1番大事な論点は報じていない。
私的制裁は、何故やってはならないのか?
そして、検察官は被害者に変わって犯罪者を『成敗』してくれる『ヒーロー』ではない事をしっかりと受け止めなければならないのではないだろうか?
被害者が、制裁をすれば、それは、中立性がなくなるし、実際、被害者が、加害者を裁くために弁護士を雇うような仕組みにしたら、金持ちを殺せば死刑、貧乏人を殺せば有期懲役くらいの差が生まれてしまうのを防ぐために検察官がいるわけであるのだが
刑事裁判について、中学や高校の公民で習っているはずなのに、その大事なことを忘れ去らないで欲しいと思う。
何故、起訴独占権という強い権力を検察官に与えたのでしょうか?
そして、公平、迅速、公開の法廷
罪刑法定主義と適正手続の保障
今の日本の刑事司法について言いたいことは山ほどありますが
特にこの『適正手続』を無視した私刑を裁判所が厳格に裁かなければ、法秩序を保つことが、困難になるとしか言いようがない、私的制裁を許すような社会や国家になっては、近代立憲主義国家ではなくなってしまう危険性を強く感じる。