もんもう | 炙亀板の亀ブログ

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亀のまいにち

もんもう、と入力して文盲とは出てこない。

今では死語になっているのだろうか。

 

学校が休校になっている昨今、新しい学び方にチャレンジする機会となっている。

しかし、世界中でそれを効果的にはたらかせるにはまだまだ遠い。

今までの対面式の授業から、ハイテク技術を使った学びへとシフトするのは

いいことだと思うけれど、学びの場に集まることが知識を手に入れるだけではないことを

改めて知る機会になっているならいいんだが、ハイテク技術を使うことが

素晴らしい教育‼みたいに礼賛する人たちには同意できない。

 

と、いう今回の教育についてはまた改めて書くけれど、

世界中の子供たち、まあ大人も入れてもいいと思うのだけれど、

学びの機会は平等であることを願わずにいられない。

 

日本では、一応義務教育がしっかりしていて、理由があって学校に行かない、

或いは行けない子供たちはいるにしても、教育の機会は等しく与えられている。

他の外国では、その機会がないことがあり、ある程度の年齢まで文字を知らない人、

自分の名前の書けない人もいたりするのである。

 

文字を知らないというのは生きるために必要な情報を手にできないことでもある。

本を読もうにも何が書いてあるかわからないわけで。

さっき、義務教育の話を別のところで書いていて、ふと上海時代の主婦の友達を思い出した。

日本人、というか、大陸に住んでいる外国人の奥方は大体アイさんと呼ばれるお手伝いんさんを雇っていて、

買い物や洗濯などの家事をやってもらうことが多かった。

言葉がわからない場所での生活のスタートにはアイさんの存在は大きいのだが、

これが結構トラブルのもとでもあったりする。これもまたどこかで書こうじゃないの。

 

文字が読めないトラブルをちょっと書いてみると、アイさんたちは大体田舎から出稼ぎに来ているので、

教育を受けていないことが多い。学校に行きたくてもいけないまま大人になった人たちもいる。

主婦仲間のところで雇われていたアイさんはまさに「文盲」、文字が読めないことで

この主婦仲間が驚くようなことをいろいろやってくれたらしい。

 

例えば、食器を洗うための洗剤を買いに行かせたら、床の掃除をする洗剤を買ってきたり、

洗濯洗剤を頼んだら違うものを買ってきて、それを使って大変なことになって、というのを時々聞かされた。

「契約する時には、まさか、字が読めないとは思わないよねえ」。

まあ確かに。エージェントが契約書にサインするわけだからなあ。

 

われわれ日本人は、大陸の人たちが皆漢字を駆使してコミュニケーションしていると思いがちだが、

それができない人たちもいる。

病院にいた頃、患者さんにアンケートを取ることになって、「学歴」の箇所、

いろいろな選択肢の最後に「無」と書かれていてたまげたことがある。無??

 

というわけで、長くなったけど、基礎教育は大事。

漢字が書けないことやへんちくりんな言葉を使うことでテレビに出ている芸能人もいるけれど。

 

大人になってから困るからな。

 

ぢゃ。