身も心もゆだねる | ゆきまるピロートレーニング てるよの毎日ありがとう!



こんにちは!

しばらくブログを書いていないと思ったら、
はや四月が目の前なのでした。

相変わらず、容赦なく来る大波小波に漂いながら、

(立ち向かわないのが私流)


しくしくと胃の痛む冬場を乗り越え、
 

桜が咲こうという今、
ついに!ついに!
復調の兆しが見えてきました。



今まで、あれほど人様には
自己肯定力アップをうたいながら、
自分のこととなると・・・という日々。

それが、
あることをきっかけにすーっと消えました。

あることとは何だ!
それは何っ???



とある方面の調査によると、私は「耳の人」だそうです。

耳から入ってきたものに、一番心が左右される。
だから、きれいな音や、音楽が好きだし、騒がしい雑音は好みません。

その耳に、ある日ある方から、

「親は捨てるもの。子も捨てるもの。」

という、びっくりするような音が入ってきました。

「捨てる」
親を捨てていいのか。。というか、でないといつまでも自立はできないと。



何もかも捨てて、

大きな大地に、大きな海原に、
この身を投げ出す、
おまえ自身を捨てろ!

そう言われたような気がしました。


そこで、「はっ」と、思ったら、

心の中で「パキッ」という音がして、

胸がほんの少しですが、開いた気がしたのです。

いいんだ、それでいいんだ、

すべてが肯定されたような、
驚きとともに、

ゆらがない自分の柱が、すっと立ったようでした。



『行き行きて倒れ伏すとも萩の原』(河合曾良)

どこまでも行って、たとえ道の途中で倒れても、そこが萩咲く野原であれば悔いはない



芭蕉の弟子、奥の細道にも同行した河合曾良作の俳句です。

和歌のほうが好きなんですけどねえ、なぜかこの句が大好きで、
こういう生き方がしてみたいと、心のどこかで思っているのでしょう。

良いも悪いもない
大きなものに、
ふわーっと真後ろから倒れて受け止めてもらう

それができるか!

大きな問いです。

しかしそれで胸が開いた、ということは
その方向へ身も心も動いたということではないかと。


いつだって、それでいいんだ。
迷わなくていいんだ。

私の身体は倒れても大地が支えてくれるのだから。


さてさて、3月用向きがあって宇治を訪ねました。

そこですっかり宇治茶の魅力にはまり、
またあの宇治茶パフェが食べたいと調べましたが、

なんと、東京方面に出店なし。
ががーん!

また食べに行こうか。

気軽にハンドバック一つで、ひゅるーと行って、

パフェだけ食べて、ひゃらーっと帰ってこようと思います。

(いつかね)

ではでは皆様も素敵な春をお楽しみになりますように🌸