2023年3月 春の旅⑥〜大阪の街を歩く | 猫林ヤスオ

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王様の耳は猫の耳




4月も終わりです。
強い風が吹いたり、暖かであったり。
桜もチューリップもツツジも藤も早咲きです。
たけのこは、例年通りかな。
前回ブログ、3月春の関西旅の続きです。


大和路線うぐいす201系を乗りテツして

天王寺駅から大阪環状線 玉造駅で下車しました。

駅直結の103系の建物を見てから

玉造日乃出通商店街へ行きました。


真ん中辺りから商店街入り口へ行きますと、

ん?

暗くて見づらいのですが、

右上に「↑ピザ煙突」の表示があります。

何だ?

アーケードの商店街に入ります。

ピザ屋さんがありますね。

あっ! これだ。

ピザ煙突は、お店のピザ窯からの煙突だったんですね。

煙が出ている時に

火事だと間違えられないように表示しているのかな?

謎です。

粉もの屋さん。

たこ焼き安いね。

4個からで120円、1個30円。

おっ、回転焼きと書いて売ってる。

鶴橋でも見たな、廻転焼き。

ここは大阪。

大判焼き、今川焼きと言いませんの。

廻転焼きという響きがいい。

良さげな昭和の洋食喫茶店があります。

店で焼いたパンも売っている

トロイカ&リビエラ。

リビエラちゃんが お店のイメージキャラクター。


30年以上前に大阪市などに何店舗もあった喫茶店。

オーナーが食品部門をやめて

こちらの店主さんが、

32年前に独立して玉造の店を引き継いだそう。


右にトロイカ&リビエラの看板、

左側にイタリア料理ズッカズッカの看板。

以前はビルの3階でパンを焼いていました。

2階にイタリア料理の店舗があったのかな。



商店街を抜けて

地下鉄玉造駅への地下道に潜りますと、

玉造の地名由来が記されてました。

昔、勾玉を作る人が 

この地域に住んでいたんですね。

なるほど、それで玉造と言う地名、知らなかった。


地下鉄 長堀鶴見緑地線に乗って

長堀橋で堺筋線に乗り換え。

北浜町に着きました。

初めて訪れる大阪市中央区の金融街です。

東京で言うと、日本橋の兜町。


綺麗なオフィスビルばかりかなと思いきや、

良き建物がありました。

旧小西家住宅資料館(小西儀助商店)。

1903年(明治36年)の木造建築、国の重要文化財です。

おやおや、

こりゃまた渋い。

洋食屋さんのある洒落た建物。

国登録有形文化財の表示板があります。


1921年(大正10年)に建てられた青山ビル。

建物の外装が蔦に覆われていて

この蔦は、先代ビルオーナーが

甲子園から株分けさせてもらったもの。

夏になると、店の看板が隠れるはど

緑の蔦の葉で、このビルを覆います。

その隣りのビルも 国指定有形文化財。

1923年(大正12年)竣工の伏見ビル。

この煉瓦作りの建物も古そうだなぁ。

立派な建物が いっぱいあります。


宿に泊まって 翌朝この辺りを散歩します。



北浜に泊まって 朝ご飯。

宿の朝食バイキングが大好きであります。

喫茶店モーニングのような ゆったり感で

好きなものを多くも少なくも

ちょこちょこと 食べられるのが好きで。

20年前にホテル阪神福島に泊まった時に 

この感覚を覚えました。

↑ これは 2巡目のおかわり。


クロワッサンもサラダもスープも好きなものを ゆっくり。

最初にコーヒーや野菜ジュースから行ってもいい。

スープとサラダからも行ってよし。

わー、目玉焼き、スクランブルエッグ、

美味しいそうと思って

そこから行っても良し。自由だ。

大喰い選手権ではありません。

元を取る食事じゃございません。

1巡目に味噌汁、納豆ご飯でも構いません。

まだまだ、食べるぞい。

↑ おかわり3巡目です。


美味しい!

蕎麦、うどん、たこ焼きもありました。

パンもデザートも種類豊富。

コーヒー、スープ、サラダ、パン、ご飯、味噌汁おかわりしました。


この宿、ホンマに格安で綺麗で過ごしやすい。

また北浜に来た時は、この宿ですな。満足。

朝食バイキングが美味しくて

使い捨て歯ブラシの質が いい宿は

猫林高得点の宿。

シャンプーリンスもそうだなぁ。


さて、大阪の朝、辺りを歩きます。



オペラ・ドエーヌ高麗橋。
1912年(明治45年)竣工。

昨夜に見つけた煉瓦造りの建物です。


東京駅に似てます。

そう、日本銀行本店支店や

東京駅丸ノ内駅舎を設計した辰野金吾の作品。

保険会社の社屋として建てられて

その後 レストランが この建物を使用。

今は結婚式場となってます。

古くなくとも お城風の入り口ビル、面白いな。

華道末生流家元会館です。

歩道に粋な道表示。

浮世小路。名前がいいね。

おやおや、

渋い日本建築がありますよ。

ビルに囲まれた中で 立派なお屋敷。

大阪市立の幼稚園です。

本門をよく見ないとわかりませんでした。

ん? 

銅座の跡?

どういうことじゃ?

門の横に「銅座の跡」の碑がある。

うーむ。

瓦に愛。


調べてみました。

1766年(明和3年)の江戸時代から

銅の管理をする銅座が 

この場所に置かれました。


その跡地に幼稚園を開園。

市内最古の現存する幼稚園です。

園舎は 開園した1880年(明治34年)からのもので

国の重要文化財。

銅座とは関係ないようです。


でも、こんな所に

銅座の跡と今も現役公立幼稚園があると思いませんでした。

面白い。


幼稚園の前にも気になるものがありました。


何?

えっ。

およよ。

除痘館記念資料館?

徐痘館跡地の緒方ビル。

江戸末期に緒方洪庵が

天然痘予防の普及活動していた拠点です。

今は、幅広い診療科が集まった

クリニックセンターの緒方ビルになって

徐痘館の資料室が あります。

手塚治虫さんの絵もあります。


御堂筋に出ました。

おや、銅が錆びた色するドーム屋根の

渋い建物があるよ。

ここから地下鉄でと思ったけど、行ってみよう。

ひょっとして日銀かな?

淀屋橋を渡ります。

土佐堀川にかけられた橋。

江戸時代に豪商の「淀屋」が

自費で架橋したので淀屋橋と言われてます。


橋も好きでして、

子連れ狼の

ててごと ははごと ゴトゴトと 

いっこく橋が好きであります。

青空で、いい朝じゃ。

良い天気。

鳩さんが 日向ぼっこして

オブジェと化してますね。

♪泣いて 別れた 淀屋橋

 ああ ここは 大阪 中の島ブルースよ

淀屋橋を渡りますと、日本銀行大阪支店旧館。

1903年(明治36年)に

ベルギー国立銀行をモデルした石造り。

設計は、辰野金吾。

さっきほど見た煉瓦造りの建物と同じ、

日銀本店、東京駅丸ノ内口の設計者です。


駅逓司大阪郵便局の石碑。

石造りの郵便ポスト。

明治4年に日本で初めての郵便局が

ここにありました。

堂島川にかかる大江橋を渡って

御堂筋をまっすぐに歩き続けます。

ん?

何だ、あの古い建物は?

古い字体で書いてあるな、

右から読むと、曽根崎変電所。

この辺り、曽根崎心中の曽根崎なんですね。


調べてみました。

この建物は 1936年(昭和11年)に竣工、

大阪市交通局曽根崎変電所です。

地下鉄ができる前に走っていた路面電車に電力を供給してました。

今でも、地下鉄御堂筋線に 電力の供給をしております。

変電所前の歩道で ふと見れば、、

しじみばし?

史跡 蜆川跡。

銀行の建物角にあります。

この道に蜆川があったのかな?

そして蜆橋もあって。


またまた調べてみました。

別名曽根崎川。

明治42年にキタの大火と呼ばれる

大阪北区で大火災が起きました。

その大火の瓦礫を蜆川に廃棄しました。

それで、蜆川は 埋め立てられてしまいました。

小船が行き交いする川で

川沿いにお茶屋さん、芸妓さんもいたとか。

蜆が多くとれた川だったそうです。


北新地まで来ました。

おお。

渋い煉瓦造りの喫茶店。
大阪梅田に向かいます。


阪急百貨店前。

上品な雰囲気の阪急感あるコンコース。

阪急のコンコースというと、

撤去されたシャンデリアだったなぁ。


地下鉄御堂筋線で移動しようと思いましたが、

あれ何だ?これ何? と

面白いものをたくさん見つけて

梅田まで歩いてしまいました。

良い天気で気持ちのいい大阪の朝散歩。


次回は、阪急電車に乗りますぞ。わーい🐈🐈🐈