『◎番外◎ 猪口』

◎番外◎　猪口

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初めて買った酒器は、猪口だった。
学生の頃だった。土の肌合いが面白くて、赤茶けた小さいやつを買ったのだ。
あれは今何処に仕舞ってあるだろう。
それとも、無くなってしまっただろうか。

働き始めて、自分で気に入って買ったのは、備前の黒ずんだ猪口だ。
中にじんわり浮かんでいる斑点がいい。
そして、手にしっくり馴染む。
冷やした優しい味の吟醸酒がよく似合う。

母が作った蕎麦猪口で酒を呑むことは滅多にないが。
この模様や大ぶりな形が、気に入っているのだ。
妻が仕事で遠出をした時など、秘かにこの大きなやつで一杯やることがある。
一升瓶から直接注ぐなら、このくらいの大きさが欲しい。
五杯も空ければ、間違い無く飲み過ぎだ。

夫婦で旅行をする時には、このガラスの猪口を持っていく。
何のことはない、冷酒のおまけでついてきたやつだ。
食事が終わって、腹ごなしのひとっ風呂を浴びた後、ゆるゆるとこんな杯で呑むのも乙なものだ。
出来ればランプひとつくらいの明かりの下がいい。

最近は専らこれになってしまった。
何の変哲も無い、蛇の目の猪口。利き酒をする訳ではないのだが。
燗酒でも冷やでもいける。
何より、妻に怒られない程度に大きいのがいい。

器はてらいのないものが好きだ。
普段着より少しくすんでいる位が好きだ。
酒を満たした器を覗き込んだ時。
いつもどおりの自分が、そこにいる気がするからだ。