◎番外◎ ＜随筆＞カレーあれこれ
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「結婚しよう」
と、ある男に真顔で言われたことがある。
私は男だ。
そしてそっちの趣味は持ち合わせていない。
奴は私の作ったカレーを食った。
勿論ごはん大盛り。
確か市販のルーとシーフードミックスを使った、簡単なものだったと記憶する。
しかし、それを食った時の奴は、えらく感激していた。
「結婚しよう」の言葉には冗談のスパイスが含まれていたが、その眼力に、私は貞操の危機を感じた。
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あんなに食欲をそそる食い物が世に出回っていて、いいのだろうかと、いつも思う。
暑い夏の昼下がり。食欲が落ちて身も心もしなびてしまっているのに、ビル街の一角から漂って来るカレーの香りに、
「よし、今日はカレーを食って元気をつけよう」
と思わされる。そんな体験を何度もした。
それは有難いことでもあるが、反面危険な香りもする。
夏といえば、食事にビールをつけたくなるのが人情だ。
ビールには食欲増進効果がある。
ただでさえ食欲をそそる食い物にビール。
結果、ついつい食い過ぎる。
暑いうちは代謝が活発なので、それでもいいかもしれない。しかし。
夏の間の暴飲暴食は、秋以降に、ものの見事に跳ね返ってくるのだ。
だったらビールをつけなきゃいいだろ、という声に私は耳を塞ぐ。
きこえないきこえない。
そんなことをしたら、私が私でなくなるではないか。
ということで、私はカレーに、若干の逆恨みをしている。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
子供の頃は、ビーフカレーなどという高級なものを食べたことがなかった。
家のカレーはたいてい豚肉か鶏肉。そして、ときどき、ちくわ。
うどん粉でのばした色の薄いカレーの中に、輪切りのちくわが、申し訳無さそうに散らばっている。
ちくわのほんのりした甘さが、カレーにはあまり合わない気がしていたので、正直、嬉しくはなかった。
ひとり暮らしをするようになって、私はちくわのカレーを何度も作る羽目になった。
肉よりも断然安い。そして何より、それなりに味わい深いではないか。
先代猫ゴン先生とはんぶんこしたちくわを使って作ったカレーは、いつのまにか、私の思い出の味になってしまった。
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夏が近付くと、カレーのアイデアがどしどし店先に並ぶ。
アスパラ、ピーマン、ナス、トマト、その他大勢の夏野菜。
夏野菜をどっかりと盛り付けたカレーを初めて食べたのは、栃木の山奥の、土日しかやっていない喫茶店だった。
焼いたナスとピーマン、冷たいトマト、そしてなんと、モロヘイヤのおひたしと、炒ったこんにゃくが、玉ねぎの風味たっぷりのカレーの横に、どっかりと重そうに並んでいたのだ。
あの時、妻と一緒に、夢中で食べたカレーは、妙に甘く、妙にスパイシーだった。
時折テーブルの横に愛想を振りまきに来る犬と、その向こうで伸びをする猫も、スパイスの一部であったに違いない。
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先週、旧友がシンガポールの土産を送ってくれた。
その中に、大きな袋のカレー粉が入っていた。
いつも使っているカレー粉とは違う。レモングラスとハッカクの香りが強いような気がする。なるほど、これは肉に合いそうだ。
カレーライスは先週食べたしなあ。さてどうするか。と、冷蔵庫とにらめっこして思案した結果、私はカレー風味の冷たいヌードルを作ることにした。
保存用のビニール袋に自家製ヨーグルト、塩、砂糖、レモン汁、サラダ油、そして件のカレー粉をどっさり入れ、そこに鶏のささみを入れて揉み込み、冷蔵庫で漬け込む。
玉ねぎと人参をみじん切りにして、水の入った鍋に入れて火にかけ、野菜ブイヨンの素をひとかけ落とす。三十分くらい弱火で煮込んだら塩とレモン汁で味を調え、火から下ろし、あら熱を取って冷蔵庫で冷やす。
夕食三十分前、漬け込んでおいたささみをフライパンで焼く。ヨーグルトはきれいに落とさずに、少しばかりへばりついているのがいい。あちこち焦げて、いい具合になる。
そうめんを茹でて氷水でしめたら、さっと炒めたレタスの横に盛り、冷やしておいた玉ねぎと人参のスープをかけて、その上に焼いたカレー味のささみを乗せる。
見た目が悪いのはいつものことだが。
さっぱりした具だくさんのスープに、時折カレーの香ばしさが割り込んで来る、楽しい食べ物になった。
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「カレーはうちのが一番ね」
と妻はいう。
うちの、とは、勿論私の作るカレーのことである。
真逆カレーが結婚の引き金になったとは思わないが。
美味しく食べてくれるからには、文字どおり有難く受け取っておこう。
そういえば、私に結婚を申し込んだあの男、今はどこで、どんなカレーを食っているのやら。
おしまい
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