第百五十一話 さよならトシオ君 上 | ねこバナ。

第百五十一話 さよならトシオ君 上

【一覧】 【続き物】【御休処】

-------------------------------

「よし、成功だ」

妙に落ち着き払ったS教授の呟きと、それに続く歓声。
それが、私の記憶に残っている最初の音声だ。
私はゆっくりと起き上がり、ずっと昔からそうしてきたかのように、大きく伸びをして、ひとつ欠伸をした。

「さあ、君の名前を行ってごらん」

S教授は私に優しく言った。私は答えた。

「私の名前はバアル。コードネームC-Q138-001。世界初の、人間の知能を持ったネコ型ロボットです」
「よろしい」

教授は満足げに笑って、私の頭を撫でた。私はごろごろと喉を鳴らした。

「君はこれから、大いに活躍するだろう。人間の助けとなり、癒しとなって、社会を豊かにしてくれるだろう」
「はい、それが私の使命ですから」

私は信頼を込めて、S教授を見つめた。
過去に類を見ない研究が大成功し、全世界が注目しているというのに、教授の顔は、何故か悲しげに見えた。

  *   *   *   *   *

「ねこちゃん、おいで、おいで」

ベッドの上から、トシオ君が呼んだ。
私は軽々とベッドの上に飛び乗り、トシオ君の枕元に座った。

「はじめましてトシオ君。私はバアルといいます。どうぞよろしく」
「僕、トシオ。よろしくね」

トシオ君は私のしっぽをなでながら言った。その腕には二本の管が繋がれている。
トシオ君は生まれた時から難病と闘っていた。あらゆる手立てを尽くしても、もう長くはないと言われていた。
彼の心を慰め、少しでも希望を持てるようにと、私がセラピストとして彼の許に赴任して来たのだ。

「トシオったら、なんてうれしそう」

トシオ君の母親が、目を潤ませて言う。S教授は静かに説明を始めた。

「バアルはいわゆるイエネコの中でも、かなり大型の個体をモデルに作られています。体重は十キロ。エネルギーは濃縮された有機燃料を使いますが、排泄物は出しません。ですから非常にクリーンで、病院や介護施設への導入が期待されているのですよ」
「とっても大人しそうに見えますけど、バアルはどんな性格ですの」
「彼女は人間の感情と知能を全て兼ね備えているだけでなく、相手を慈しみ、愛することに長けています。きっと良い働きをしてくれることでしょう」
「まあ、そうなんですか」
「はい。それに、今回は必要ないでしょうが、ボディガードとしての役割も持っています。自分を盾にして、守るべき人を守るのです」
「ほんとうに、まるで生きているよう。これが...これがネコなのですね」
「そうです。世界にネコ型ロボットは五万とありますが、これほどまでに活き活きとしたものは他にないでしょう」
「ああ、よかったわ。トシオはずっと、生きたネコに会えるのを夢見ていたのですから」

そう言って母親は嗚咽を漏らした。

「トシオ君は優しい子ですね。バアルにとっては、とてもいい職場ですよ」

教授は私とトシオ君を見ながらそう言った。

「バアル、ねえ、ご本を読んで」
「もちろんです」

私は赤外線通信で、ベッドサイドのプロジェクターを作動させた。ふわりとトシオ君の目の前に半透明の画面が浮かぶ。そうして、沢山の本の背表紙が映し出された。

「今日はどれにしましょうか」
「ううんと...ながぐつをはいたねこ、がいいな」
「はい、では...」

私の遠隔操作によって、画面の中の本がぺらぺらとめくられてゆく。私はゆっくりと、囁くような声で、トシオ君に話を読んで聞かせた。
トシオ君はその間じゅう、私の背中をゆっくりと撫でていた。その顔は、とても幸福そうに見えた。

  *   *   *   *   *

一ヶ月ほど経った或る日。
私はいつものように、設定されたとおりの時間に、トシオ君の病室まで出掛けて行った。
私は独自のセキュリティナンバーを与えられており、病院内の通行はほぼ自由になっている。ロボット感知センサーにも全く反応しないほど、私の身体は高度に組織化されているのだ。
すいすいと廊下を歩き、トシオ君の病室に近付いたところで、私の人感センサーが異変に気付いた。

ざざ、ざざ

ノイズが人工知能を駆け巡る。
私は知らぬ間に駆け出し、病室のドアにタッチした。
すう、と扉が開く。
その向こうには。

ベッドを覗き込む医師。
その横で、

「トシオ、トシオ」

と泣き崩れる母親。

私は異変を理解している。
理解しているはずなのだが。

ざざ、ざざ、ざざざ

プロセッサが信号を跳ね返す。
理解しようとしても、強く弾かれてしまう。処理不能だ。
これは。

「ああ、バアルや」

トシオ君の母親は、私に気付いて駆け寄って来た。
そして私を抱きしめ、

「あなたのおかげで、トシオはとっても幸せだったわ。ありがとう」

ぼたりぼたりと涙が私の顔にかかる。

「さあ、トシオに会ってあげて」

母親は私を抱えて、ベッドの脇に進んだ。
ベッドの上には。
トシオ君が。
昨日まで私に話をせがんだ、優しいトシオ君が。
静かな笑みをたたえて、横たわっていた。

ざざ、ざざざ、ざざざざ

私は硬直したまま、言葉を発することが、出来なかった。

  *   *   *   *   *

「教授」
「何だね」

私の問いに、S教授は背を向けたまま答えた。

「私は、やはり何処か不完全なところがあるのでしょうか」
「どうしてだね」
「私は、トシオ君の死を、未だに理解することが出来ません」
「それでいいのだよ」

教授はくるりと振り向いて、私に言う。
真っ赤な夕陽が、教授の背後から私に降り注いでいる。

「基本的な機能として、君は事実をそのまま処理し記憶することが出来る。しかし君には、従来のロボットにはない重要な機能が付加されているのだからね」
「その機能とは」
「そう、感情だ」

矢張りそうなのだ。

「しかし、それは本当に、私に必要なのでしょうか」
「何故だね」
「私は...あれ以来、あちこちに変調を来しているのです。身体の動きが鈍いし、思考処理も重くなりがちです。それに」
「それに」
「このごろ頻繁に、トシオ君の映像が、割り込んで来るのです。呼び出してもいないのに」
「そうか、やはりな」

教授は私のそばまで来て、しゃがみ込みながら私に語りかけた。

「いいかね。普通の人間ならば、親しい人が亡くなれば、暫くはそのことを受け容れられないものだ。記憶は常に揺り動かされ、思考も挙動も不安定になる。しかしそれを乗り越えることが大事なのだよ。君もそうだ。この感情を、乗り越えねばならない」
「...」
「そうでなければ、人間に匹敵する存在とはなれないのだ」
「私には、そうなる使命があるのですね」
「そうだ。辛いだろうがな」
「辛い?」
「ああ...。なかなか苦労するだろう、ということさ」

私をじっと見つめながら、S教授は私の背中に手を置いた。

「辛くなったら、啼けばいい」
「啼く?」
「そうだ。君にはネコの行動パターンや本能も多少はプログラムされている。むろん大昔のデータだがね。動物にはね、感情が偏ったときに、それを発散させようとする機能がちゃあんと備えられているのだよ」
「じゃあ、私にも」
「そうさ。屋上に行って、空に向かって大声を出してごらん。そうしたら少しは楽になるかも知れない」
「大声を...」
「思考をストップさせて、大声を出すのさ」

私の全身を、何かが突き動かし始めた。

「さあ、行っておいで」
「はい...」

私はむくむくと立ち上がる何かを感じながら、教授の研究室から出て行こうとした。

「君は...優しいな。やはり君はサヨの...」
「は」

教授の言葉に、私は立ち止まった。

「...いや何でもない、忘れてくれ」

ざざっ

またノイズが入った。私は衝動を抑えきれなくなって、走り出した。

階段を駆け上がる。屋上の扉を開ける。
遠くの地平に、ゆっくりと夕陽が沈んでゆくのが見えた。

ざざざ、ざざざ

トシオ君の顔が割り込んで来る。屈託のない優しい笑顔だ。

ざざっ

S教授の顔が。
あの顔は、見たことのない顔だ。
なぜ。

私は思考を止めた。
一気に、映像や音声が渦巻き始めた。
全身が震える。

「... なおう」

喉の奥から、巨大な何かがせり出して来る。

「なあああおう」

それを私は、一気に吐き出した。

「なああおおおおおおおおおおおう」

迸るように、私の感情は、音となって空に拡散した。

「なあああおおう、なああああああああああああおおう」

トシオ君の笑顔と、沈む夕陽が、重なった。

  *   *   *   *   *

それから二週間ほどして、私はセラピストとしての仕事を再開した。
たいてい相手は子供で、助かる見込みの少ない子ばかりだった。
短い子は数日、長い子は一年余り、私のセラピーを受けた。どの子も安らかに亡くなっていったのが、私にとっては救いだった。
彼等が亡くなる度に、私は空に向かって啼いた。それは少しばかり、私の負担を和らげてくれた。
しかし、トシオ君のことだけは、私の感情を常に刺激した。何度となく私は、そのことをS教授に報告した。しかし教授は、それでいいのだ、と言うばかりで、問題の解決には手を貸してくれなかった。そして時折、私を見て悲しそうな表情を浮かべるのだった。

ある日、病院からの帰り道、私は公園の遊歩道を歩いていた。
すると噴水のある広場で、男の子と母親が遊んでいるのが見えた。そう、丁度トシオ君と同じくらいの年の子だ。
私はトシオ君の記憶を重ねながら、その子を眺めていた。すると彼は、足早に一体のネコ型ロボットに駆け寄った。小型の旧式モデル「C-C002」で、気の良いおとなしいやつだ。

「あれー、ママ、これ動かないよ」

そうその子は母親に言う。すると母親は、

「そう、じゃあ新しいの買ってあげるわよ。もう捨てちゃいなさい」

と言った。

「やったあ、新しいの!」

彼はそう叫ぶなり、ネコ型ロボットを掴むと、

「えい!」

高く放り投げた。
その先には、噴水の池が。

考える前に、私の身体は動き出していた。
全速力で駆けていった。
私の前足が届く、その二センチ先を、ネコ型ロボットが、落ちていった。

じゃぼん。

私はそのまま池に飛び込み、ロボットを咥えて飛び出した。
ぶるぶると身体を降る。私には完全な防水機能がある。しかしこのロボットには。

「み...みみみ...みゆう」

ロボットは震えるような声で私に啼く。
相手を気遣う仕草だ。
このロボットには、相手を楽しませ、相手を気遣う機能しかないのだ。

ざざ、ざざざざ、ざっざざざざ

私を強いノイズが襲った。

「ママ、あれ、すごいよ! 水の中に入ったよあのネコ型ロボット」
「あらほんと、最新モデルかしらねえ」

あの親子が私を指差して言う。
身体がぶるぶると震える。

「み...みみみみみみみ」

ぶつん。
ロボットの機能が停止した。
私を気遣う動作を見せながら。
私は。

「ふうううううう」

突き動かされるままに、親子を睨みつけた。

「ぶしゃあああああああ」

全身の毛を逆立てて、威嚇した。

「ママ、あれ、こわいよう」

子供が私を指差す。

「あらいやだ、不良品かしらね。消費者センターに連絡しなきゃ」

母親は私の画像を携帯端末で撮ると、子供の手を引いて公園から出て行った。
あとに残された私は。
水びたしのネコ型ロボットの首根っこを咥えると、ずるずると引きずって、教授の研究室へと急いだ。

  *   *   *   *   *

「残念だが...これでは駄目だな」
「やはりそうですか」

もう動かないネコ型ロボットを見つめながら、私は肩を落とした。
身体の力が抜けていくのが判る。これはどういう不具合なのだろう。

「教授、私は...」
「言わなくても判っている。先程科学省から連絡が来た。君が親子を威嚇している映像も届いている」
「そうですか...」
「気にすることはない。君の中に組み込まれたネコの防御本能と、同じ種を守るという人間の高度な衝動が働いたに過ぎない。当たり前のことなのだよ」
「...」
「それに君は商品じゃない。ロボットが新たな段階に踏み出すための、大事な...」
「そうですよね...大事な研究素材、ですものね」

私がそう言うと、

「そんな言い方は、しないでくれないか」

教授は神妙な顔をして言う。

「何故ですか」
「何故って...君は、ただの素材などではないということさ」
「そう...なのですか」

教授は私の傍らに来て、そっと私を抱いた。

「いいかね、君はたくさんの人々に、生きる希望を与えて来たんだ。これからだってそうだ。これは他の人間でも、ロボットでも出来ない、とても大事な仕事なのだよ。だから君は」

私を掴む手に力が入る。

「君は、決して、ただの素材などではないんだ」

教授の目は潤んでいた。その理由が、私には理解出来なかった。
そして私には、まだ訊きたいことがあったのだ。

「では、ロボットはどうなのですか」
「む?」
「ロボットには、生きる希望は、与えられていないのですか」

私の問いに、教授は押し黙ってしまった。

「私はロボットです。教授にも、患者にも、患者の家族にも大切にされています。しかし他のロボットはどうなのですか。この旧型ロボットのように、動作不良を起こせばすぐに壊されてしまうのですか」
「バアル...」
「ロボットにとって、生きるとは、いったいどういうことなのですか」

自然と私の声は大きくなった。
教授は答えない。しかし私から目を逸らさずに、静かに私を見ている。

「ネコ型ロボットはこんなに世の中にあるのに、彼等がどう生きるか、誰にも判らないのですね」
「そうだね」

教授は悲しそうにそう呟いた。私はうなだれた。

「彼等は生きているのに...ほんとうの生き物と同じように...」

そしてこの時、私は、はたと気付いたのだ。

「教授」
「何だね」

教授は私をじっと見つめたままだ。

「ネコとは、そもそもどういう動物だったのですか」
「ネコ?」
「もう絶滅してしまったといわれるネコは、人間とどのような関係にあったのですか」
「...」
「そしてそれは、何故絶滅してしまったのですか」
「...」
「私の記憶には、その情報はまったく入っていないのです。ネットにアクセスしても、その部分だけブロックがかかるのです」
「...」
「私を開発した教授、あなたなら、お判りなのでしょう」
「むう...」

教授は床に視線を落とし、呻いた。
そして苦しそうに、吐き出すように言った。

「今は...今はまだ言えない。もちろん理由は知っている」
「では何故」
「言えないんだよ」

訴えるような教授の言葉に、私は黙る他なかった。

「許しておくれ」
「いえ...私のほうこそ、責めてしまったようで...」

私は頭を下げた。

「申し訳ありません」
「いいんだ。ほら、顔を上げておくれ」

顔を上げると、教授は優しく私の顔を掌で包んだ。

「君が辛いのは判る。だから君に出来ることなら、私は何でもしよう」
「教授」
「明日、この子のお墓を作ってあげようね」
「...はい」
「もう遅い。早く休みなさい」

そう言って、教授は研究室を出て行った。

私は、もう動かなくなったネコ型ロボットに寄り添った。
体毛は私のものより滑らかで柔らかい。人に好かれるために作られたものなのだから当然だ。
人に好かれる、ただそれだけのために。

私はロボットの頭を、ざりざりと舌で舐めてあげた。
そうせねばならないと、思ったからだ。
そしてそのまま、彼に寄り添って、私は休眠モードに入った。


つづく




ねこバナ。-nekobana_rank

→携帯の方はこちらから←

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます




トップにもどる