第百五十二話 さよならトシオ君 中 | ねこバナ。

第百五十二話 さよならトシオ君 中

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「これでよし、と」

S教授は透明なカプセルの中に、壊れてしまったネコ型ロボットを入れ、蓋を閉めた。
そして研究棟の裏の、小高い丘のふもとにある溶鉱炉の中に、カプセルを滑らせた。
カプセルは長い暗いトンネルを滑っていった。ロボットはこの後高熱で溶かされ、また色々な金属に精製されて、人間の助けとなるだろう。
教授は溶鉱炉のそばの記念碑に、小さなプレートを貼った。研究のために作られては消えていった、ロボットたちの名前が刻まれている。その仲間にあのネコ型ロボットも、加わったのだ。

「大昔、この国には、人形を供養するという習慣があったそうだよ」

教授はぽつりと呟いた。

「その名残が、こうしてここに残っているというわけだ。魂というやつが...物質でない何かが、もし人間に宿っているとするなら」

そうして私に視線を向けた。

「ロボットに宿らないわけがない。人間であろうとロボットであろうと、そう変わりはないと私は思うのだがね」

私には理解出来ない。魂という存在自体が解析不能な概念だ。しかし、それが生きるということと関係があるのなら。
トシオ君のような存在が、私の電子頭脳の中にも生きているように。

「そうですね」

あのネコ型ロボットにも、きっと。

「さあ、研究室に戻るよ」
「はい」

教授と私は、揃って歩き出した。

ざざ、ざざ

頻繁にノイズが私を襲うようになった。
頭が重く感じて、私は歩みを止めてしまった。

「どうした」

教授が心配そうに覗き込む。

「はい、少しノイズが」
「ふうむ、疑似ニューロン系統に不具合が起きているかもしれん。戻ってスキャンしてみようか」
「お願いします」

教授は私をひょいと抱き上げた。私は予想外の教授の挙動に面食らった。

「教授、重いですから」
「大丈夫だよ、じっとしておいで」

そう言って教授は、私の頭に頬ずりした。
この感じ。
何だろう。
懐かしい、というのだろうか。
過去に経験したことのある感じだ。

まさか。
私は誕生してまだ二年しか経っていないのだ。
それに、教授にこんなふうに抱きかかえられたのは初めてだ。

ざざ、ざざ

記憶の断片が立ち上がる。
教授の顔だ。
今より髪が短い。白髪もない。私に向かって笑顔を見せている。
どういうことだ。

ざざ、ざざざ、ざざ

不安定な思考が揺れ動く中、私はじっと教授に抱かれたまま、身動き出来なかった。

  *   *   *   *   *

それから私は常に不調に悩まされた。
仕事は概ねこなせるのだが、時折襲うノイズは止まず、安定した思考を保てなくなった。
S教授は相変わらずそれでよい、それが人間らしい感情だと言う。その度に私は思った。人間とは何と不安定な生き物であるかと。

ある日、私が病棟での仕事を終えて研究室に戻って来ると、部屋の中から激しく言い争う声が聞こえて来た。

「とにかく、私は認めない! C-Q138-001は、いや、バアルは、そんなことのために開発したのではない!」

普段穏やかなS教授が、珍しく声を荒げている。

「教授、落ちついてください。これは我が大学にとってまたとないチャンスですよ。科学省と生命省だけでなく、軍務省からも資金が得られるのですからね」

教授とは対照的に、低くなだめるような声がそれに続く。

「私はクギを刺しておいたはずですよ。軍事転用などしないと。それをあなたは」
「私も最初はそう決めておりましたよ。しかし軍の関係者が、例の映像を見てえらく興味を惹かれたようでね」
「あ、あれは、ただの威嚇行動です! 防衛本能が表に出ただけの話ですよ」
「そう、その防衛本能。そこをコントロールすることが出来れば、十分軍事的利用価値があると」
「冗談じゃない!」

ばん!

机を叩く音が廊下にまで響く。

「教授、申し訳ないが、これは相談ではないのです。決定事項なのですよ」
「研究の中心人物たる私を差し置いて、決定など不可能です」
「いいえ、これは学長と各省の代表者による合同調査会の決定です。一教授が口を挟める訳ではありません」
「では私は、本研究を退かせていただきます」
「どうぞご自由に。ただしあのロボットは、此処に置いていってもらいますがね」
「そ、そんな」

悲鳴にも似た教授の声に、私の思考回路はぐらぐらと不安定さを増した。

「そんなことは許されない! あなた方は、どれだけ私達から搾取すれば気が済むのですか! あれは私の」
「そう、あなたの奥さんの脳から解析した生体情報を全て注ぎ込んだのでしたねえ。お陰ですばらしい活躍振りではないですか」

ざざ、ざざざざ

ノイズが大きくなる。

「研究費を出したのは国です。そして当初の研究方針に同意したのは、あなたですよ教授」
「当初の方針とは全く異なっているじゃないか」
「大きな研究の外枠は変わっていません。国益のためならば何にでも転用できるのですよこの研究は。そういう文言になっている」
「ぐっ」

教授は言葉を詰まらせた。
私は。

ざざ、ざざ、ざざ、ざざ

小刻みなノイズが私を揺さぶる。頭が壊れそうだ。

「ともかく、研究をお止めになるなら、当然あなたは此処にはおられませんよ。明日の朝までに、結論を出していただきたいものですな」
「...」
「では、良い返事を、お待ちしておりますよ」

ドアが開き、黒いスーツに身を包んだ男が二人、部屋から出ていった。ドアの陰に隠れていた私は、開きっぱなしのドアから、ゆっくりと部屋に入った。

「くそう、駄目だ、絶対に駄目だ。あいつら...」
「教授、ただいま帰りました」

私の声に教授はびくっと肩を震わせた。

「あ、ああ、もう帰ったのかい」
「はい、アキラ君がすぐ眠ってしまったので」
「そうか」

教授の目は赤く充血し、顔からは血の気が失せている。

「アキラ君はどんな具合だね」
「今日は随分良かったのですよ。私が宙返りをしてみせたら、とても喜んで」
「そうか」
「明日は手術だと聞いていましたけど、僕こわくないよ、なんて言ってくれました」
「そうか...そうか」

「教授」
「何だね」

「私、お話を聞いてしまいました」
「やはりそうか」

教授はうなだれて、ふらふらとソファに倒れ込んだ。そうして、

「ここにおいで」

と私を呼んだ。私は言われるがままに、教授の傍らに座った。

「この上は、君に全て話そう。ただ、もしかすると、そのせいで思考回路に変調を来すかも知れない。そうしたら、安全のため、君を休眠モードへと移行させる。承知してくれるね」
「はい教授」
「では...そうだな、何処から話せばよいか」

教授はまだ迷っているようだ。私は順序だてて話を聞くことを望んだ。

「私が開発される、いきさつを教えてくださいな。そして、奥様のことも」
「うん、そうだな」

教授はふう、と息を吐き、私に話し始めた。

  *   *   *   *   *

「サヨ、ほら、君の好きな花を買ってきた」
「まあ...もっと近くで見せて」
「ああいいとも」
「すてきねえ...。こんな花、高かったでしょう。しかも生きている花なんて」
「気にすることはないよ。それより、早く元気になっておくれ」
「そうね...」
「気分はどうだい」
「ええ、今日はとてもいいの。薬は昼から飲んでいないのよ」
「...何だって?」
「あなた、ごめんなさい。薬で延命されても、私は幸せになれそうもない...」
「おい、何を言ってるんだ。大丈夫さきっとよくなるよ」
「あなた、嘘が下手よね。嘘つくといつもまばたきが早くなるもの」
「えっ」
「判ってるの。私はもう投薬なしでは生きていけないのよ。しかももう効力が薄くなっている」
「サヨ」
「これ以上延命しても、あなたに負担をかけるだけだから。もう決めたのよ。さっき書類にサインしたわ」
「そんな...そんなことあるわけがないじゃないか! 負担だなんてそんな」
「ねえ、ひとつだけお願い、聞いてほしいの」
「何だい、何でも聞くよ。だから」
「あなたの研究...。人工知能を作るために、生体情報を探しているのよね」
「あ、ああ」
「昨日の夜、M教授がお見えになったわ。私に協力してほしいって」
「あ...あの野郎勝手になんてことを!」
「あなた聞いて。私はね、あなたのためになることをしたいのよ。私のこんな身体でよかったら、使って、ねえ」
「そんな...そんなこと...」
「大丈夫、私はその人工知能の中で、生き続けるの。ずっと」
「サヨ...」
「あなたのそばで...ずっと生きるのよ...」
「おい、どうしたんだ、おいってば」
「もう...駄目みたい...薬が....」
「ま、ま待ってくれ、僕はまだ君に何も」
「あなた、お願い....」
「サヨ! おいしっかり! 看護師さん! 先生! 早く来て!! サヨが....」

  *   *   *   *   *

「ニューロン解析完了。デジタル化ルーティンに移行します」
「了解」
「全く素晴らしいです。システムが出来上がっていたとはいえ、実用は何時のことやらと思っていましたからね。本当に死亡直後の献体があるなんて」
「そうだな。これで研究は一足飛びに進む。これも皆、S先生のお陰だな」
「奥様は、もう助からなかったんでしょ」
「そうらしい...しかし、先生の気持ちを考えると、なあ」
「そうですねえ」
「さて、この人工知能が、どんなロボットに移植されることになるのかな」
「俺は美人の女性がいいなあ。S先生の奥様は美人だったって噂ですからね」
「やっぱりそうか? 俺もな...あっ、S先生!」
「あっ、ご、御苦労さまです」
「御苦労さん。どうだい解析のほうは」
「順調です。流石に状態の良い献体で...あっ、す、すみません」
「いや...いいんだ。気にしないでくれ。最終段階まであとどのくらいだね」
「九時間もあれば」
「そうか...身体はそれまで必要なんだね」
「いえ、もうそろそろバックアップが終わるので...あ、終わりました」
「もういいのかね」
「はい、もう大丈夫です」
「では、私は妻と一緒に帰るよ。あとはよろしく頼む」
「はい...あの、先生、どうぞ気を落とさずに...」
「大丈夫さ。これで妻は、ずっと生き続けるんだ」
「先生...」
「そうさ、永遠にな...」

  *   *   *   *   *

「なぜネコなのですか」
「理由は二つあります。ひとつ、人間型の二足歩行ロボットにすると、運動回路に不具合が生じた場合、転倒して研究途上の大事なシステムが破損する危険があります。転倒や落下などのショックに対応出来る柔軟な体躯を実現するには、四足歩行動物をモデルとするのが現在最も確実です。ふたつ、ネコはペットロボとして既に普及しており、基本的な運動システムはほぼ完璧といっていい状態ですので、転用するのが容易なのです」
「イヌやウマでは駄目なのですか」
「残念ながら、前世紀に絶滅した哺乳動物の解析データの権利は、P国がほぼ独占しています。ロボットの高度な組織化を行うためにその権利を買うには、莫大な費用がかかります。我が国が所有しているのはネコ類のうちのイエネコのみです。これは有効に活用すべきでしょう」
「なるほど。よくわかりました。ではS准教授、いや今度教授に昇格されたんでしたな。この研究プランですすめていただきたい。よい結果をお待ちしておりますよ」
「はい、ありがとうございます。ご期待に添えるよう、頑張ります」

ばたむ。

「ふう」
「教授、やりましたね! ついにセラピーロボットへの人工知能移植が認可されて、僕達も鼻が高いですよ」
「ああ、君達のおかげだ、ありがとう」
「それにしても、ネコですって」
「僕は博物館の剥製しか見たことないです」
「俺の家にはロボットがいたけどな。けっこうかわいいもんだぜ」
「たしかにネコにする理由は頷けるけど...それだけですか教授」
「え?」
「もっとほかに理由があるのかなあと思って」
「いや別に、そんなことはないさ」
「そうですかあ」
「それより、君達にはこれからも頑張ってもらわなきゃならんからな。よし、美味いものでも食べに行くか!」
「やったあ!」
「さあ、みんな準備しておいで。私は直ぐにでも出られるからね」
「はい!」
「やったね!俺サカナ料理がいいな、食べたことないから」
「僕はクロレラステーキが...」
「いいや絶対ネズミの....」

ばたむ。

「ふう」

かちゃり。

「サヨ、ついに決まったよ...。君のおかげだ。君の好きだったネコ型ロボットの身体に、君の命が吹き込まれるんだ...」

  *   *   *   *   *

「...かい、大丈夫かいバアル」

ざざ、ざっざざざ、ざざざ

ノイズが私の頭を駆け巡る。

「教授...私は...あなたの....」
「いいや違う。君はバアルだ。私の妻の一部が君の中に入っているだけだ。君は君なんだ」
「そう...なの...ですか」
「そうだとも。だから落ちついて」

ざざ、ざざ、ざざ...

ノイズが次第に消え、思考が安定して来た。

「もう...大丈夫です」
「そうか、良かった」

教授は私の頭を撫でながら、安堵の表情を浮かべた。
まだ処理しきれない情報が沢山ある。しかし、私のことは大体把握出来た。

「私をセラピーロボットにしたのは、奥様への思いでもあるのですね」
「そうだ。妻は強い人だったが、やはり死への恐怖は感じていただろう。この難病が蔓延する時代、死をどのように迎えるかは重要な問題だ。特に子供達はね。私達の間には子供がなかったから...」

そう言って教授は口をつぐんだ。

「よく判りました。ありがとうございます教授」
「いや...今まで黙っていて済まなかった」
「いいえ。私は、奥様のように強くならなければ」
「バアル...」
「これからも、教授のお役に立ちますよ」

教授は私の頭を、ごしごしと撫でた。目からは大粒の涙が、ぽろりと落ちた。

「そうだ...そうだとも。君はこれからももっと...」

ずず、と鼻を啜った教授は、決然として言った。

「もっと、人の役に立ってもらわなければ。トシオ君のような子たちの役にね」
「そうですとも」
「そうだ、どんなことがあっても、君は君であらねばならない。絶対に...」

教授の顔には、深い皺が刻まれた。

「絶対に、軍事転用などさせるものか」

そうだ、其処が私には理解出来なかったところだ。

「教授、軍事転用とは、どういうことですか」

教授は私に向き直り、一瞬躊躇った後、話し出した。

「以前、ネコが絶滅した理由を、君は私に訊いたね」
「はい」
「その理由を教えてあげよう。しかし...この話も、君には刺激が強いかもしれない」
「大丈夫です。どんなお話でも聞きますよ」
「そうか...じゃあ話すよ」

すう、と教授は息を吸い込み、少し早口に、話した。

「前世紀の世界大戦にあたって、列強各国は生物兵器を盛んに開発した。イヌ、クジラ、ウマ、イタチ...ありとあらゆる動物の軍事利用が研究された。我が国が最も力を入れたのは、ネコの軍事利用だったのだ」
「それはどのような」
「ネコは、暗視能力に長け、足音を立てずに獲物に近付く能力を持っている。ステルス機能のある毛皮を身に纏い、脳にマイクロチップを埋め込まれたネコ達は、敵陣への潜入作戦や破壊工作、そしてテロ攻撃などに盛んに利用されたんだ。例えば...」
「例えば」
「敵軍の輸送機に忍び込ませ、離陸直後に体内の爆弾を爆発させる。飛行場にもダメージが与えられるからね」

ざざ、ざざざ

またノイズが入って来た。しかしまだ話は途中だ。私は耐えて最後まで聞こうと思った。

「指揮系統を混乱させるため、敵軍の高官の宿舎に潜入させ、寝込みを襲わせる。軍事用に培養されたネコは、鋭い鈎爪を持っていたからね。それで頸動脈を切断したり、感覚器官を破壊したりするのさ」
「培養?」
「ああ...そうだね。その話もしなければ...。ネコの軍事利用研究を行うために、この国じゅうのイエネコが接収されたんだよ。隠しているだけで重大な罪になったそうだ。一部野生化したネコを除いて、全てのネコは研究所に集められ、酷い研究が行われた」

ざざ、ざざ、ざざ、ざざ

「戦争が苛烈を極めた頃、シェルターに籠もった私達の祖先は、ひとつの細胞から哺乳動物を培養することに成功したのさ。そして戦闘用に優秀な遺伝子を持つ細胞が培養され、戦闘用のネコが続々と生み出されていった。お陰で、人間はほとんど傷付かずに済んだ」
「そ、それでは」
「ネコ達は戦いに出た。そうして、この国じゅうを焦土と化す核攻撃が始まった」

ざざざざざざざざざざざ

「この地から、殆どの命は失われた。シェルターに避難していた人間と、実験用の動物、食糧となる植物を除いてね」
「...」
「動物の培養技術は次第に失われた。しかし一部は残されて現在も培養が行われている」
「そ、それでは」
「そうだ。何故この国にネコ型ロボットが多いか。それは組織培養した軍事用のネコの身体が、転用されているからなのだよ」
「まさか」
「そう、君の身体の大部分は...培養によって作られた、人工細胞だ」

ざざざざざざざぴざざざざざざざざざぴがざざざぴざざざ

「なあうう」
「おいバアル」

頭が揺さぶられる。
身体が痺れる。
トシオ君が笑っている。
教授が私を見ている。
夕陽が。

「なああおおおおおおおうううう」

トシオ君。
教授。
あなた。

暗い。
何故私は。

「どうしたバアル。大丈夫か? いかん、このままでは危ない。休眠モードに入る...」

教授の声が遠くなり、私の意識は、断ち切れた。


つづく




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