第百五十三話 さよならトシオ君 下 | ねこバナ。

第百五十三話 さよならトシオ君 下

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ごぼ、ごぼ、ごぼごぼごぼ

不規則に泡が弾ける音がして、私はゆっくりと目を開けた。
視界が濁っている。蒼白い世界の中に、紅い筋が緩やかに漂っている。
此処は何処だろう。私は身体を動かそうとしたが、信号が四肢に届かない。唯一動く右目を動かして辺りの状況を確認する。
私は水槽の中にいる。周りを満たしているのは生理食塩水だ。有機物が微量含まれている。恐らく細胞の組織化を促進する酵素も入っているのだろう。
前足を探すが見つからない。左前足が途中で切れている。その先に白いスポンジ状の物体が付いている。パーツを交換する時に使うジョイントだ。ロボットアームが伸びてきて、その先に、新しい前足を取り付けようとしている。指が太く大きい。
前足がジョイントに押し付けられる。一瞬、鋭い衝撃が肩から頭にかけて突き抜ける。めりめりと音を立てて前足が開く。黒光りする太くて鋭い爪が飛び出す。今まで私に取り付けられていたものの倍以上の大きさだ。
視力が少し回復して来た。ロボットアームの伸びてきた先に目を向ける。ごつごつした塊が、私の数十センチ先に置かれている。そこからは紅い筋がすう、と私の目の前まで伸びて来る。
焦点を合わせる。
塊には毛が生えている。グレイの美しい毛だ。
前足が伸びている。今しがた私に取り付けられたものと同じ手だ。
三角の耳が飛び出ている。

ごぼごぼ、ごぼごぼ

耳の下には穴が開いている。その奥には。
白い牙が。

ごぼごぼ、ごぼごぼ

穴はゆっくりと、開いたり閉じたりを繰り返す。

ざざっざざっざざざざあああああ

強いノイズが私を襲う。意識に関係無く私の身体が激しくのたうつ。

「...に異常発生」
「バアル! やめろ、もうやめてくれ」

S教授の叫びが聞こえる。

「黙ってろ! カットだ。再起動しろ」
「了解、再起動します」
「バアル!」

見えた。
水槽の外の小窓の向こう。
S教授が乗り出して私を見ている。
それを抑えようと、二人の屈強そうな男が、教授の服を掴む。

ざざ、ざざざああああああ

教授の顔が。
若々しい顔が。
トシオ君の笑みが。

ぶつん。

視界は闇に包まれた。

  *   *   *   *   *

「これより、改良型C-Q138-001、新規コードA-Q138-001の戦闘試験を行います。第一ゲート開放」

がらがらがらがらがら

再び私の視界は開けた。
眩しい人工照明が、照度調整機能を一瞬狂わせる。次の瞬間。私の目の前には、明るい灰色の空間が広がった。
ゆっくりとそこに踏み出す。天井以外は全て、灰色の厚い壁に覆われた部屋だ。十メートル四方もある、大きな部屋だ。

「第二ゲート開放」

音声が室内に響き、向かい側のシャッターが開く。
そして、私の目の前には、十体のロボットが。
所々歪に膨らんだ、怖ろしい形相の、ネコ型ロボット達が。

がらがらがらがらがらががん

背後のシャッターが閉まる。
ロボット達の視覚センサーが赤い光を放つ。

「攻撃開始」

その音声と同時に、ロボット達は私に襲いかかった。

先頭の一体が、私に向かって前足を振り上げる。
黒く鋭い爪が、唸りを上げて私に向かって来る。

がしゃっ

私の右肩は強烈な一撃を受け、身体は数メートル吹き飛ばされた。

「しゃああああ」

ロボット達は次々と襲いかかって来る。
肩の毛皮から、人工血液が滲んだ。

「ぶうううううう」

全身の毛が逆立つ。
私は、牙を剥いた。

ぴぴ。

私の視界は紅く染まった。
意識とは関係無く、私の身体は、激しく動いた。
回避、捕捉、攻撃。回避、捕捉、攻撃。
単調な命令が私の頭脳を支配する。
私の意識は、置き去りにされた。

  *   *   *   *   *

「ふしゅううううう」

世界は再び色を取り戻した。
私は辺りを見回した。
そこには。

十体のロボットが。
無残に破壊されて。
引きちぎられて。
横たわっていた。

「...素晴らしい」
「...これが生体情報をインストールした人工知能の力か」
「...ボディのアンバランスを見事に補っている。殆ど完璧に近い」

天井のスピーカーから音声が洩れて来る。

「...これで我が国の戦術プログラムも、大きく刷新されますな」
「...早速開発チームを編成せねば..。」

私は、その微かな音声を聞きながら、呆然と立ちすくんでいた。
これは、私の仕業なのか。
前足を見る。人工血液と光ファイバーの束が、爪の間に食い込んでいる。

「び...びび」

震えるような鳴き声が聞こえた。
私はその鳴き声の元へ走った。
下半身を失ったロボットが。
顔を歪に膨らませ、頭に幾つも拡張基板を差し込まれたロボットが。
微かに啼いていた。

「ぴぴ...ぴぴぴぴ」

ロボットの視覚センサーは私を捉えた。
そして私に向かって、前足を伸ばした。
爪を出さずに、ゆっくりと。

「みゃあう」

私はその前足を、静かに舐めた。
何故。
何故こうなったのだ。

「ぴい...」

ロボットは、微かに口を開き、私に何かを訴えた。

「何、何か言いたいの」

私はロボットの頭を舐めた。

「...おい、あれは何だ。何をやっている」

スピーカーからざらついた音声が洩れて来る。
構わずに私は舐めた。
ゆっくり、ゆっくりと。

「ぴっ...ぴぴ...」

甘えているのか。
私に。

どさり。

ロボットの頭と前足は、それきり動きを止めた。

ざざ、ざざざっざあざざざざざざざざあざああ

強烈なノイズが頭の中を駆け巡る。
横たわったロボットの顔。
公園で水浸しになった、あのロボットの顔。
なに。
なにを言いたいの。

「ねこちゃん」

トシオ君。
あなたは。

「ふうううううううううううう」

全身が震えた。

「ぎゃああああああおおおおおおおおうううう」

激しい慟哭が、私の口から放たれた。

「うぎゃああああああおおおおおおおうううう」

吐き出しても吐き出しても。

「うぎゃああああああおおおおおおおうううう」

重い塊は、次から次へと、私の口から飛び出した。

「...どうした、何が起きている」
「...判りません」
「...S教授を連れて来い、すぐにだ」
「...先程独房に入れたばかりですが」
「...いいから早く連れて来い!」

また耳障りな音声が聞こえて来る。
しかし確かに、そのうちの一つは、S教授と言った。
教授は何処に。
ノイズは次第に和らいでいった。

ががががががががががががが

三つめのシャッターが開いて、大きな檻を吊したクレーン・ロボットが現れた。
檻はばちばち、と火花と散らしている。対ロボット用の捕獲檻だ。
シャッターの向こうの、機材搬入用のドアが、ちらりと開いたのが見えた。
私はそれを見逃さなかった。

「...おい、逃げるぞ!」

私はロボットの脇を全速力ですり抜け、半開きになったドアに突進した。

「...閉めろ!」

慌てる係員を私は頭突きではね飛ばし、ドアから飛び出した。
教授は、何処だ。
四肢がちぎれそうになるほど、私は全力で、無機質な廊下を駆け抜けた。

  *   *   *   *   *

「警戒レベル5! 防災用シャッター閉鎖! 全警備員はポイントを封鎖せよ。レベルBまでの銃器の使用を許可する。但し目標の頭部は狙うな。四肢と胴体を攻撃し、動きを止めろ。繰り返す、警戒レベル5!」

激しいサイレンと共に、割れた音声が辺りに響く。私は既に空調ダクトに入り込み、ステルス機能を使ってセンサーに探知されないよう、静かに進んだ。
人感センサーの反応からS教授の居場所を探す。地下の独房に入れられているのが確認出来た。

「位置は確認出来たのか」
「いいえまだ」
「全く、セキュリティーチームは何をやっている! ネコ型ロボット一匹見つけられないのか」
「それが、そのロボットには高度なステルス機能を搭載したとのことで...」
「未完成の人工知能にそんなもんくっつけるからだ。研究馬鹿はこれだから困る」

ぶつくさと文句を言う警備員の姿が見える。レーザーライフルと対ロボット用パルス・グレネードを装備しているようだ。
下手に教授を解放しても、彼等に捕まれば命の保証は無いかも知れない。私はそう考えた。するすると彼等の頭上を通り抜け、ひとまず私は、セキュリティ・センターへと進んだ。

「センサーの感度を上げろ! どんな異変も見逃すな」
「無理です。これ以上感度を上げても、空気中の塵に反応するだけです」
「カメラはどうした! しっかり目視せんか」
「やってますよ」

セキュリティ・センターの責任者が怒号を飛ばす。係員は苛立ちながらモニターを見ている。
どうやら此処は、軍務省ビルに併設された兵器開発棟のようだ。そしてセキュリティ・センターは、軍務省ビルとの一元管理を行っているらしい。
全てがコンピューター制御され、どんな侵入者も見逃さないという態勢だ。しかし脱走する方の対策は、それに比してあまり厳重ではないようだ。
此処を無力化出来れば。どうすればよい。

「どうなっているか」

野太い声が、センターの中に入って来た。

「は、目下捜索中であります」

責任者が敬礼する。どうやら軍務省の高官が来たようだ。ダクトの隙間から覗くと、随員を二人連れている。
随員はライフルで武装している。そしてその腰には。
よし、あれだ。

「...やはり一元化は適切ではなかったようだな」
「いえそんなことは...そろそろナノ探査機の準備が整います。それで必ず」
「ふん、まあよい。いいか絶対に、電子頭脳は傷付けるなよ。絶対にだ」
「は、はい」

責任者は汗を拭きながら答えている。もう少し、もう少し...。
高官の随員が、有機コンピュータのタワーに近付いた。
今だ!

ばん、ばんばんばん

「何だ」

ばばん

天井の空調吹出口を、私は勢いよく蹴り出した。

「撃て!」

そこに向かって、レーザーと銃弾が激しく浴びせられる。
その間に私は、床面近くのダクトからするりと部屋に入り込んだ。

「やったか?」
「待て、確認するまで態勢を解くな」

銃器を持った者全員の視線が、天井に集中している。
私は音を立てずに、警備員達の間をすり抜け、

「うわっ!」

高官の随員が持っていた、パルス・グレネードのピンを抜いた。
そして全速力で、ドアから外へと飛び出す。

「なな何だ」
「奴だ! 追いかけろ!」

その声が背後で聞こえたかと思うと、

ずばばばばん

「ぐわああああ」

パルス・グレネードが爆発した。
私の耳を強烈な電磁波が襲う。頭脳を激しくノイズが揺さぶる。

ぶううん。

電磁波が収まると、廊下には非常灯が点った。
セキュリティ・センターのコンピューターがダウンしたのだ。
これでいい。復帰まで時間が稼げる。

私はまたダクトに潜り込み、教授の幽閉されている独房へと急いだ。

  *   *   *   *   *

「教授」
「...バアル! どうして此処へ」
「話は後です。今電子ロックの回線をハックします」

私は無線通信で回線をスキャンし、独房の扉のロックを解除した。
がちゃん、と重い音がして、扉が開く。

「バアル!」

教授は私を抱きしめた。

「バアル...ごめんよ...私は君を守れなかった」

大粒の涙をこぼしながら教授は言う。
しかし感傷に浸っている場合ではない。

「教授、お願いがあります」
「何だい」
「私の電子頭脳を、リセットしてくださいませんか」
「な」

教授は驚いて私を見つめる。

「この頭脳に蓄積されたデータが残っている限り、彼等は私を利用しようとするでしょう。私は、この世にあってはならない者だったのです、きっと」
「そんな...そんなことがあるものか! 君は立派に役目を」
「そうです。しかしそれは、奥様の生体情報があったからこそ実現出来たのでしょう」
「それは...でもそんなことをしたら、君は」
「はい、承知の上です」

時折、解析不能な信号が私を苛む。しかし私はそれに耐えて、力強く言った。

「私はバアル。古の神の名を与えられた者。バアルには三つの顔があるのですよね。今の私は...恐ろしい悪魔の顔をしている」
「...」
「奥様も、こんな私の中で生きることを、お望みではないでしょう」
「...うっ」
「それに教授、培養されたネコ達の身体を、もう傷付けてはいけません」
「バアル」
「判ってくださいますね、教授」
「...」
「時間がありません。さあ」

教授は大きく息の塊を吐き出した。

「そうだな...やはり私は間違っていた。妻も、君も、これ以上苦しめる訳にはいかない」
「教授」
「背中を向けてごらん」

私は言われるままに、教授に背を向けた。
背の毛の間に隠されたスイッチが押される。背が開き、時限停止ボタンが姿を現す。

「これから、スイッチを押す。三分後に、君の電子頭脳はリセットされる。そして...」
「私の身体は、再現不可能なように、塵になるまで分解される」
「バアル...」
「お願いします、教授」

ぐい、と背に力が加わる。

私の頭脳を、冷たい雫が、駆け抜けた。

「では教授」
「バアルや、もう一度...」

教授は私に頬ずりした。私はごろごろと喉を鳴らした。

「教授、どうぞ長生きなすって。そしてもっと人のためになる研究を」
「あ...ああ」

私は、すう、と教授から離れた。

ぺり。

記憶の底にある、何かが剥がれた。

「教授」
「何だい」
「判りました。何故私が、トシオ君を忘れられなかったのか」

教授は驚いて私を見る。
私は静かに言った。

「奥様は、教授、あなたを昔こう呼んでいたのですね。トシオ君、と」
「サヨ」

「私のことを、忘れないでください」

私は走り出した。
教授の叫びが、私の後ろでこだまする。
視覚センサーの充填液が、微かに漏れて、つうと後ろに飛んでいった。

これを人間は、涙というのだろうか。

  *   *   *   *   *

「いたぞ! 奴だ!」
「こっちに来るぞ」
「銃撃用意! 構え...撃て!」

レーザーが豪雨のように私に降り注ぐ。私は数本のレーザーに撃ち抜かれた。しかし私は構わずに天井へジャンプし、そのまま反動を付けて、警備員達の中へ飛び込んだ。
そして彼等が腰に付けているパルス・グレネートを数個引きちぎって咥え、ひとつだけピンを抜いて放置し、一目散に逃げ出す。
数秒後、激しい爆発と電磁波が辺りを満たす。
その衝撃で、最後の扉が開いた。
私の目的地。
そこは。

ごぼごぼ、ごぼごぼ、ごぼごぼごぼごぼ

巨大な水槽。
その中に蠢く無数の塊。

足が、耳が、尾が。
にょきにょきと生えている。

此処は軍用ロボット開発用の、ネコ培養室だ。
私は数個のグレネードを足下に置き、周りを見渡した。

塊の中に、私は小さな目を見つけた。
僅かに見開かれたその目は、私をじっと見つめている。

ごぼごぼ、ごぼごぼ

目のすぐ脇に開いた穴から、もわりと何かが吐き出される。
苦しいのだ。判っている。
しかしそれも、もう終わりだ。

「追い詰めたぞ! 銃撃用意」
「待て! 培養槽が壊れるぞ」
「奴の身体だけを狙え、失敗は許されない」

大勢の警備員達が、培養室の入り口を塞ぐ。
そして私に銃を向ける。
照準レーザーが、私の身体に集中する。私は身体を見遣った。所々人工血液が洩れている。
がくり、と後ろ足が落ちた。先程の銃撃でダメージを受けたのだ。
しかしもう関係無い。
私はまた、水槽の中の、あの目を見つめる。
あの目は。

「ねこちゃん」

トシオ君。
ベッドの上で、病気と闘っていた。
あの目にそっくりだ。

「バアルや」

教授の顔が重なる。
優しい手の感触が私を包む。

「サヨ、さあおいで」

若々しい教授の笑みが。
私に。

「なあああおう」

さよなら。

「なああああああああああああああおおおおおおうう」

  *   *   *   *   *

軍務省ビルの兵器開発棟を半壊させるほどの大事故は、実験中の人為的なミスとだけ発表された。
数十人の死者を出したわりには、ニュースの扱いは小さいものだった。
バアルの電子頭脳が停止した瞬間、その身体から発せられたエネルギーは、恐らく他の爆発物や燃料にも引火したのだろう。後にはバアルの在った形跡など、微塵も残らなかった。

あの日、バアルがショック状態に陥った後、私は悪用されるのを恐れて、大学のスーパーコンピューターに残っていた妻の生体情報とバアルの電子頭脳のバックアップを、全て消去してしまった。そのせいで私は軍務省に監禁されたのだが、私の行動が正しかったのかどうか、今でも判らない。
しかし私には、そうするしかなかった。第二、第三のバアルが生まれることだけは、どうしても避けなければなかったからだ。
私はバアルの苦しみを、最後の最後まで、理解してあげられなかったような、そんな気がしてならない。

私は大学を辞めた。暫く一人になりたいと思った。
この悪夢のような時代に、私は人々のために、何が出来るだろう。それを考えたかったのだ。
まだ答えは出ない。しかし。

「バアル、君の魂は、きっとあるさ。きっと」

私は研究棟の裏にある、溶鉱炉のそばの記念碑に、小さなプレートを貼った。
あまたのロボット達の中に、バアルの名が加わった。
そして私は、ロケットペンダントに入った妻の写真の横に、バアルの写真をそっと、挟み込んだ。
後悔と苦悩に苛まれながらも、私は彼女等と共に生きてゆくのだ。
それが私の。
使命なのかも知れない。

「さあ、帰ろうか」

私はゆっくりと、家路に就いた。


おしまい




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