先日ヨガセラピー仲間とチャットをしていた時に唐突に「今度交換セッションしようよ」と誘われた。
気軽に「いいねぇ👍」と答えたけど、心の中で『私今見たいもの(←自分の中)無いけど』とか思ってた。
そして3日後に決まり←これもあまりにすぐで驚いた笑
そんな当日
私はセッションの前にオンラインでヨガの師であるとしさんの[ウォームアップで始める50歳からのヨガ]を受けていたので身も心ももほぐれてるからそのまま続くように先にクライアントとして体験させて貰った。
その日選んだポーズはなんと!
【ウトカタ‼︎】![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
いわゆる、中腰、空気椅子的なポーズ。
今までどちらかと言えば避けて来たよ。
だってすぐにキツくなって「何が起きてますか?」なんて言われたって見るなんて感じるなんて絶対無理‼︎
なポーズだと思ってる。
もちろん、そんなことか頭の中で警告してくる。だからやめて他のポーズにしようかなと揺らぐ。
でも、
今日は
【ウトカタ】
じゃないとダメなんだ‼︎
と私の直感が言っていた。
果たして、セッションでは初めての【ウトカタ】
両足を腰幅に開きしっかりと大地に根付かせて土台を作って腰を落として行く。
むむむ‼︎
そこで起きたことが私には新しい価値観だった。
たぶん、今までの私なら後ろに椅子があって座る感じの所。ももと床が平行になる所まで腰を落としてポーズを作ってた(いわゆる完成形ってところ)。
だって、そこまで出来るんだもん。実際ヨガのポーズとしてはそこまでやってる。
だけど、今回はそこまで行こうとしない自分がいた。
それは私の中で
『私はこんなに出来る人です。ここまで出来るんですよ!すごいでしょ?」って自分をアピールすることをしなくなったって言うことだった。
私は何かを始めるとき
いつもとりあえずできる100で立ち向かう。なんか聞こえは良いけど、そこにまだなんの経験や実力も無い状態で100時には120で行く。(いわゆる丸腰でってやつね)そんな状態続くはずもなく。すぐに息切れを起こす。そして逃げたくなる。
何かをやる時に6〜7割でいいんじゃないかとここのところ思ってた。(たぶん昨日書いた真面目な私の6〜7割はそれでもきっと8割くらいやってるはずだから。)
だから、今日の【ウトカタ】を両手もだらりと下げて背筋を伸ばして腰を落としただけで留まったのは自分にとって画期的だった。
そこで何が起きてたか
太腿に十分な感覚があるんだよね。
少し痛いような刺激とここで自分を支えてると言う感覚。熱もあるし。そしてそれらを感じる余裕とバランスが取れていると言う感覚。そのバランスは心と身体のバランスが調和しているようで心地よさもそこにあったんだよね。決して緩くて心地よいんじゃなくて。
このセッションで“キツ過ぎず、ユル過ぎず”って言うけどその状態の中に浸かってるって感じだった。肉体には十分な感覚はあるんだけど、俯瞰して自分見る余裕はある感じ。
もう一度言う。これは私には画期的な体験。
だって、いままでだったら『真理子さんのウトカタってそこですか?ウトカタもっと深くできますよね?それでいいですか?』なんて思われたく無くて、『いや、誰もそんなこと思わないだろっ。そう思って見栄張ってるのお前だろ』の世界なんだけど、実際そうだったからそこまでしない今までなら全然足らないところで留まっている自分は画期的なんだよ。
もちろんセッションの体験でこれがハイライト✨そりゃそうだよ。こんなにここについて熱く語ってるんだから笑
真実からのメッセージも
《いいじゃん👍》
だった。
結果。受け取ったのは
《なるようにしかならない。》
このコロナ禍なるようにしかならない。
無理なことに頑張り過ぎても仕方ないなぁと。当たり前だけど今できることをする。
当たり前過ぎるわかりきったことだと思うかもですが、
初めに
心の中で『私今見たいもの(←自分の中)無いけど』とか思ってた。
と書いたけど、そんな気持ちで受けてもPRYT(フェニックス ライジング ヨガ セラピー)はこれだけ充実した体験ができる。(今回は30分のショートバージョン)
トレーニング中はメンタル崩壊するほどの体験もあったPRYTだけど、今では
PRYTは日々の生活の中で道標を教えてくれるような日々を豊かにしてくれるツール✨だと思ってる。
のです。だからこの結果で満ち足りるんです。