それも結構な熱量で好きで彼らに会うために相当の時間と労力とお金を注ぎ込んで来た。
しかし、韓国人の彼らには徴兵と言う義務がある。
私の好きな彼(あえてそう呼ばせてもらう)にもその時が近づいている。
なので今は身辺整理の活動時期と言うか、最後ののファンサービスと言うかそんな時期で
彼の言葉には「これが最後」とか「これで最後」とかが増える。
同じグループにもうひとりやはり同じ時期に徴兵を控えてるメンバーがいる。
私のオタ活親友はそのメンバーが好きで
やはり同じようにお別れ前の活動をしている。
そのオタ親友が
お別れメンバーの「最後の」と言う言葉に反応して
「なんか悲しくなった😭」と良く言ってくる。それが自分の愛するメンバーでも私の好きな彼であってもとにかく別れを連想させるメンバーの言葉に反応するんだ。
私はその言葉になんの反応もしないと言うか、むしろ
『最後までファンを思ってちゃんと約束を果たしてくれようとしてくれてる』とか『ありがたい』と思ってしまう。
彼女の反応を見て、彼女のオタ熱量はかなりのモノなので、好きな想いの違いなのかなぁ。すごいね。そんなところに気づくなんて。と思ったりしていたんだけど…
ふと思った。
彼女はそれを自分で引き寄せているんだと。
《最後=悲しい》を引き寄せているんだと。
そこに反応するように自分をプログラミングしたんだと。
彼女にとってのあるべき、兵役に就く彼、彼氏と別れる彼女の姿をプログラミングしたんだと思った。
私はそれをしていないだけ
だから、どちらが良くてどちらが悪いでは無い。
私もそんな自分を冷めてきてるのかな?
なんて彼らの言動行動で一喜一憂して泣いたりするファンやオタ親友と比べて思う必要は無いんだよね。
別に涙の量=好きの量では無い。私はそれを使ってないだけ。そうプログラミングしていないだけ。
そうやって見ると、恐れとかも自分の選択なんだよねと感じる出来事が他にもあった昨日でした。