掘りごたつ ―― 眠り続ける少女 | にゃにゃ匹家族

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ねこ家族のつれづれと折々のことなど綴ります。

今年の冬は暖冬なのでしょうか。
それでも、冷え込む朝晩は暖房がうれしい時節です。
ニャニャ匹ももちろんコタツで眠ります。

ネコも人も、寒い冬は、コタツでついつい眠ってしまいますね。



ここからは追想です。


あの遠い遠い冬の日。
それは、凍てつく寒い朝だったのだろう。
同級生のさっちゃんが、掘ごたつの中で死んだという。

お葬式では、先生に引率されてはじめて訪れたさっちゃんの家の前で、級友たちと参列をした。
小学2年だった私は、人が掘りごたつで死んでしまうという理由もわからずに、
金や赤の色紙で飾られた灯篭(とうろう)や花篭(はなかご)が長い竿につるされて家の前に立てかけてあるのが、子供心にとても珍しくて、
「なんだろうな」と、
ただただそれらを眺めていたのだった。

お葬式が終わったのだろう、野辺送りとなり、
金色にゆれる灯篭を先頭に、花篭や旗など持った人たちが、列をつくり進んでいくのを、先生や級友たちと見送った。
その葬列の中には、冷たくなったさっちゃんがいたのだろうけど、
子供の私の目には、その葬列が、
冬の晴れた薄青い空の下、色彩のない冬景色の中で、
きらきらしてきれいだったのを憶えている。

次の日も、その次の日も、やはり、さっちゃんは、登校しなかった。
そうして、1週間もたった頃に、私は、さっちゃんは、もういないのだということを理解したように思う。

小柄で、背の順に並ぶと、いつも私の近くにいた。
茶色がかった髪に、色白で、頬がいつも赤かった。
少し寂しげな笑顔だった。


先生や大人たちが、その痛ましい事故について、
親の不注意という言葉を使うのを耳にしたが、
私は、なぜか嫌な気持ちになった。

“親の不注意で、命を落とした幸薄かった女の子。”

そんなはずはなかった。
私には、さっちゃんの死がそんな風には思えなかった。
思いたくなかった。


数十回もの冬を経て、大人になった私は、
ある寒い冬の朝に、
「おぉ、寒っ」といいながら、
コタツに足を突っ込みながら、
さっちゃんのことを思いだすことがあった。



その日の朝は、ことのほか寒かったのだ。
さっちゃんは、寒くて寒くて、掘りごたつの中に身をひそめたのだ。
そこには、練炭か炭が、暗がりの中で、赤く燃えていて、
ホッとするほど、暖かかった。
さっちゃんは、時々は、そうして温まっていたのかもしれない。
その時は、ほんとに暖かくて、その気持ちよさについ眠ってしまったのだ。
その眠りは、なによりも心地よく、さっちゃんはその心地よさがずっと続けばいいと感じたに違いない。

そして、その眠りは、あまりに深く深く――

さっちゃんは、再び、目覚めることがないだけなのだ。