神農さん――晩秋のビジネス街の御祭り | にゃにゃ匹家族

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御堂筋のイチョウ並木も黄色く色づきはじめた晩秋のこの時期。

御堂筋から東へ入った道修町(どしょうまち)と呼ばれる通りでは、ビルが立ち並ぶ道沿いに、笹飾りがゆれて、たこ焼きなどの露店が並びます。

大阪のオフィス街でも1等地のこの通りは、江戸の昔から薬種問屋が軒を連ね、日本中の薬が集まったところ。いまでも、日本の製薬会社はもちろん外資系の会社も拠点をおく「くすりの町」です。

手前の笹飾りには、薬箱を連ねた飾りがぶら下がっています。このビルの自社製品なのでしょう。

11月22日と23日の2日間は、この通りにさまざまな露店がたちならび、たくさんの人でにぎわうお祭り広場となります。
この町に祀られるくすりの神様「少彦名(すくなひこな)神社)」の御祭りが催されるのです。

製薬会社の自社ビルが建ち並ぶ通りには、この2日間だけは、スーツ姿のビジネスマンにかわって、普通のオジサンやオバサンや家族連れが、歩道いっぱいに行列を作ります。

くすり関係のお仕事の方々はもちろん、一般の人も病気平癒や家内安全を願って、お参りにやってきます。

普通に通れば気づかないようなビルとビルのあいだの細い石畳の参道を人波に押されて進みます。

細い参道のわきには、製薬会社の提灯が並んでいます。

3方をビルの壁に囲まれて、
「少彦名神社」は、鳥居、社殿、社務所がこじんまりと配置されて、背後には、数本のクスノキが結界を張っているように立っていました。



ご神霊は、出雲神話で大国主命とともに活躍した童形の神様「少彦名命」と中国の薬祖神「神農氏(しんのうし)」。
日本と中国の2柱の神様がお祀りされています。

なぜ、日中の神様が一緒にお祀りされているかというと、

もともと、江戸時代この地で唐薬種を扱っていた薬種商のおうちでは、床の間などに中国の薬祖神「神農氏」の掛け軸や神像をお祀りしていたのだそうです。


そして、この地の薬種商仲間が江戸幕府から売買の公認を受けたのち、その寄合所に、それぞれにお祀りしていた「神農氏」に加えて、日本の医薬の神とされる「少彦名命」を京都の神社から勧進し、「少彦名神社」としてお祀りしたのが始まりなのだとか。

それから、200年をこえて現在に至るまで、この小さな神社は、くすり関係の方々のみならず、健康・長寿を願う庶民の信仰を集めているのです。


「神農氏」とは、古代中国の神様で、身近な草木の薬効や毒性を調べるため自らそれらを舐めて、最後には、あまりにたくさんの毒草を服用したために体に毒素がたまり亡くなったといいます。

一説には、神農の身体は頭部と四肢以外は透明で内臓が外からはっきりとみえ、服用した草木に毒があれば内臓が黒くなり、そこから毒が影響を与える部位が分かったのだそうです。

大阪の人は「神農さん」と親しみを込めて呼びますが、神農像を見ると頭には2つの角があり、厳しいお顔で、草を編んだような蓑をまとったまさに超人のお姿です。

草をかみしめる神農さん。命がけです 


何千年という長い歳月、人々が病や怪我に苦しむ中で、志をもつ幾多の人たちが自らの身体を実験台にして、自然の中に薬効を探し求めてきたその長く苦しい歴史が、「神農」という超人の姿に凝縮されてきたのかもしれません。


日本の神話の中で、神農さんと同様、医薬や農耕の普及に活躍したのが少彦名命。
江戸期のお薬屋さんは、唐薬だけでなく和薬も扱うのだから、少彦名さんも神農さんと一緒にお祀りしちゃおうということで、
まぁ、合理的というか、大阪らしいということになるのでしょうか。


大阪の町のお祭りは、この「神農祭」をもって、1年の〆となります。

神農さんのキャラクターも登場です。
左は、大阪市中央区のゆるキャラ「夢まる君」。
神農さんには、一緒に写真を撮ろうとする人も多くて
とても人気者でした。
(おとうさんも、柄にもなく神農さんと2ショットしました)