とある神事にて ―― おりてこられました。 | にゃにゃ匹家族

にゃにゃ匹家族

ねこ家族のつれづれと折々のことなど綴ります。

先日、ある地方選候補者の方の事務所開きに、参加させていただく機会がありました。

こちらでは、演説などは行わず、近しい方々のみで、当選祈願の神事が主に行われます。

予定時間の30分前に着いてしまって、事務所はまだ準備中。

東向きの柱に、神棚となる木の棚が、設置され、その真上の天井に「雲」と書かれた紙が貼ってありました。

しばらくして、出張祈願の七つ道具を持った神主さんが到着されました。

まず、神棚には、両側に榊がたてられ、神符が2つ置かれました。
そのあと、祭壇が組まれ、中央には、瓶子(へいし)に入ったお酒と高杯(たかつき)が置かれ、周りに、三宝に盛ったお餅や鯛、野菜、果物などが供えらました。

神事など子供の七五三くらいしか経験のない私。
その準備段階を間近でみるのも、もちろん初めてで、興味津々に見させていただきました。

神主さんとお手伝いの方とお二人でされていたのですが、やはり神主さんの所作には、三宝を置く手つき一つにも、ご神霊に対する尊崇の念がこもっているように感じられました。

祭壇が出来上がり、神主さんは、一礼をして奥の部屋へ。
私は、「写真を撮らせていただきます」と、心の中でお断りを述べて、カメラを向けました。



やがて、烏帽子装束を身に付けた神主さんがあらわれ、祈願祭の始まりです。

司会の方や関係者の方の挨拶が終わり、
神主さんが祭壇の前に立ち、一同起立で、ともに二拝をし、
神主さんが大きく両手を広げて、二つ柏手を打ちました。

「ぽん。ぽん」という、
なにかがはじけた感じの音が、部屋中に響きわたり、

「さすがに、いい音だな。」と、感心した瞬間、
軽く頭を下げている私の前に、なにかがぱっと開けたような感覚を覚えました。
視界全体が、わずかに明るくなり、もろもろのものがすーっと、
払われ空気が軽くなった感じ。

そして、その後は、ずっとエネルギーの波を感じました。

「うわ~ん。うわ~ん。」と、脈動するよう感覚に全身が包み込まれていく。
そして、この脈動が部屋いっぱいに広がっているのを、感じながら、
神主さんの奏上される祝詞(のりと)と祈願文を、頭を垂れて、聞いておりました。

ご神霊に対し、正面から、朗々と奏上される祈りの言の葉を聞きながら、私は、つい数十分前までは、普通のビルの1室に過ぎなかったこの空間が、神霊の息吹に満ち満ちた空間となり、そこで、祈りの言葉を通して、神霊と人とが、交わっていることを感じ、かつてない感動を味わいました。

祈り――「いのり」とは、意を乗せることだともいいます。
場を調え、心からの供物を供し、人がまっすぐな心で、堂々と神に祈るとき、どこでもそこは神殿になり得るのだと思います。
祈りのプロである神職のナビゲート(作法や祝詞)があれば、さらに、適切にその道が開かれるということなのでしょう。

人は、太古の昔から、心のままに祈りを捧げてきたのだと思います。
素朴だけど、明敏な感性を持っていた太古の人々は、適切な場を選び取り、適切な手順を心得て、ダイレクトに神霊と語っていたかもしれません。
残念ながら、文明社会の私たちは、その心も感性も忘れてしまいました。








祈願文の奏上が終わると、神主さんは、参列者の方を向き、紙垂(しで)をつけた榊の枝を、参列者の頭上にさっ、さっ、さっ、と、振りかざし、お祓いをして頂きました。

そして、ご神霊がお戻りになったのでしょう、それまで、はずされていた瓶子のふたと、水が入った水玉のふたが、閉じられ、神事は終了しました。

祈りの形の原点を、垣間見たようないい経験をさせていただきました。

ちなみに、今回来られた神主さんは、日本最古の神社といわれる石上神宮(いそのかみじんぐう)の神職さん。
周りの人が、「先生」と、尊敬の思いを込めて呼ばれていたので、高名な方のようですね。

関連ブログ「にわとりさんがいっぱい――奈良・石上神宮」も見てね。