34 宮沢賢治とジョン・レノン 「羅須地人協会とイマジン」

 

【 序 】

宮沢賢治は1926年に花巻農学校を依願退し、農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために羅須地人協会を設立します。以下でこの協会の羅須の名前の由来について考えてみたいと思います。なおこの記事は過去記事(リンク①)を基に、すこし手を付け加えたものになっています。

     リンク① https://ameblo.jp/neko-sonotoki/entry-12575266574.html 過去記事「ジョバンニはなぜ銀河鉄道に乗れたのか?」

 

 

【 設立の場所 】

羅須地人協会は、賢治の妹・トシが結核に冒されて亡くなる8日前まで療養所として使用していた、宮沢家の別宅に設立されています。賢治はこの宮沢家の別宅でトシの介護に尽力しながら、その病がトシの生命を徐々に蝕み、死の影が忍び寄ってくるのをひしひしと感じていたはずです。そして賢治は、まもなく必ず訪れるであろう「トシの死に立ち会うことには耐えられないという気持ちが高まっていったに違いありません。

 

【 羅須の由来 】

釈迦の最後の弟子にスバッダ須跋陀羅)がいます。スバッダは「仏が涅槃に入るのを見るのが忍びなく、先に般涅槃した(雑阿含経35)」と言われています(引用元 wikipedia スバッダ)

賢治はトシを看病しながら徐々に「トシの死に立ち会うことには耐えられない」という気持ちが高まっていき、自分自身をスバッダ(須跋陀羅)と重ね合わせ、そしてトシの介護を通じて宮沢賢治という「我」を自ら滅しっていった(須跋陀羅のようにトシより先に自ら般涅槃した)のではないでしょうか?

賢治はトシの死後4年近くが経った1926年に、農民たちやその他の地域の人々や、ひいてはすべての人々のために、無我の菩薩として働きたいと願い、跋陀から2字を取り、羅須地人協会を設立したのではないでしょうか?

 

【 須跋陀羅の隠れた意味 】

須跋陀羅のパーリ語の表記はSubhaddaです(wikipediaより)。アナグラムで次の言葉が出てきます。

Subhadda ⇒ as Buddha(ブッダのように)

須跋陀羅の中には「as Buddha(ブッダのように)」という隠れた意味があります。賢治は羅須地人協会の羅須の文字の中に、「無我の菩薩として、仏陀のようにすべての人のために働きたい」という願いを込めたのではないでしょうか?

 

【 農民芸術概論とイマジン 】

イマジンの中に次の言葉があります。

And the world will be as one

(私訳:そして宇宙は一つのものとなる)

And the world will live as one

(私訳:そして宇宙は一つのものとして生きる)

ジョン・レノンは須跋陀羅のアナグラムを知っていて、as Buddhaas oneに置き換えたのではないでしょうか。ただしここでのBuddhaはおよそ2500年前に現れた応身仏・釈迦牟尼のことであり、ジョンはこれをoneに変えて法身仏(真如)の意味として使ったように思えます。

そしてイマジンの背後には宮沢賢治の農民芸術概論の次の言葉があるように思えます。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある