昨夜は頭痛でなんだか寝付けず、なるべく頭痛がしない体制を探した私。
そして思った。
母は具合が悪くても、自分でマシな体制を探すことさえできないんだ。
ベッドの背もたれの上げ下げだって、
自分でできないどころか希望を伝えることさえままならない。
入院をしたことがある人ならわかると思うけど、
病人にとっては(特に術後)体制ひとつで辛さがかなり違う。
堀ちえみさんも舌がんの術後、頭を固定されているのが辛かったとおっしゃっていた。
ならば、どう考えたって今の母が苦しいのは当たり前だと思う。
だからと言って、
まだ目を開けて私を見ることができる母の生命線を断てるかと言えば、そんな勇気はさらさらない。
決断ができるとしたら、目に見えて苦しんでいるか、
もしくは見た目は穏やかでも、
「もう薬剤を投与しないと生命を維持できません(ドーパミンとか)」
と医師から告げられた時くらいだと思う。
そんな中、
「お母様も落ち着かれているようなので、一般病棟から療養型の病室へ移りましょう」
と病院の相談員さんから提案があり、先週療養型病棟へ移動した母。
まぁ・・・確かに落ち着いているうちに入るんだろうなぁ。
ホントに苦しかったら「うー」とか「あー」とか声に出すだろうし、
声を出さなくても呼吸が苦しそうとか、体が震えるとか、顔を歪めるとかするだろうけど母は一切ない。
もう「安定」の基準やレベルが健常者とは違うってことなんでしょうね。
あくまでも「安定」であって「普通(健康)」ではないってことだ。
ただ怖いのは、これは高齢者に限った話ではないということ。
私だって今回の体調不良でもなければあのまま好き勝手な生活を続けて、
気付いた時には手遅れだったかも。
いや、気付く前に近い将来血管がバーン、もしくは糖尿で透析生活だった可能性だって十文あり得る。
怖っ余裕で修正できる段階の生活指導で本当によかった。
人間の余生は、本人にも家族にも残酷ですね。
せめて、なるべくそうならないように今からできる努力はして行こう