師走の茶会 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

茶の湯にXmasは似合わない、と思いきや


 

千利休が活躍した時代は戦国の世で南蛮から伴天連の宣教師が日本に上陸しキリスト教を布教していた

高山右近などはキリシタン大名で千利休の弟子の大名茶人でもあった

 

 

右近は教会に茶室を設えていたという、サンタさんの菓子で抹茶を点てることはなかっただろうがXmasの儀式をしていたという

 

大名茶人の細川忠興の正室ガラシャは敬虔なクリスチャンだった、禁教令に逆らい最期まで改宗せず殉教した悲劇もあった


 

ガラシャは明智光秀の娘でもある、茶の湯が発祥した頃には既にXmas風の茶会もあったという、しかも地味なプロテスタントのXmasではなく

 

荘厳なローマカトリック流だった、ミゲルやジュリアンらの天正遣欧少年使節がローマ法皇を訪ね帰国した頃でもある

 

 

秀吉は天下統一に向けて千利休の茶の湯を本格的に政治に利用し始めた

血生臭い戦をしないで全国制覇するため戦国武将との接待に茶の湯の作法を千利休に確立させたという

 

 

茶道と政治理念が合わない秀吉と対立した千利休は自害して対抗した逸話もある

現代のXmasは近代に欧米から伝わったプロテスタント風のお祝いで、欧米のクリスチャンは日本の華やかなXmasに驚くという



松竹梅

 

先にXmasのお祝いをしていたのはこっち、しかも元祖のローマカトリックの伝統を忠実に守ってきた、とキリシタン大名の故郷は想うだろう


茶の湯が生まれ伴天連やキリシタンがXmasを祝っていた頃の南蛮欧州は宗教改革の渦中でカトリックは弱体しアメリカはまだ建国していなかった

 


その後の近世日本は厳しい禁教で上方や江戸でも隠れキリシタンがいたというが江戸後期には長崎より

オランダ冬至やオランダ正月としてXmasは蘭学所などでお祝いしていたという

 

 

ペリーやハリスが来日した頃はプロテスタントが主流だったという、日本のカトリック元祖のイエズス会は現在上智大学を運営している

 

今も立派な教会が四ッ谷にある、熊本・札幌・横浜バンドは近代に布教されたプロテスタントで無教会派が多かったという

 

和風のXmasケーキ

 

茶の湯は時代を先取りする