富くじと御慶 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

2017年の年末ジャンボ宝くじ一等七億円!前後賞合わせて十億円!の抽せん日は本日大みそか

 


 

御慶という落語は年の瀬の富くじ(現在の宝くじのようなもの)をどうやって当てるかという噺から始まる

 

新年を迎えより多くの人にお祝い慶事するために御慶という言葉を使った、当時の一等当せん金額は壱千両で発売籤一枚は壱分だったという

 

町人感覚で現在と比較すると発売券はものすごく高く当選金額も一生涯生活していけるのではないかというくらいの金銭感覚

 

 

そば一杯が十六文だったというから駅前の立ち食いそばを約三百円として籤一枚が約二万円で壱千両が約八千万円となる

 

長屋の店子暮らしを脱しても一生涯暮らせそう、数百両投資して御店を構えて商売もできるし家主になっても生涯困ることはないだろう金額

 

物価を比べると約五十銭で十斗の白米が買え一両あれば一年は楽して生活出来たというから、壱千両は現在では百億円くらいの価値に換算できるという

 

 

幕府公儀の許可を得た寺社が勧進のために富くじを発売していた、大みそかのその日に当選金額を受領すると八百両、二月に受領すれば全額もらえるということらしい

即金か二か月後の満額かという金利手数料や一時所得税や資金繰の概念がうかがえた

 

幕府の金蔵からの調達の都合らしいが当時の富くじは現在以上に種類が豊富で熱狂していたという

 

現代の富くじ一等前後賞合わせて十億円!


集金が莫大と同時に当選一時金も大きかった、富くじのピークは文化文政の天保年間で富くじに熱狂しすぎて身上をつぶす町人が増えたという

 

天保の改革の一つとして禁止した、なぜこのような資金が必要だったのか?は幕府安定期以降の自然災害の飢饉や大火による財政難だった

 

特に富くじは江戸時代中期の火災で焼失した中小規模の寺社建替や修復費用を集めるなどの目的に使われたという

 

銀座数寄屋橋にある窓口の最後尾は有楽町駅前まで


湯島天神は江戸三大富くじの一つとして落語の噺に登場する、大きな寺社は幕府直轄や徳川家や大名の菩提寺だったため再建してきたが

 

江戸庶民が日常参拝してきた寺社は朽ち果てたままだったという、富くじは売る側も買う側も当らないもの

 

という大前提で近所にある朽ちた寺社を再建するという夢を富くじの参加者は基金(ファンド)として実現しているというのが実際のところ


落語では当たった人の噺になっている、当るとこうなるのか~という実体験ができる、宝くじに当たった人たちの末路!のような話は既に数百年以上も前にあった

 

日本ではそういう経験からか明治になり刑法(太政官布告)により一律禁止となる、しかし民間では違法な闇富くじが広く行われていたという

 

日中戦争の戦費調達のために制定された臨時資金調整法に基づき「福券」や「勝札」が発行されたこともある

 

 

宝くじは戦後に財団法人日本宝くじ協会が発足し浮動購買力を吸収しもって地方財政資金の調達に資することを目的とする為に運営されているという

世界最初の富くじは大陸の漢王朝が万里の長城建設のための債を集めるために行ったものとされローマでも建設費調達のためにカエサルが利用しているという

 

世界中の為政者は資金調達の債権としてどこのだれもが同じようなことを考えついているが、現代の日本の宝くじにはそのような夢があるのかどうか

 


 

集まったおカネはどのようなところに使われているのかは知らないし、宝くじは当らないという大前提は江戸時代から変わらないから買わなくなった