テレビ芸能 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

戦前までの芸能と戦後はだいぶ異なる、それはテレビの出現によって激変した

 

現人神だった天皇が人間宣言をして「ひと」になった、神がいなくなった後はテレビの中にいる人が「神」のような存在になったという

戦後復興期の荒廃した国民の心身はテレビの中の相撲・プロレス・野球の選手や歌謡の歌姫に勇気づけられたという

テレビ実験放送は戦後GHQに中断されまず日本放送協会(NHK)がGHQによって設立された

 

プレスコード基準のもと試験放送され本格放送に至ったという、やがて民放放送も開始した

 

スポンサーの宣伝媒体となるコマーシャル(以降CM)の商品は実際に良く売れたという

 

 

娯楽に飢えていた戦後の日本人には好評で全国同時に流行歌やヒット商品が生まれた

 

英米方式のメディア手法によってのイメージ戦略だった、とにかく英米ブームをつくったという

 

米ハワイ州になる前の明治期から日本人移民が多くいたハワイブームもあった

 

CMの効果としてレトルトカレーやコカコーラの話は有名、特別に美味しいわけでもないがあのCMのカレーやスカッと爽やかな飲み物というだけで売れたという

婦女子に受け入れられれば売れるという時代が長く続いた、番組に人気が集まりCMは邪魔だという投書もなんのその商品は売れ続けたという

 

 

番組の盛り上がり曲線の最高潮の場面でCMが入るが視聴者からのクレームにも勝る効果でスポンサー優位の状態が続いた

 

視聴者は対抗してCMのタイミングで用を足したり休息をとった

 

NHKの長時間休憩なく番組が続くとなぜCMが入らないのか!用が足せないという逆クレームになったというオチになる

 

実際にはマンネリ番組よりCMの方がインパクトがあり面白かったという、番組とCMを構成するコンテンツの芸人や音楽のイメージが視聴率を左右した

どんな商品なのかはあまり関係はなくイメージやインパクトだった、イメージで消費者に受け入れられるかどうかで商品の売上が決定した

 

どの芸人を起用しどんなBGMを使うかで大方が決まったという、つまり芸能人と音楽のイメージでほとんどが決まった

 

やがて芸能人やアーティストの人となりが視聴率や商品の売上に左右してきた

芸人の本来の芸能ではないイメージや個性が商品価値を持つようになってきた

 

しかしテレビCMが商品の売上に連動するという状態は平成に入り陰りをみせてきた

番組視聴率と製品売上は連動するもののテレビで観るモノだけが良い商品ということではないことが視聴者に浸透してきた

 

 

テレビ以外の情報源の選択肢が増えてきた、むしろテレビは虚像ということに気付いたらテレビ絶対主義は過去のモノになった

 

ネットの出現によってかつての視聴率番組はなくなりテレビ離れが進んだ

日本にも戦前から日本式の商売の広告宣伝のしくみはあった、芸人も芸能養成組織も元締めもパトロンもスポンサーもいた

 

かわら版やチンドン屋や大道芸があり見世物や露天商では商品の如何にかかわらず芸人の口上の技術によって売上が左右したという

 

がまの油売りや包丁研ぎや野菜の千切りなどたわいもないモノが芸人の演出次第で売れてしまう

 

 

大衆相手の群衆心理でますます売れるというブームの仕掛けは江戸時代から日本にもあった

 

映画の寅さんのような口上で何でも売って日銭を稼いでしまう

 

そういう芸達者口達者な芸人がいた、商品はなんだってよいという勢いのプロの芸人がいた

音響効果や華美な服装や口調表情の演出効果は歌舞伎を経て洗練されてきたという

 

芸人の養成と供給さらにその元締め組織となる胴元も存在していた、江戸なら浅草が拠点となっていたという

 

同朋衆、阿弥衆

 

芸能の興行を運営企画する芸能集団は室町時代から存在していた、同朋衆と呼ばれ公家や武家を取り巻いていた

 

戦国時代には表面上は祝宴の芸能を披露するが裏稼業では敵対勢力のスパイや暗殺などを請負う忍者集団にもつながりがあったという

衆には流派や組があり雇主の力関係によって寝返ったりもした、近世以降も存在し農民や町人には縁のない世界があった

 

支配者の武家公家と専門職の穢多非人集団との接点があった、彼らの日常は芸能を生業とし近代以降にも引き継がれたという

 

戦後も荒廃した新橋や浅草を拠点に復興した、近くには花柳界も存在した

 


見世物小屋や劇場から媒体として効果絶大な不特定多数対象のテレビになった、大きな違いは民主的で人権に配慮した電波法に基づく法規制や放送規約があった

話を戻すと、

 

芸能商売は虚像であり江戸時代なら商人の商売ではなかった、近代は新平民と在日外国人が担っていた職で平民が近づくと火傷するといわれた水モノ商売だった

戦後のテレビはその延長線上に存在する、しかしテレビ出現当初の出演者は全て「神」だった、視聴者には夢や希望のようなものを与える偶像文化にもなった

リスクをとって手っ取り早くテレビに出ることが戦後の成り上がり成功物語になった

 

 

戦後の芸能界は職業を制限されていた同和した新平民や同化した在日外国人が大活躍したという

 

現在はBSやインターネットが普及し宣伝効果は一方向ではなく双方向視聴者選択となりテレビは衰退し始めかつての勢いはなくなった

芸能界やメディア産業も二世・三世の世襲の風潮だという、中世・近世にもあった裏稼業が存在するのかどうかは知り得ないが

 

一般生活者とは異なる華があり芸能の世界には近づかない方が無難であるということは中世から近代以降も変わらない

 

 

戦後の新しい芸能は芸術性が劣化し芸能を振興するという目的よりも手段になりつつあるように想えてしまう