戦前までの芸能 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

改めて古代から現代までの日本を振り返った、特に現役の学生には苦手意識があるという文化史にも興味の対象が広がった

 

 

芸能は公家と武家の貴族層の祝祭事の宴を盛る芸だった、知識人の中には阿弥と呼ばれる身分の低い僧がいたようで

 

観阿弥・世阿弥らは能や田楽などの舞踊や音楽を演じたという、阿弥一族は室町足利将軍家に仕え幕府お抱えの芸能を担い高待遇で保護された

 

また同朋衆と呼ばれる芸能集団が当時の貴族層を取り巻いていたという

 

賤民ではあるものの高い技術を持っていたので、貴族や良民に芸能を演じ生業としていた

 

出雲阿国歌舞伎

 

公武二元の混乱期、応仁の乱から戦国時代に公家や武家・下級武士を鼓舞する歌舞伎や義太夫節という芸能音楽の原型ができあがったという

 

芸能音楽を生業とした演者は公家でも武家でもなく百姓や町人でもない身分の者が職能分担したという

 

太古に遡ると世界共通に狩猟生活していたヤマトの民族はいつからか農耕生産を糧とし

 

ほんの一部の支配層を除き農産物を各々生産して物々交換で生業としていた

 

女歌舞伎と白拍子

 

狩猟民族も争いは絶えないが農耕民族も食料が蓄積されればそれを狙って奪い合い紛争したという

 

集落を守るリーダーや生産や護衛に専念する役割分担や身分ができた、そのころから生産を生業としない芸能集団が存在していたという

 

宗教呪術的な神や死の境に位置して禊お祓い祀りに携わる者、生産収穫や紛争勝利を祝い宴の舞踊や囃子の演者がいたという

 

やがて芸能の専門集団が能・狂言・歌舞伎…を完成させた、特定の居住地はなく神社仏閣で寝食していたという

 

野郎歌舞伎

 

時の為政者に保護された芸能は優遇され、どの芸能集団も能力を発揮したという、そうしなければ他の職では活きてはいけなかったから

 

近世の江戸時代になると士・農工商・穢多非人の兵農分離身分制となり生まれながらにして世襲身分になった、生きていくために職能役割を果たした

 

芸能職人は士農工商ではなく罪人や非人でもなく穢多として活かされた、穢多は農作業をすることすら禁じられていたという

自立できる芸人は町人相手に劇場を経営したり遠征興行する集団もあらわれたという、芸の能力と努力で経済力を得ることができた

 

見世物小屋

 

公家・武家や豪商に仕え農民や町人の生活を超える特権階級にもなれたという、歌舞伎役者や遊郭の花魁はそういう部類に入る

 

しかし限られた一握りのみでハイリスクな職だった、さらに厳しい階層競争もあったという

 

近代までは身分制度があったが芸能の世界は能力や努力次第で経済力を得て支配者の公家や武家に近づける存在だった

 

大ざる小ざる・大いたち、大かみ娘と蛇娘

 

農民や町人には無い世界があった、明治以降の近代は近世までとは異なった

 

欧米の西洋文化がどっと入るとともに、明治政府は議会も紛糾した民党の猛反発にもかかわらず大陸や朝鮮半島からの移民内地雑居も受け入れた

 

芸能・音楽・芸術・スポーツという文化振興はより激しい競争・競合があったという、芸能環境は整備され西洋演劇の劇場も増えた

 

浅草オぺラは大正期

 

関東大震災でラジオ放送の必要性が高まり大正の末には虎ノ門の愛宕山に建設された施設から本放送が開始した

 

テレビの実験放送は1930年代に開始されていたが、戦後はGHQに禁止され本格放送は1940年代後半まで待つことになる

 

雅楽・能・狂言や歌舞伎・落語、クラシック音楽・オペラやJAZZも今でも脈々と伝承されている

 

これらの古典芸能はラジオやテレビがあろうがなかろうが継承されてきた

 

カジノフォーリーは昭和初期から戦前

 

現代では片方向のテレビ放映は衰退傾向で双方向で情報を取捨選択できる番組やネットが普及してきた

 

芸能は演じる者と観客のどちらかに力が偏ると衰退する、欧州ルネッサンス時代はスポンサーであるパトロンの援助がなければ発展しなかったという

 

戦後はテレビの出現によって劇的に変化した、神であった天皇は人間宣言し華族など特権支配者がいなくなりテレビの中にいる者(芸能人)が特別な存在となった

 


 

古今東西、支配者や一般の平民にとっては芸能は観て興じ、趣味として楽しむものであって生業とするものではなかった