近現代の専守防衛 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

近世までの専守防衛につづき

 

徳川幕府が薩長藩閥に取って代わると、幕府が掌握した武力は天皇の軍統帥権に移り近代的な陸海軍が置かれた

 


征韓論争

 

明治維新後の明治政府には隣国李氏朝鮮との国交樹立か国内の富国強兵・殖産興業が先かの外交内政課題の征韓論争があったという


近代最初の海外派兵は台湾出兵だという、当時の台湾は現在の中国国民政府の延長ではなく、満州民族が建国した清国の一部だった 

台湾の漁民が琉球海域の漁民を襲ったというのがきっかけだという、琉球を明治政府の領域と主張していた日本は清国に苦言した

台湾出兵


清国は非を認めたので明治政府の近代軍は台湾を武力で制裁した、後に日清戦争によって日本は台湾を領有することになる

 

明治政府の軍統帥権は政治最高権力の内閣とは独立していた、大日本帝国主権者の天皇に軍統帥権があった

軍統帥権は最高の権力で内閣では統制しない、天皇の軍統帥権を掌握したのは陸軍の参謀本部と海軍の軍令部だった

 

 

 

大日本帝国憲法上、統帥権の行使は当然に天皇に承諾を得る、よって天皇の宮中の周りには薩長軍閥の枢密院や元老院を置いて政府内閣と軍部を統制した

つまり薩長藩閥の息のかかった政治家や軍人しか内閣総理大臣や陸軍大臣・海軍大臣に天皇は任命しないようになっていた

 

薩長出身以外の政治家は民党を結成して対抗したが、政党内閣が実現したのは大正に入ってからの原敬内閣からというのは史実のとおり

 

 

この前には薩長藩閥ではないが雄藩だった薩長土肥の肥前出身の大隈重信内閣が誕生したが、準政党内閣扱いになっている


薩長藩閥の元老は枢密院に退き内閣総理大臣からは引退していくが、権力のあるうちに軍部大臣現役武官制を施行した

 

これは陸軍大臣と海軍大臣は文民ではなく現役の軍参謀から選任すること、かつ選任できない内閣は組閣できないとした

 

 

現役軍部の陸軍大臣や海軍大臣が内閣を解散できる権限があった、軍予算が気に入らない内閣であれば

 

軍部大臣を辞任して内閣を解散できるということ、いわく上奏権は絶大だった

 

軍部大臣自ら天皇に上奏して辞任したという大臣もいた、この予算では大日本帝国は護れないという上奏ができたという

 

 

後に人材不足によって現役ではなくても良しとした時期もあったが、軍部大臣現役武官制があったことから

 

軍部の権限が大きくなり大東亜戦争を早期講和終結できなかったと評価解釈されている

戦後の新憲法には第九条がありながら警察予備隊は自衛隊となった、憲法改正は望まれたが成らなかった

 

 

以来、文民統制で防衛庁から防衛省に発展し現時点も専守防衛に徹している

 

PKOの海外での活動や災害救助などで自衛隊の活躍の場は多いが、日本国憲法にそぐわないという論調にまでなっている

 

旬な話題としては、現在の日本国憲法下の内閣の防衛大臣の辞任表明は、戦前では内閣の解散を意味した

 

 

軍部大臣を辞任に追い込む内閣はNGで内閣総理大臣の責任とされ解散し、新たな軍部大臣を選任する責務を負う

 

軍部内では制服組の軍部大臣を内閣に選任させない背広組のストライキも許されたという

よって軍部大臣を選任できない内閣の責任者の内閣総理大臣も辞任に追い込まれることになった

 

大日本帝国憲法と日本国憲法


天皇の軍統帥権と軍統帥部には内閣や総理大臣にはない絶大な権限があったということになる

 

現憲法にはない近世には世界最強だったドイツプロシア流憲法を倣ったのが大日本帝国憲法だった

 

思想や言語や思考といった頭脳が他国に侵略されつつある平成日本のポジションは戦前

 

 

戦後七十数年、現在の国防には日本国憲法は古典になりつつあると想う