記紀から始まる日本 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

どんなに優秀で傑出した一族が突出しても、どんなに体制に反逆した反日層が厚くても例年の通り去年と今年と来年に国が滅ぶほどの危機はなかった

 



国家が滅ぶことなく連綿と続けてきた二千年、小さな村でも大きな組織も国郡里も傑出とアンチがバランスよく滅ぶほどの事もなく続いてきた

それでも何度か内憂外患はあったが大傑出した大天才や大反逆したアンチは国を奪うことはしなかったしできなかった

 

世界も日本という国を滅ぼし奪うことはしなかったしできなかった

 

 

欧州史のように市民による革命で国王を追放したフランスやソビエトのように労働者が帝政を滅ぼし建国した国家でもなく

共和国にもならず社会共産主義国家にもならなかった、属国や植民地になることもなかった、というここが他の近代国家との違いがある

 

大英帝国のイギリスに類似し建国以来国家の中心に王のような天皇が永く存在している、英国も同じような王族が国家の中心にいるしくみになっている

大多数の民主国家である共和国や一党の社会共産主義が占める国とは異なる

 

 

日本に世界の標準が通じることもはずもなく、植民地も侵略も回避してマイペースを貫いてこれた千数百年の不滅存続の歴史がある

 

ここは日本ですから!という殺し文句もあり、地球の聖域の黄金の島になってガラパゴス化が進み固有の文化を築いた

しかし孤立をも跳ね除ける耐力が日本にはあった、それはバランスよく国内地域分散してこれたから

 

常に本命対抗の二大勢力があり第三の勢力が要となる三つ巴がバランスよく安定する、そうしてきた

 

 

古代中国大陸の魏呉蜀の天下三分の計は安定を保ったが、ひとつになった途端に破滅した、一致団結したら勝ち残らない限り破滅する

 

勝つことと負けないことは異なり結果は雲泥の差がある、勝つことより負けない選択をするのが勇者、負けないこととは長く生き残ること

傑出層とアンチ層と中間層がバランスよく、中間層だけになっても中間層がなくなっても日本の危機は訪れていた

 

日本の要は一般の平凡中間層が生き残る運命を握っていることを日本の為政者たちは心得てきた二千年だった

 

 

四次元の次世代まで考えたら負けないことを選択する、三次元とまりなら勝つことだけを選択する

 

日本の選択は常に負けない選択をしてきたからこそ今がある、京の都の中央集権や近世の江戸一極集中はハイリスクだった

 

歴史的要所要所で東西にバランスしてリスクを回避してきた、幕末には江戸幕府に権力が一極集中しないように京都の公家に分散した

 

欧米列強は日本を一撃壊滅できなかった、イギリス中心に新体制の天皇の公家を、フランス中心に旧体制の将軍の武家をそれぞれ担ぎ対立した

 

 

欧米列強も一つになれずなれなかった、薩長と徳川の公武に権力が分散され

 

さらにそのほかの雄藩という第三の勢力もあり欧米の攻撃をうまく分散できリスクを回避できた

 

幕末の日本は欧米列強に対して武力をあまり使わず手ごわい驚異・脅威の国だったことだろう


幕末の雄藩の志士には薩長の同盟や公武の合体に与する内外の力が働き明治維新を早めた、ことには賛否両論の評価がある

 

 

欧米の武器を導入した倒幕は近代軍事国家を早め、結果的に民間人大量殺戮という悲惨な敗戦に至らしめたとする解釈もある

 

太平洋戦争時は挙国一致や国家総動員で文字通り分散できず、にもかかわらず一撃講和にも及べず無条件降伏に至った

 

陸海軍が内部抗争しながら切磋琢磨している明治から昭和初期の頃は安定し軍事力は世界最強だったと評価されている

 

陸軍にとって海軍は敵ではなく同様に海軍にとって陸軍は敵ではない、万が一にも陸軍と海軍が戦闘することは決してない

 

 

主義主張は異なるものの欧米露という仮想敵があった、日本国家を護るのが第一義であっただろう

 

戦争をしないための武力保持だったので欧米露との戦闘はないであろうと、利権予算獲得等の内部抗争は激しかったという

英米開戦間近には煮詰まり余力もなくなり一致団結し危機だった、すべての力を戦争に注いだという

 

昭和十六年の日本の選択は英米に勝つ選択ではなく、未来のアジアが欧米に負けない選択をした、という解釈がある

 

 

今後の日本は二大政党が機能することを期待するが、東西二大勢力と地方第三勢力で安定を維持し危機を回避できることも期待する