千早ふる | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

落語では前座さんの演目にもなる噺

 

 

千年も前に五感に響くメールを和歌は実現した、五感全てを刺激する機械の実現は困難だろう

科学技術は日常生活を豊かにした、と言い難いのは使い方次第

 

便利とは多くの時間とカネを奪う、世界標準に合わせる必要はなく、むしろ合わせなくても不便はない

 

毎月定例の談笑一門会

 

結果として、ガラパゴスは多くの層に支持され生き残っている、生き残る訳があるから

 

日本にしか無いものを極めれば世界にも通用する、世界標準のことを極めようとしても標準にしか達しない

ツイッターの文字制限を拡大するより、三十一文字に制限した方が世界が広がるかも知れない

 

千早の歌の意味

 

「ちはやふる」は世界の頂点を目指すというコンセプトもあるらしい、競技かるたは深く意味を知らなくても遊べるという

 

つまり頭脳知識の隔たりがなく、男女の隔たりもなく、体格や体力の隔たりもない、年齢差があっても対戦できるスポーツ感覚の競技でもある

 

女性が男性に勝つことも常時だし、高齢者や子どもが現役の大人を負かすこともある


 

そういう隔たりのない、老若男女が同時に参加できる世界でも類のない競技だという

これはスポーツではなく文化芸術だからという理由もある、絵画や音楽の芸能も興じることに隔たりはない

 

落語の「千早ふる」も新人の前座さんにもベテラン師匠にも適した演目となり、観客も歌の意味がわからなくても楽しめる

 

入船亭扇橋の千早ふる

 

談笑師匠の千早ふる

 

そもそも登場する主人公はこの歌の意味がわからない、というところから始まる、教える方もよくわかっていないようだから