徒然草 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

監修による違いはあるものの、偏屈な頑固爺さんが世を憂い愚痴や小言をつらつらと綴った随筆

 


鎌倉時代末期、幕府の権威が失墜したのを機に元気な天皇が現れ久々に親政を実現した、摂関や院政や幕府も認めない後醍醐天皇の建武の中興


兼好は位のある役人だったが、官位争いに疲れ果て出家した、後醍醐天皇は伝統を無視した独裁政権で、秩序も乱れ南北朝の動乱を招いた

 

 

吉野に逃れ南朝を興したが、義満の代に京都の北朝に統一された、南北朝期は日本分裂と天皇家存続の危機だったという

 

室町幕府第一代将軍足利尊氏が北朝に天皇を擁していたからこそ継続できた、と言われている

 

尊氏は元の名を高氏、後醍醐天皇から征夷大将軍には任命されなかったが尊という字を拝命したということらしい

 


兼好は後醍醐天皇のことが凄く嫌いだったことが随所に伺える