世襲 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

義時…経時…長時…貞時…高時…滅亡
義持…義教…義勝…義尚…義輝…滅亡
家綱…家継…家重…家治…家定…滅亡

 



前後中抜きでほとんどマイナーな時の権力為政者だが、それなりに重要な中継ぎの役割を果たしている

メジャーな為政者は飛び抜けてはいるが、長い歴史の中では一発屋のような感じすらある 


中にはくじで決めるという先代の遺言で当選したくじ引きラッキー将軍がいた、くじに外れた一族達に常に命を狙われていたという有名な将軍らしい

 


棚ぼた天皇というのもいて命名でわかるという、藤原摂関大臣から定年間近に声がかかり、わずかの期間中継ぎした天皇がいたという

天皇は崩御してから命名されるが「光」や「後」が付く名前には意味があるという

 

茶は彼らに手厚く保護され800年以上も廃れることなく現在に中継ぎされていることになる

 

 

なぜ北条氏は源氏にとって代わり開幕して武家の棟梁として征夷大将軍を世襲しなかったのか?

清盛も秀吉も将軍にはならなかった、信長に至っては将軍になろうともしなかった

室町最後の将軍を顎で使い朝廷からの官位も拒否し続け頂点を極める前に死んだ

 

 

家康は源氏に倣い開幕した、公武のパワーバランスを利用した現実的な常識的な政治家だった

武家の棟梁将軍職は清和源氏筋なので他氏は任命されない・就任できないというのが当時のルールだった

なので、清盛も北条氏も秀吉も武家の棟梁ではなく公家のトップ太政大臣を目指した、信長は日本の公武の枠組みを超え大陸の覇者になろうとしたようだ

 


中世の守護地頭に相当するヨーロッパ諸侯たち、の叙任権は教皇か皇帝かで永く争われたようだが、日本には既に古代から律令をもとにルールが確立していた

近代の明治天皇以降は征夷大将軍任命権を廃止し欧米を参考にして内閣総理大臣を任命するというルールに変わった

大正天皇に変わるまで薩長藩閥のみが任命されたため徳川幕府が薩長幕府に代わっただけと言われている

 


元老院や密室による一部の人間の話し合いで決める総理候補では政権がコロコロ変わる短命内閣だった

 

現在の憲法でも主権者の有権者国民による国首長選任ではない、党一部の人間で選任し天皇が任命するというルールは古代からあまり変わらない

明治中頃には、もし日本が共和制の国家であったら三井か三菱が大統領になっただろうと言った文部大臣が更迭された、現在もその危険性はある

 


国民投票したら英国のEU離脱や米国の予期しない大統領が誕生するようなことが起こりえる

仏は国民が皇族を排除した共和制の国家、露は労働者が皇族を排除した共産主義の国家、そのような成り立ちの国家が欧州には多くある

英は日本同様に皇族と一般市民が共存する民主主義国家

 

 

長期安定政権は武力にしろ選挙にしろ対抗を徹底的に潰さない限り実現しないのは歴史が示す通り、というところだけをみれば執権や将軍という制度は長期政権になり易い仕組みだったと言える

生まれながらにしてサラブレッドとして帝王学を学びレースに勝ち続けた中から運を天に任せたくじ引きで決めた為政者なら中継ぎには十分すぎると想う

むしろ、くじに当たるという平等な条件の下での強運こそが天運才能

 


信長のような飛び抜けた大天才ではなく、事業継続が使命の幕府トップ人事の基準は中継ぎ人材を合理的に選任するラッキー将軍方式を適用できる

武力かくじ引きか密室か選挙か、条件が平等で民主的かつ合理的経済的で恨みっこなしなのはくじ引きではなかろうか

大正以降、現在まで実際はラッキー方式ではなく密室方式が多い、党内選挙以外は選任基準は曖昧かつ非公開のため政権は安定せず短命内閣だった

信長の公武の枠を超越していた帝王の発想は、当時の世界や未来にも通じる着眼点だった、飛び抜けていたことがわかる


室町幕府第六代将軍足利義教はくじ引き犬死将軍


確実に中継ぎできる仕組みは素晴らしい、ということで冗談ではなく将軍くじ引き方式を採用した足利義持とくじに当たった強運の義教に一票