大江戸 八百八町 百万人都市 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

皇居周辺や他の城下町も一方通行や卍道で安易に本丸に近づけない都市計画になっている



城下町は車より自転車や徒歩の方が目的地に早くたどり着くことがある、本丸からスター状に目的地へ直進するのが最短コースになる

江戸城下町構想は本丸への侵入を困難にするため内堀と外堀の神田川まで構築した

有事は橋を落として防御するだけでなく、地下を移動して攻撃できる町にしたという

 

生類憐みの令すら出て、公然と刃傷沙汰も無くなり百年近くも内戦が無くなった平和な江戸中期以降

参覲交代は続き各街道沿いは栄えた、藩主の婦女子や藩士の半数は江戸暮らし、各藩の生活を支える職人・商人も級数的に増加した

 



江戸の人口は爆発し世界有数の大都市になり大江戸と呼ばれ優雅で贅沢な元禄文化が芽生えた

 

しかし暗殺・テロ・スパイ事件は絶えなかったという、江戸城下の管轄は南北町奉行所

これら防犯防火セキュリティ対策ポリシーは現在も活かされている、のだろう

 

半蔵門から

国会議事堂



霞が関方面
 

 

大手門へ、これで皇居半周