大江戸から大東京そして大首都へ | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

都心は古都の碁盤の目のような条坊制都市設計ではなく、旧江戸城を中心としたネットワークトポロジー設計となっている



皇居周辺⇨山の手環状線⇨環状八号・十六号線⇨東京・新宿・立川・川崎・品川のJR中央東海道環状線

その周りは、横浜・千葉みなと・浦和・甲府の関東圏域主拠点が取り囲む

周辺や郊外のどの地点へも都心中枢から最短複数経路で行けかつ外からは中枢へは入りにくい軍事都市構造となっている

ファイアウォールは厚くコアへの侵入は困難という設計ポリシーは江戸城下町構想と変わらない

日本一安全で守護しているのは都心中枢の皇居なのだろう、その周辺は湾岸埋立地も含め逆に日本一危険だというのは想像に固くない



大坂もそれに近かったが城は堀を埋められ、東京遷都後は城中心ではなく大阪湾側に都市を構築した、故に東京と大阪のJR環状線の役割は異なる

大正期に関東大震災と市政区域統廃合の影響で東京市は一時大阪市に人口を越され大大阪時代もあったが

昭和初期には震災復興を契機に環境衛生を整備し直し当時としても世界有数、日本一の大東京となった

住みよい首都東京には全国から若者が集まり、周辺の地元っ子が多く住む千葉・埼玉・神奈川とは様相は異なる

 

生粋の江戸っ子や明治からの東京人がメジャーではない全国区の大首都になった、現在も親子三代東京っ子は少ないという




さらに海外居住者も多い国際都市になっている、故に都心部は危険を多分に孕んだエリアとなった

 

私は都心には長居せず武蔵野台地の安全地帯に長時間滞在する生活習慣にしている、大規模な埋立地の湾岸地区にわざわざ近づくこともなくなった

 

反面、海外観光客も含めて湾岸大江戸に行きたがるのは世の常なのだろうか、2020に向けてピークを迎えることになるのだろう

江戸後期にはまだ、石川島と佃島と




そして台場のみ、他は明治以降に埋立て歴史はまだ浅い