OB会で渡された名簿に物故者名簿があった。亡くなった先輩の名前の中に70歳前の人を何名か見かけた。昔は70の古稀はまれであったが、今は古稀が寿命のひとつの山のような気がする。10年ほど前このくらいの齢で亡くなった大事な先輩がいました。
国土地理院に入って最初に配属された課の課長がユニークな人だった。東北弁を隠そうともせず愛嬌のある笑顔で誰にでも語りかける人だった。若い頃胸を患ったため仕事面でハンディがあったのか年齢に比べ行政的な出世は遅かった。その分研究に打ち込んで母校東北大学の博士号をとるほどの研究タイプの人だった。地理院在職中には測地学の本も出した。後年自分で測地学の本を出した時、先輩に敬意をこめてタイトルを使わせてもらった。一方賭け事が好きで、毎土曜日には渋谷の場外売り場で馬券を買っていた。麻雀も好きでよく自宅に誘われた。三鷹の自宅は以前買っていた土地が高値で売れたため建てることができたと話していた。そういう才覚はある頭のいい人だった。奥さんは本人とは不釣り合いなほどの美人でちょっと兼高かおるに似ていた。
結婚前の家内は当時コンピュータのエキスパートをしており、課長の研究の計算を手伝っていた。そういう縁で我々の結婚式の仲人をしていただいた。 50過ぎに弘前大学の教授に移り、定年までそこで務めた。定年後は三鷹に戻り奥さんと東南アジアの旅行を楽しんでいた。しかし楽しみは長く続かず、若い頃の病気の後遺症で入退院を繰り返し亡くなった。課長の生き方は公務員生活での自分の目標にもなった。人生の恩人でもある先輩を懐かしく思い出しました。